不審な中国漁船の事故から戦争へ発展
あまりに陰鬱な展開に、言葉を失う。
『2034 米中戦争』(二見文庫)はタイトル通り、2034年、「自由の航行」作戦中の米海軍第七艦隊が遭遇した南シナ海沖での「漁船事故」を発端に、米中戦争へ発展。米艦艇が中国海軍に撃沈され、周辺各国をも巻き込み、これ以上ないくらい最悪の結末を引き起こす「未来予測小説」だ。
「米中間で軍事的エスカレーションが高まり、戦術核が複数使用され、計3000万人が命を落とす」
そんな恐怖のシナリオを聞かされれば、「さすがに脅威を煽りすぎでは」と思う向きもあるかもしれない。
だが、本書には「ただの物語と片付けることはできない」理由がある。筆者のエリオット・アッカーマンは八年間、米海兵隊特殊部隊に従軍した経歴を持ち、その後執筆活動に入った人物。もう一人の筆者、ジェイムズ・スタヴリディスは、「第二次大戦以降、米海軍で最も優れた戦略家」と呼ばれ、海軍大将、NATO欧州連合軍最高司令官を務めた人物なのだ。
そのスタヴリディスは本書に関するインタビューで次のように答えている。
小説を書き始めたとき、2050年ごろを想定していたのですが、分析を重ねるうちに13年後に早まりました。それでも軍人や政策担当者からは「良い小説だったが一つだけ問題がある。もっと早く現実のものとなるだろう」と指摘されました。
つまり、米安全保障関係者が「2034年よりも近い将来に起こりうる予想図」と認識していることになる。
原題は「次の世界大戦の小説」
本書は米中に加え、インド、イランのそれぞれの登場人物の立場で見たミクロな視点での、戦争勃発から終結までを、視点を切り替えながら描く。
事は米中の衝突から始まったことではあるが、国際社会全体へ波及していく。イランは中国と連携してアメリカを牽制する役割、インドは米中の仲裁役――ただし日本人が思うような意味ではない――として位置づけられている。そして世界の破滅を望むがごとく立ち回るロシアの影もちらつく。原題が「A Novel of the Next World War」、つまり「次の世界大戦の小説」なのはそれゆえだ。
視点を与えられた彼らの多くは自分のやるべきことを理解し、そのために動こうとしている。事態のエスカレートを防ごうとする人物もいるが、政策決定者たちは物語中の現状を正しく認識できていない。
例えば、米国家安全保障担当大統領補佐官の一人で、インドとアメリカにルーツを持つサンディープ・チョードリという人物。彼のルーツや提言は事態の抑制に役に立つはずだったが、中国との対決を望む同僚に阻まれ、退けられ、彼の提言が採用されることはない。
それぞれの人物による細部のリアリティの積み上げによって、決定的な認識のずれ、判断のミスが積み重なり、誰も望まない事態へと追い込まれていく事態に臨場感を持たせている。物語のお約束的な意味での英雄も登場しないし、「最終的にアメリカ万歳」的なオチも全くない。
――一つでも選択が違っていれば、少なくとも3000万人もの人々が核の熱線で命を落とすことはなかったのに――
読んだ後多くの人はそう思うだろう。
ちなみに、日本人であれば誰もが多少なりと「原爆教育」を受けている。その上では、本書の「核」と「その被害」の描写には疑問を抱かざるを得ない面もあったことを指摘しておきたい。
「同じ未来をたどらないでくれ」
こうした最悪のシナリオは実際に起こりうるのだろうか。もちろん可能性は常に存在している。米中対立は歴史の必然であり、台湾と南シナ海の制圧を狙う中国と、それを阻止したいアメリカの間で軍事的衝突が勃発しかねないほど、圧力が高まっているのは確かだ。
それゆえにこうした小説が「警告」として世に発せられ、安全保障関係者から評価を得る他、あらゆる媒体で「台湾有事発生シミュレーション」なども多く公表されているのであり、それ自体は必要だ。
しかし忘れてはならないのは、米中の対立は必然でも、米中戦争、さらにはその先の核戦争や「第三次世界大戦」は「必然ではない」ことだ。
本書にもこんなやり取りがある。アメリカの二都市が核で壊滅したとの一報が入った、インド人のパテルとイラン人のファルシャッドが居合わせる場でのやり取りだ。
パテルが大きく息を吐いた。「悲劇だな、これは」
ファルシャッドは眉をひそめた。「必然だ」彼は答え、カップに注がれた紅茶から立ち上るきれいに渦を巻いた湯気を吹いた。
「必然か?」パテルは聞いた。「ほんとうか? 避けられなかったと思っているのか?」
今のところ、軍事的な米中間の摩擦はあくまでも「お互いに抑止をかけあっている」状態であり、双方とも「軍事的衝突を望んでいるわけではない」と解説される。「戦わずして勝つ」という「孫子の兵法」以来の戦略を持つ中国だけでなく、アメリカとてそれは同じはずだ。
もちろん、中国の戦争への意志を挫くためのあらゆる施策(外交、経済制裁他)も必要だろう。だがそうした施策はあくまでも、戦争を「回避」するために行われる必要がある。
本書にも、核戦争を最初から望んでいたような人物はいない。しかし結果としてそうなってしまった。ではどの時点の、どの選択が違っていれば核戦争の結末を避けられたのか。事ここに至るずっと前の選択が、こうした結末を招いた可能性はないのか。
「同じ未来をたどらないでくれ」
本書は、今物語の渦中にいる私たちに切実にそう訴えてくるのだ。