「怖いです。思いださせないでください」/日航機事故『墜落の夏』が発した次世代への問い 吉岡忍氏(1986年) [ 調査報道アーカイブス No.67 ]

日本航空のHPから

◆事故翌年、200人への取材と綿密な調査による記録

日本航空(JAL)123便の墜落事故が起きたのは、1985年8月12日(月)だった。技術の粋を集め安全を誇った大量輸送航空機が、なぜ墜落したのか。犠牲者520人、生存者4人。航空機の単独事故としては世界最大の犠牲者を出した事故は、発生から40年近くがたったにもかかわらず、「なぜ」を伴ったまま多くの人々の記憶に残り続けている。

JAL123便の事故をめぐっては、新聞・テレビで大量の報道が行われた。関連書籍は、優に百数十点を超す。中でも、事故の翌年に出版された『墜落の夏 日航123便事故全記録』は出色である。筆者はノンフィクション作家・吉岡忍氏。関係者およそ200人への取材を経て書かれたという。

吉岡氏は『墜落の夏』を刊行する前、月刊誌『新潮45』(2015年休刊)にベースとなる記事を発表していた。『日本航空二万人のダッチロール六十日』、『高度八千メートル「生きていたから」語れる真実 独占手記/落合由美』、『ドキュメント(遺体) 航空機事故とはどういうものであるか?遺体の収容にあたった医師たちの見たものは何だったか?日航ジャンボ機墜落事件で新聞やテレビが報じることのできなかった真相とは?』などである。リアルタイムでそれらを読んだ筆者(高田)は当時、事故の周辺や背景を掘り下げた内容に強い衝撃を受けた。とりわけ、書籍版では第2章の『32分間の真実』に収容された客室乗務員・落合由美さんの証言は、胸を突いた。

日航機の墜落現場・御巣鷹山(群馬県)に建てられた慰霊碑=国土交通省のHPから

奇跡的に一命をとりとめた落合さんは、御巣鷹山の現場に近い群馬県藤岡市の病院で約2カ月間入院した。130針を縫う大手術に耐え、10月中旬、神奈川県内のリハビリテーション・センターに移る。そこで吉岡氏のインタビューを受けた。初回は3時間。2度目は2時間。3度目は雑誌原稿をチェックしてもらうなどし、取材時間は合計で7時間を超えたという。事故からまだ数カ月しか経過していない時期である。夫が同席していたとはいえ、聞くほうも語るほうも筆舌に尽くし難い時間だったに違いない。

◆「怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です」

羽田空港を離陸してからの様子を落合さんは、順を追って語っていく。生きている者だけが語れる、緊迫の内容である。そして、語りの終盤。

頭を下げながら機内をちらっと見ると、たくさん垂れている酸素マスクのチューブの多くが、ピーンと下にひっぱられているのが見えました。マスクをつけたまま安全姿勢をとったお客様が大半だったのかもしれません。安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。船の揺れなどというものではありません。ものすごい揺れです。しかし、上下の振動はありませんでした。前の席のほうで、いくつくらいかはっきりしませんが女の子が「キャーッ」と叫ぶのが聞こえました。聞こえたのは、それだけです。

そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。

怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声もでなかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとり続けるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだりしたかどうか、わかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います。「パーン」から墜落まで、32分間だったといいます。でも、長い時間でした。何時間にも感じる長さです。羽田にもどります、というアナウンスがないかな、とずっと待っていました。そういうアナウンスがあれば、操縦できるのだし、空港との連絡もとれているのだから、もう大丈夫だって。でも、なかった。

衝撃がありました。

「怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。もう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました」の部分は、筆者の脳裏にこびりつき、しばらく離れなかった。

墜落機体の後部。JALグループの安全啓発センターに展示されている=日本航空のHPから

◆「32分間の真実」が問う巨大システムの行方

『墜落の夏』は落合さんをはじめ、遺族、検死にあたった警察官や医師、運輸省(現国土交通省)の官僚、事故調査委員会の関係者、日航の関係者ら実に分厚い取材によって成り立っている。事故そのものや航空機の問題はもちろんのこと、高度に完成したと思われていた社会システムの負の側面にも切り込む。重厚な内容と緊張感ある展開。各章の見出しや内容を眺めただけでも、それは伝わってくるだろう。講談社ノンフィクション賞を受賞したのも、うなづける内容だ。

▼真夏のダッチロール
524人を乘せた日航123便が消息を絶った。いったい何が、なぜと問う暇もなく、人々は、空前の出来事に翻弄されていく。
▼32分間の真実
生存者・落合由美さんの証言とボイス・フライト両レコーダーに残された飛行記録をもとに、墜落への軌跡を克明にたどる。
▼ビジネス・シャトルの影
高度24000フィートの上空で、ふいに人生の最終ページがめくられたとき、人々は何を思い、そこに何を書き残したのか。
▼遺体
520名の遺体収容と検死、身元確認の作業は困難をきわめた。医師たちが目のあたりにした巨大航空機事故の知られざる断面。
▼命の値段
事故の夜から世界に張りめぐらされた保険機構が動きだした。補償交渉の冷たい数式の背後に遺族たちの動揺と陰影が見える。
▼巨大システムの遺言
フェイル・セーフ思想が貫かれた機体に何が起きたか。安全神話に魅せられた現場と、隘路にはまった事故現場の迷宮を歩く。

墜落機体から回収されたフライトレコーダー(日本航空のHPから)

『墜落の夏』の取材は丹念で、疑問を一つずつ潰していくような流れは、調査報道取材のプロセスそのものだ。そして、優れた調査報道の多くがそうであるように、この作品も将来世代への重い問い掛けを含んでいる。

稠密で巨大なシステムがきちんと稼働することが現代人の幸福の前提になっているー。吉岡氏は最後、そのような認識を示す。そのうえで、巨大システムの破たんを防ぐには、さらに精緻なシステムを求めるしかないのかもしれないと言い、こう記している。

システム体系におおわれた現代世界にあって、より信頼できるシステムを構築しようとすれば、より均質で、より稠密で、より壮大なシステムを実現するしかないだろう。それには、いいかげんな修理をやったり、リベットを曲げて打つようなアメリカ人に任せず、日本人がやればいい。日本人一般ではなく、可能な限り信頼できる人間に任せれば、さらにいい。

そして言う。「技能のバラつきや品質のムラを、均質化からの裏切りとして排除していくシステム形成の根底にあるものは、いったい何なのだろうか」と。

(フロントラインプレス・高田昌幸

■参考URL
『墜落の夏 日航123便事故全記録』(吉岡忍著)

© FRONTLINE PRESS合同会社