「テロとの戦い」とは何だったか/アブグレイブ刑務所事件の真相に迫り「アメリカの正義」を問う NHKスペシャル(2008年) [ 調査報道アーカイブス No.66 ]

◆「米国は戦争を始めるに違いない。世界は大変なことになる」

まもなく暮れようとしている2021年は「9・11」から、ちょうど20年の節目だった。ニューヨークのツインタワーに旅客機が激突し、20年前のこの日を境に米国は「テロとの戦い」を理由として、アフガニスタンやイラクとの戦争に乗りだす。「対テロ」の言葉が使われ始めたのも、このときからだ。

TBSの「報道特集」の制作に携わっていたテレビジャーナリストの吉岡攻氏は2001年9月11日の夜、取材先の千葉県から戻り、テレビを見ていた。「言いようのない衝撃を受けました。本当に大変なことが起きる、世界が変わるだろう、と。米国が戦争を始めるに違いないと思ったからです」。後年、当時のことを尋ねた筆者(高田)に対し、吉岡氏はそう語った。

吉岡氏はツインタワーが崩落した3日後には日本を発ち、パキスタンとアフガニスタンの取材に向かう。この年だけで4回、計77日間。それから何年も「対テロ戦争とは何か」に関心を持ち続けた。仕事の舞台を「報道特集」から「NHK BS世界のドキュメンタリー」「NHKスペシャル」などへと変えながら、9・11後の世界にこだわっていく。NHKスペシャル「微笑と虐待 〜 証言・アブグレイブ刑務所事件」(2008年11月)はその1つで、その吉岡氏がディレクターを務めた秀作である。

アブグレイブ刑務所で虐待されるイラク人。この他にも凄惨な写真が多数明らかにされた=U.S. Army / Criminal Investigation Command (CID)

◆イラク人捕虜に虐待、拷問 露見後は「腐った7つのリンゴのせい」

アブグレイブ刑務所は、イラクの首都バグダット郊外にある刑務所だ。米軍の侵攻後はイラク人捕虜の収容所として使用し、捕虜に対する性的虐待や拷問が継続的に行われていた。虐待は2003年10月から3カ月ほど続き、翌年春、その様子が暴露された。裸の捕虜に人間ピラミッドをさせたり、全裸にした男性を指差して微笑んだり。そんな写真とともに内部告発が行われたのである。

事件に関わった兵士7人が軍法会議にかかり、全員有罪。7人はラムズフェルド国防長官から「腐った7つのリンゴ」と言われ、降格の上、軍から放逐された。末端兵士による個人的な犯行として片付けられたのだ。しかし、本当にそうだったのか。また、なぜ兵士たちは満面の笑みを浮かべて虐待・拷問に加わったのか。

『微笑と虐待』は、当事者の生々しいインタビューを軸に事件の真相に迫っていく。「虐待の女王」と言われたのは、リンディー・イングランド元上等兵だった。くわえタバコで微笑みながら、裸のイラク人男性捕虜を指差す。その写真は世界中に出回り、残虐さの象徴として喧伝された。番組では、この元上等兵、虐待写真を内部告発した元憲兵、そして刑務所の最高責任者だったカーピンスキー元准将(女性)からも生々しい証言を得ることに成功。事件は単なる「捕虜虐待」ではなく、いかにして効率的に捕虜の口を割らせるかという軍の計画的作戦だったことを浮き彫りにした。イングランド元上等兵は「虐待の女王」などではなく、軍の命令に従っただけの、単なる一兵卒にすぎなかったのだ。

◆「イラクに行く理由なんて本当は一つもなかった」

吉岡氏はこの番組取材を元にした自著『虐待と微笑 裏切られた兵士たちの戦争』の中で、カーピンスキー元准将の話に長く言及している。元准将は女性軍人としては異例の出世を果たしながら、最後は「アブグレイブの出来事を記者会見して公表すべきだ」と上官に進言したことで、逆に軍から追放されてしまう。その後は罪を負わされた元部下を訪ね歩き、真実がどこにあったのかを知ろうとし、伝えようとする。

カーピンスキー元准将は吉岡氏らの取材クルーに向かってこう言った。

いろいろな意味で(罪に問われた)7人の兵士たちの一部もイラクで死んだと思っています。彼らは確かに生きて還ったけれど、心は……。彼らの国や政府に対する信頼は挫けたまま、その一部はイラクで死んでしまったのです。

米国は「イラクに大量破壊兵器がある、フセイン政権はそれを隠している」と言い、テロとの戦いと称してイラク戦争を始めた。しかし、大量破壊兵器に関する情報が虚偽かそれに近い情報であることを、米政権は最初から知っていた。

(ブッシュ政権が)イラクの物語をでっち上げた時、彼らはそれを正当化するために、さらなるでっち上げを必要としたんです。何千人もの収容者たちを虐待したり拷問したりすれば、ひょっとしたら1人くらいは望んだような情報を持っている人間がいるかもしれないと期待していた。しかし、ただの1人もそんな人は見つからなかった。なぜなら、彼ら(政権)が求めていた答えそのものが、そもそも存在しなかったからです。

私はあとになって、そのような真実に気が付きました。その真実とは、イラクに行く理由などひとつもなかったということです。

アブグレイブ刑務所で虐待されるイラク人=U.S. Army / Criminal Investigation Command (CID)

国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ナウ」事務局長の伊藤和子弁護士は番組放映後、自身のブログで「日本のテレビ局がよくぞここまで取材したと、その質の高い番組制作に感服した」「米国ではなかなか追及しきれていないテーマ、みなが忘れつつあるテーマ」だと記し、こう続けている。

アブグレイプ事件が被収容者虐待の性的スキャンダルとして発覚したとき、女性下士官であるイングランド上等兵をはじめ、下士官たちのみが有罪とされ、とかげのしっぽきりのように、彼女たちの私生活が大々的に暴かれ、指弾されたが、トップの責任は一切問われなかった。そのことを真剣に追求するテレビ・メディアもほとんどなかった。
この番組では、そのイングランド元上等兵へのインタビューを中心とする綿密な取材を通じて、トップの意向が働いていたこと、軍上層部や、民間軍事会社が被収容者虐待を奨励し続けていたことを告発した点が鮮やかだ。

吉岡氏はその後も対テロ戦争に関する取材を続ける一方、報道に関わるきっかけとなった「沖縄」にもこだわり続けている。最近では2020年12月放送のNHK・ETV特集「沖縄が燃えた夜〜コザ暴動50年目の告白〜」を制作した。「軍」や「国家」、そういった強大な力によって理不尽な目に遭わされている人々にこれからも焦点を当て続けるのだという。

(フロントラインプレス・高田昌幸)

吉岡攻氏(撮影:高田昌幸)

■参考URL
NHKスペシャル『微笑と虐待 ~証言 アブグレイブ刑務所事件~』
単行本『虐待と微笑 裏切られた兵士たちの戦争』(吉岡攻著)

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