ジャズ・ピアニスト山中千尋が語る、デビュー20周年を記念したキャリア初のバラード・ベスト『Ballads』

©Hibiki Tokiwa

取材・文:原田和典

「私の数多い作品の中から、今回はリスナーの皆さんが割とスッと聴いてしまうような、それほどアルバムの中心にならなかったものを集めてみました。バラードを集めたことで、また違った私の姿を見ていただけるのではと思います。

小編成の曲やオリジナル曲だけではなくて、ちょっとラージ・アンサンブルのものや、いろんな実験的なアレンジもありますし、シンプルに弾いたものもありますし、いろんなものが含まれています。2015年に出した『ベスト2005-2015』では、私の代表曲というかライブでよく演奏するものをコンピレーションしましたが、今回はなかなかライブでも聴く機会がない曲を含めて選びました」

【通常盤】

ピアニスト、山中千尋がCDデビュー20周年を記念して初のバラード・コンピレーション・アルバム『Ballads』を発表した。これまで発表した作品から自ら選曲した多彩なバラード・ナンバー(スロー・テンポに限らず)に加え、ソロ・ピアノによる新録音3トラックも収録。“山中千尋流バラード”の世界に酩酊できる一枚だ。

「バラードに関しては、ジャズのスタンダード・ナンバーはに歌詞がついていることが多いですよね。そこに描かれている情景が、メロディと切っても切れないようになっているというか。自分のオリジナル曲もいろんなストーリーや情景であったり、私がその時感じたことだったりとか、そういったものが裏側にぴったりくっついているんです。

自分の曲に詞はついていませんが、何か言葉にできるようなきっかけがあって書いたものがほとんどで、今回のアルバムでは「ダヴ」がそうです。世界情勢で大勢の人達が不安になったりしていた時に、みんなが共存できる世界になってほしいという気持ちで書きました。宗教や人種が人を分けてしまう状況でなく、それぞれがそれぞれの場所で共存できるような、お互いを許せるような世界になってほしいと書いた曲です。「ダヴ」(dove)は平和の象徴、白い鳩のことです」

「ダヴ」は『シンコペーション・ハザード』(2015年)からのセレクション。スコット・ジョプリン作「イージー・ウィナーズ」などラグタイム系の楽曲を集めたプログラムの中でひときわ異彩を放っていたオリジナル曲を、あらためて“バラード・アルバム”というフォーマットの中で楽しめるのは実に趣深い。『サムシン・ブルー』(2014年)に入っていた「オン・ザ・ショア」の収録も、個人的には興奮させられた。この世のものすべてを許すかのような穏やかかつ抒情的なメロディの背後で、ケンドリック・スコットのドラムスが波の逆巻くような律動をつくりだしている。

「「オン・ザ・ショア」は、“岸辺にて”というようなタイトルです。この曲はメキシコで作りました。母がフロリダの私のコンサートに来て、メキシコにも行きたいというので一緒に行ったんですよ。温度が40度とか50度近くあるのに、私の誕生日だから着物を着ましょうと言われて、着物を着てテラスでご飯を食べたんですが、すごい苦しくて、冷房が効いていないから暑かった。

ここから解放されたい気持ちが強くて、でもコテージから見えるエメラルド色の海はすごくきれいで。果てしなく広がって行くカリブ海の美しさも感じながら、録音の1週間前に書きました。『サムシン・ブルー』ではジャリール・ショウや、今すごい売れっ子のベニー・ベナック三世も素晴らしい演奏をしてくれました」

いろんなメンバーに恵まれて活動を続けてこれたのは本当にラッキーだった、とも語る。確かに『Ballads』は山中千尋のバラード・アルバムではあるが、同時に現代ニューヨークの精鋭ミュージシャンたちが、いかにバラードを表現しているかのショーケースにもなっている。なかでも、『フォーエヴァー・ビギンズ』(2010年)からのセレクトである「グッド・モーニング・ハートエイク」における、山中のピアノとベン・ウィリアムスのベースの絡みは絶品というしかない。

<動画:山中千尋 – ダニー・ボーイ (Official Music Video)

「コロナ中で外にも出られない、コンサートも全部延期になって仕事ができない時期がありました。そんな時に家でバッハの四声体コラールなど、対位法を使った音楽をいっぱい弾いたんです。今回はその成果が出た、声部が動くようなハーモニーに特化した「ダニー・ボーイ」と「アイ・キャント・ゲット・スターテッド」になったかなと思います。

「ダニー・ボーイ」に関しては、みなさんがカヴァーしている曲ですし、あの郷愁を誘うメロディをソロ・ピアノで弾いてみたいという気持ちがありました。「出て行っちゃったけど、私は待っています」という歌詞がついているアイルランド民謡ですが、コロナも明けて来てきっと良い世界になるんじゃないかなという希望もありますし、やっぱり自分もその状態を待っているので弾きました」

「「アイ・キャント・ゲット・スターテッド」は、曲が好きだったのはもちろんですが、ハーモニー的にアレンジしやすくて、いろんなハーモニゼーションができるんです。そこで今回、録音しようと思いました」

セロニアス・モンク作曲の「ルビー・マイ・ディア」は『モンク・スタディーズ』(2017年)に収められていたヴァージョンとは一転、旋律のロマンティックな面を大いに引き出したものとなっている。

「『モンク・スタディーズ』では、ドワーッと弾いているんですけども、そうではなくて違った形の「ルビー・マイ・ディア」を聴いていただきたいなと思って、こういうテイクになりました。私はこのメロディが本当に好きなんです。

『モンクス・ミュージック』(1957年)に入っている(サックス奏者)コールマン・ホーキンスのソロもすごく素敵なんですけど、あえてここは自分のアドリブは弾かずに曲の良さを凝縮したいなと思って、シンプルに取り組みました」

録音は東京・上池袋のStudio Dedeで行なわれた。ウォルフガング・ムースピール~スコット・コリー~ブライアン・ブレイドのECM盤『アンギュラー・ブルース』(2020年)が収録された場所だ。

「スフィアーズの『ライブ・イン・大阪』(2015年)のミキシングをお願いしたことはありますが、あのスタジオで実際にピアノを弾いたのは今回が初めてです。ニューヨークのスタジオでの「早く弾け」みたいな、テイクバックも聴かないという感じではなくて、割とゆったりと、スムーズに行きました」

 ここで時計の針を巻き戻したい。ぼくは山中千尋を、まだ開店数年しか経っていない頃の渋谷「JZ Brat」で初めて聴いた。菊地成孔、水谷浩章らが共演者として参加した豪華版で、中島みゆき作曲のバラード(たしか「砂の船」だったと記憶する)では菊地のソプラノ・サックスが唸りをあげていた。

「ドラムは吉田達也さんでしたね。それまでにもジャズのドラマーといっぱい演奏してきましたが、吉田さんのドラムはまったく違う世界に生きている感じで、こういう人が日本にいるんだとびっくりしたことを思い出します。

その後、水谷さんと外山明さんと一緒に“YAGIZA☆September Love”というバンドを組んで「新宿ピットイン」に出た時、そこに坂田明さんが入ってきて、すごく面白かったこともありました。私はフリー・ジャズ系のアーティストだと自分では思っています。ジャズをストレート・アヘッドで弾くのもすごく大事ですけども、突飛なことというか、こうしたらいいんじゃないかみたいな感じで思いつくのは、フリー・ジャズからの影響が大きいですね」

そして2001年、澤野工房から『リビング・ウィズアウト・フライデイ』でデビュー。たしか晩秋であったはずだ。自分は当時、ジャズ誌の編集長をしていたが、たとえばディスクユニオン各店に配本やあいさつにいくと、頻繁にこの作品が店内に流れていたことを今でも思い出すし、買い求めている人を見たこともある。

「広告が出ないと載せてくれない大手ジャズ雑誌もあって、そこでは私は“ないもの”のようにされていました。そうしたなかで私を応援してくださったのは、ひとつひとつのCDショップの方たちです。1枚目の『リビング・ウィズアウト・フライデイ』の時には、小さいところも大きいところも全部、澤野さんの担当の方と一緒にご挨拶して。

その担当の方が「これ、すごくいいアルバムなんです」とお店の方に言うたびに、私はいつも下を向いて(笑)。まだまだ全然良くないと自分では感じていましたから。2枚目の『ホエン・オクトーバー・ゴーズ』(2002年)には「八木節」も入れることができました。これが私の最後のアルバムだと思って、とにかくやりたいことをやろうという感じで作った一枚でしたね。澤野工房代表の澤野由明さんは先日、大阪のコンサートに来てくださって、話がはずみました」

2005年にはユニバーサルミュージックと契約し、『アウトサイド・バイ・ザ・スウィング』を発表。さらに名を広めていく。だが、こうした最初期の作品を冷静に聴けるようになったのは最近のことであるそうだ。

「ようやく客観的に見ることができるようになったというか、過去の作品と今の自分を切り離すことができるようになりました。今の私は今の自分が取り組まなくてはいけないことに取り組んでいるわけですから、昔の私に対しては、いつかもらった絵はがきみたいな、そういうこともあったかなという感じです。その中に当時の自分の意志というか、こういうものをやりたいんだという気持ちが伝わってくる部分はありますけどね」

いま、ようやく新しいスタートについたという実感もあるという。

「秋吉敏子さんも「もっとピアノがうまくなりたい」とおっしゃっていますし、一つの楽器を自分の体の一部にしていくというのは、本当に修練しかないと思います。私は文章を書くことも好きですが、自分はピアニストであるというアイデンティティを基本に持っていたいと思っています。そのうえで、音楽家として、人間としてもっと成長していきたいですね。常に疑問を持って次に向かうというか、ベートーベンのような人でもクエスチョンをいつも持って音楽をやっていたと思うんです。音楽家ってたぶんマゾヒスティックなんですよ、もう無限地獄(笑)。

次回作に関しては、スタジオに入ってから決めていく感じなので、まだ何も考えていませんが、ニューヨークでみんなで録れたらいいですね。お客様が聴いてくださったということ、周りのスタッフや関係者の方にいろんな機会をいただけたから20年続けることができました。いろんなジャズがあるなかで、これからも自分自身の観点でジャズだと思うものを弾いていきたいですね。より濃いものを表現できたらなと思っています」

■リリース情報

【初回限定盤】

山中千尋 ニュー・アルバム『Ballads』発売中
【通常盤】UCCJ-2200 SHM-CD ¥3,080(税込)
【初回限定盤】UCCJ-9233 UHQ-CD ¥3,850(税込、スリーヴケース・ミニ写真集付)
視聴・購入などはこちら→jazz.lnk.to/Chihiro_Yamanaka_20AnniversaryPR

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