【インドネシア全34州の旅】#50 東ヌサトゥンガラ州⑦ アロール島 樹皮で作った服、戦いの舞い

伝統的な絣織り(イカット)や珍しい樹皮製の服、戦闘のような踊り、美しい海でのシュノーケリングやダイビング。コアな旅好きの間ではその名の知られた[(https://www.google.com/maps/place/%E3%83%8C%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB+%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%9C%8C/@-8.2785061,123.7124428,8.74z/data=!4m5!3m4!1s0x2daa82d2073831f3:0x50077f96fbb4d459!8m2!3d-8.2928427!4d124.5528387)アロール島への旅。

文と写真・鍋山俊雄

街中の広場にある銅像

東ヌサトゥンガラ州の最も東側に位置するアロール島。ここから東に向かって、東ティモールを越えると、マルク諸島、その向こうはパプアになる。カラバヒ(Kalabahi)という町を中心とする、人口16万人弱の島だ。面積は東京都ぐらいの大きさだが、山間部には文化も言葉も異なる民族が住んでおり、15以上の言語があるといわれる。伝統的な織物や舞踊を見学したり、美しい海でシュノーケリングやダイビングをしたりと、コアな旅好きにはその名の知られている島だ。このアロール島を4日間かけて旅行した(情報は2015年当時)。

初日はジャカルタを早朝に発つフライトで、東ヌサトゥンガラ州都のティモール島クパンへ飛び、そこから昼過ぎに出るプロペラ機でアロール島まで約1時間。アロール島の空港は島の北端にあり、1日数便しか発着がないので、空港ビルもとても小さい。

簡素な空港ビル

中心のカラバヒは「町」といっても、泊まったホテルの前の通り沿いに商店や教会などある他は、住宅が点在しているだけだ。アンコット(小型バンを改造した乗り合いタクシー)が時折走っている以外に車はほとんどなく、オートバイが中心だ。渋滞とは無縁の街なのだろう。

カラバヒで宿泊したホテル、「Hotel Pelangi Indah」

まずは海沿いの「ママ・レストラン(Resto Mama)」で海を眺めながら、昼食にシーフードを食べた。ホテルにチェックインした後、港近くのパサールへ行ってみた。商店街にはアンコットが停まっていた。

アンコット自体はインドネシアではポピュラーな庶民の足で、ジャカルタなどの大都市のみならず、小さな街でも見かけることが多い。大都市のシンプルなデザインに対して、離島へ行けば行くほど①大きいスピーカーを乗せて大音量の音楽を鳴らしながら走る②コテコテに飾り付けを施すーーのどちらか(あるいは両方)なことがちょくちょくあるのだが、この島では後者だ。フロントガラスにもびっしりと装飾を施し、「これで前がちゃんと見えるのかしら?」と心配になるデザインだ。

フロントガラスまで装飾したアンコット

乗るとこんな感じ

市場で遊ぶ子供たち

翌日、ホテルの向かいにある「モコ博物館」(「Moko Museum」または「Museum 1000 Moko」とも言われる)へ行った。「モコ」と呼ばれる青銅の鼓がたくさん展示してある。一際目を引いたのが、中央にある大きな青銅製の銅鼓だった。これは祭事に使われたのだろうか。

銅鼓は紀元前5世紀ごろにベトナム北部を中心に広がったドンソン文化に起源を持ち、東南アジアにも伝播したとのこと。以前に南スラウェシ州スラヤール島に行った時にも、同じような銅鼓を見た。銅鼓の他には、紺地に紫や赤系統の色の入ったイカット(絣織物)が展示されていた。

伝統村で「輪になって踊ろう」

この後、文化保護区域になっている伝統村を2カ所、ツアーで回った。

最初に訪れたのは、モンバン(Monbang)にあるカボラ民族(Suku Kabola)の村。われわれが到着すると、男性2人が短い刀を構えて決闘の様子を模した舞踊を踊り、その後、ツアー参加者と握手を交わし、村の敷地内へと入れてくれた。

伝統家屋は、茅(alang-alang)で葺いたピラミッド型の屋根に、床には竹を並べて敷いてある。その家の脇には、石を積み上げて地面から一段高くなった舞台があった。踊りの男性はその舞台に上がって太鼓を叩き、その周りを男女が手を繋いで輪になって、歌いながら踊ってくれた。単調なリズムだが、歌って踊る彼らは楽しそうだ。リズムを取る男性は、銅鑼のような円盤を手に持ってバチで叩く人と、日本の太鼓に似た打楽器を2本のバチで叩く人とがいた。

伝統衣装は薄い黄土色で、樹皮を使って製作しているそうだ。男性は腰巻きにし、上半身には樹皮をたすきのようにしてかけ、冠のような帽子を被っている。女性はワンピースのような服を着て髪飾りを付けている。観光客を迎えた時にはこの伝統衣装を身にまとうそうだ。

剣を抜いて威嚇される?

次に訪れたのは、アブイ民族(Suku Abui)の住むタッパラ村(Kampung Tradisional Takpala)だ。海が見える小高い丘の上にある。

村の入口に向かう坂を登って行くと、イカットを身にまとい、頭には鳥の羽をあしらった飾りを付け、弓矢と剣を持った男性が数人、並んでいた。彼らはわれわれと目が合うと、一言二言しゃべり、お辞儀をするような仕草を見せた後、いきなり甲高い声で叫びながら、剣を抜いて構えて威嚇(のように私には見えた)し始めた。

「おっ?」と思ったが、彼らはそのまま叫びながら後ずさりしていく。村の中では銅鼓を叩いているのだろうか、音階の違う2つの打楽器の音がリズムよく鳴り響いている。

入口まで着くと、先ほどの男性が剣を構えて「威嚇」する後ろで、女性たちも同じような構えでわれわれを向いて、飛び跳ねている。あまり「歓迎」という感じでなかったが、すぐに彼らは構えを解いて、村に招き入れてくれた。隔絶された山中では、こうして外敵に備えていたのだろうか。

さて今度は、女性が肩を組んで輪になり、歌いながらゆっくりと踊り始めた。レゴレゴ(Lego-Lego)というダンスだ。先ほどのカボラ民族と同じように輪になって踊るのだが、女性は片足のくるぶしに金属の輪を付けている。ゆったりとした足の動きに合わせて、輪の触れ合う音がシャリーンと響く。不思議な雰囲気の中、思わず見入ってしまった。

踊りを見せてくれた後は、写真撮影。それから、工芸品の展示即売会になった。ここの伝統家屋もカボラ民族の家屋に形が似ており、ピラミッド型の屋根をしている。その横で、イカットや首飾りなどが地面に並べられた。

先ほど踊っていた女性たちが工芸品の販売を始めた

2つの村を見た後で、山の中を通り抜ける際に、伝統家屋ではない民家も見かけた。トタン屋根の平屋建てなのだが、壁には様々なパターンがある。ブロックを積み上げた壁、板張りの壁に混じって、格子状に竹を編み込んだ壁の家をポツポツ見かけた。色を変えて編み込んであり、なかなかしゃれたデザインだ。

このようなしゃれた壁の家が多い

続いて訪れたのは、山の中にあるトゥティ温泉(Air Panas Bumi Tuti)。硫黄成分により、周囲の岩が黄色や茶褐色に変色しており、所々から温泉が吹き出している。

あちこちから熱水が吹き上がる### ジュゴンのいる海

翌3日目は島の西側のアロール・クチルでシュノーケリングをした。

ボートでまず立ち寄ったのは、真珠の養殖場だ。海上に筏のように足場を組んで真珠の養殖がされているそうで、筏状の枠にくくり付けてある貝を引き上げて見せてくれた。それから向かいのヌハケパ島(Pulau Nuhakepa)に荷物を置き、その海岸沿いに広がるサンゴ礁でシュノーケリングを楽しんだ。

真珠養殖場

この青い海でシュノーケリング

アロール・クチルに戻って昼食。目の前にはパンタル海峡が広がり、マル山(Gunung Maru)のあるプラ島(Pulau Pura)とその後ろのパンタル島(Pulau Pantar)が見える。このパンタル島の向こうには、伝統捕鯨を続けるラマレラ村のあるルンバタ島がある。

アロール島周辺にはダイビングスポットがたくさんあり、野生のジュゴンも見られるらしい。フローレス島のララントゥカから、アイランドホッピングをしながらアロール島まで来ることも可能だ。

翌4日目は日曜日。早起きして午前6時ごろから街を歩いてみた。まだ涼しい中、散歩をしている人たちが多い。空き地では子供たちがサッカーをしている。初日に昼食を取ったレストランのテラスへ行ってみると、朝もやの中に浮かび上がる向こう岸の景色は幻想的だった。日曜朝にはミサがあるため、教会の中からは歌声が聞こえてくる。朝食後に空港に向かい、再びクパン経由でジャカルタに帰った。

教会から賛美歌の歌声が聞こえてきた

レストランのテラスからの幻想的な風景

地方政府はアロール島の観光資源開発に力を入れているという。伝統村を訪れて民族の舞踊を見学するような場合は、今回のようにツアーに参加した方が効率的だ。次回は美しい海に焦点を当てて、ダイビングのために再訪したい島だ。

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