「アンチ日本国紀」活動に加勢した国会議員
9カ月間、編集を手がけてきた百田尚樹さん著『[新版]日本国紀』(幻冬舎文庫)が、11月17日にようやく発売の運びとなった。発売と同時に全国の大型書店で売り上げトップとなり、即日に重版が決まって、いま少しホッとしている。
3年前の単行本『日本国紀』は65万部のベストセラーとなったが、今回は大幅に加筆したとはいえ、その既刊本の文庫化という位置づけゆえ、どのぐらい売れるかを著者も版元も案じていた。ひとまず成功といえる結果を見たが、これもひとえに、本誌『Hanada』の読者の皆様はじめ、歴史認識を正しくしたいと思う方々のお蔭である。この場を借りて深く感謝を申し上げたい。
いま、あらためて『日本国紀』にまつわる現象から見えてくるものを少し書いていく。文庫版発売のちょうど1カ月前、ネット書店で予約が開始された時には、その日のうちに、最大手のアマゾンで本の売れ筋総合ランキング1位に躍り出た。
ただしこの現象は、3年前の単行本『日本国紀』でも経験していたので、今回、版元の幻冬舎も落ち着いていた。前回の経験から、初版部数をそれなりに確保しつつ適時に重版をする、たしかな「見通し」を持っていたといえるが、私の目から見ると、相当に静かで慎重な構えという印象でもあった。
というのも、前回は発売と同時に激しい「アンチ日本国紀」活動が始まり、版元もかなりの攻撃を受けたからである。
3年前の「アンチ日本国紀」活動は実に凄まじいものだった。
主導したのは、おなじみの左派文化人らだが(一部の保守系人士も攻撃に加勢した)、本そのものや著者、編集者である私にケチを付けるだけでは足らず、特定の大型書店に対する「不買運動」まで起こされたのには驚いた。加えて驚いたのは、その「アンチ」勢のなかに、与野党の国会議員が混じっていたことである。
どんなポンコツ議員だろうが、いやしくも国会議員のバッジを付けた者が民間人の表現物へのネガティブキャンペーンに加担するとは、想像を絶する「頭の悪さ」である。イデオロギーの左右を問わず、こういう人間に権力を持たせたら、たちまち国民の表現の自由を抑圧するにちがいない。
しかしいまのところは、いずれも与野党の「一票要員」に過ぎないので、直ちにその心配はないのが救いである。
この情けない一票要員議員らは別にしても、『[新版]日本国紀』を読み返すと、あらためて、いまの国会議員の不見識と頼りなさを思い知らされる。私たちはつい、「野党議員に比べたら自民党の議員はマシ」だなどと思いがちだが、この甘やかしは禁物である。
早々の白旗か? 「中国様に寄り添う」中谷元
折しもいま、岸田政権が鳴り物入りで任命した「国際人権担当補佐官」の中谷元氏が、中国等の人権弾圧に対する「制裁法には慎重」な構えだと報じられている。
産経新聞の記事によると、中谷氏は「一方的に価値観を押し付けて制裁するやり方も一つだが、寄り添って問題を解決する役割を日本は期待されている。紛争を助長したり、事を荒立てたりするのがすべてではない」と述べたそうだ。
結局、いままでどおりの「中国様に寄り添う対応」ということである。
総選挙前には、中谷氏は「人権外交を超党派で考える議員連盟」の共同代表として、日本版マグニツキー法(人権侵害への制裁法)の制定を訴えていたと記憶しているが、あれは単なる「やってます」ポーズだったのだろうか。
立場が変われば、威勢のいいことは言いにくいのかもしれないが、私が理解できないのは、なぜ就任早々、自身の限界をわざわざ表明するのか、ということだ。この表明ははたして、日本国民に対するものか、それとも北京に対する「ご安心あれ」のご挨拶なのか。
中谷補佐官には、ぜひとも『[新版]日本国紀〈下〉』の154ページからのくだりをお読みいただきたい。そこには、1919年、第一次世界大戦後の「パリ講和会議」において「国際連盟」の設立が話し合われた際、日本が「人種差別禁止」の規約を入れるよう主張した旨が書かれている。
欧米列強が世界中の有色人種の地を植民地としていた当時、これを主張することがどれほどの勇気と見識の要ることだったか。先人のこの振る舞いに比して、中谷補佐官の「早々の白旗」はあまりにも残念な所業ではないか。
この調子では、岸田政権での「人権外交」も「憲法改正」も期待できそうもない。しかし日本の政治家のグダグダとは関係なく、近い将来、わが国は存亡の危機に直面するだろう。その時、私たち国民が「日本という国をなぜ守らなければならないか」を考える――『日本国紀[新版]』がそのための良きテキストであらん、と願うばかりである。
(初出:月刊『Hanada』2022年1月号)