【日本政治とイデオロギーを再検証】 安倍政権は超リベラル政権だった|藤原かずえ 「保守」とは何か。「リベラル」とは何か。日本ではイデオロギーの定義が誤解されているため、政党のイデオロギーを適正に問う実質的な議論は行われてこなかった。政治の根本的な問題点を解決するために、いまこそ、主要政党のイデオロギーを再チェックすることが重要だ。

主権国家のイデオロギーとは何か

図-1 主権国家のイデオロギー

2021年衆院選では、これまで政府批判に終始してきた立憲民主党と日本共産党が議席を減らし、政策議論を展開してきた日本維新の会と国民民主党が議席を増やすなど、各党の国会勢力に変化があり、国民の政党選択の考え方にポジティヴな転換があった可能性があります。

新しい時代の到来を微妙に感じるいま、本稿では基本に立ち戻り、日本の主要政党の【イデオロギー ideology】を再チェックすることによって、日本政治の議論を建設的に進めていくに資する対立軸について論じてみたいと思います。

主権国家のイデオロギーは、国民の【基本的人権 fundamental human rights】である【自由権 civil liber-ties】【社会権 social rights】を政治および経済の観点でそれぞれ対立させた【政治的統制 political control】【経済的統制 economic control】という2つの対立軸によって定義されます(図-1)。

ここで自由権とは、国民が国家の統制から逃れる権利であり、【機会の平等 equality of opportunity】を促進するものです。一方、社会権とは国民が国家の統制を求める権利であり、【結果の平等 equality of outcome】を促進するものです。

内政に関するイデオロギーは、【保守主義 conservatism】 【ポピュリズム populism】 【リバタリアニズム libertarianism】 【リベラリズム libe-ralism】 【中道主義 centrism】という5つに区分されます。

ちなみに、【全体主義 totalita-rianism】というのはポピュリズムの極端な理念です。

なお、経済的統制軸における自由権と社会権の強度の差で区分されるイデオロギーとして、経済的自由権を完全に尊重する【古典的自由主義(市場原理主義) classical liberalism】、古典的自由主義に対し必要最小限の社会権を確保する【新自由主義 neo-liberalism】、古典的自由主義に対し一定程度の社会権を確保する【社会自由主義 social liberalism/new liberalism/ modern liberalism】、経済的社会権を完全に尊重する【社会主義 socialism】があります。

また、経済的統制のうち財産権を根拠にして対立するイデオロギーとして、財産の私有を肯定して機会の平等を尊重する【資本主義 capitalism】と、財産の私有を否定して結果の平等を尊重する【共産主義 commu-nism】があります。

世界各国を見ると、たとえば個人の自由と社会保障が確保されている北欧諸国はリベラリズム、政治的にも経済的にも自由がない中国・北朝鮮・旧ソ連はポピュリズムの極端な形である全体主義、親日の精神的自由がなく徴兵制がある古典的自由主義の韓国は保守主義です。

新自由主義経済を推進したサッチャー政権とレーガン政権は、強いリーダーの印象から政治的統制が強い保守主義と認定されがちですが、彼ら自身は個人の自由を尊重したリバタリアニズムを宣言していました。

文化的統制と政治的統制

図-2 主権国家のイデオロギー(3軸)

ここまでは、政治的統制と経済的統制という2つの軸に沿ってイデオロギーを整理してきましたが、ここでは【人格権 personality rights】という国家に対する国民の権利に基づく【文化的統制 cultural control】という3つ目の軸について整理したいと思います。

文化的統制の軸は、精神的・身体的な観点で人格権をめぐり、文化的な偏見から人格を保護するために法の介入を求める文化的自由権と、文化的な伝統・秩序・認識に基づき法の介入を求める文化的社会権を対立させたものです。この2つのイデオロギーは、それぞれ【革新主義(進歩主義) progressivism】【伝統主義 traditionalism】に対応します(図-2)。

人格権には、プライバシー権・肖像権、身体・性・健康に関する人格権などがあり、特に近年では、LGBT・夫婦別姓等の性別にかかわる人格権が文化的な対立を生んでいます。

また、人格権とは異なるものの、女系天皇・女性天皇に関する問題も文化的な対立と言えます。

ここで重要なのは、文化的統制を政治的統制と混同しないことです。国民の自由権と社会権に関係する政治的統制は国家と国民の問題であるのに対して、国民の人格権に関係する文化的統制は国民と国民の問題であり、国家は調整役に過ぎません。

間違いやすい【独裁主義】

政治的イデオロギーと非常に混同されやすいのが、国家の【政治体制 political system】です。政治体制はイデオロギーとは本質的には無関係であり、【被治者 the ruled】である国民を統治する【治者 the ruler】が誰であるかによって決まります。

すなわち、治者が被治者と同じ国民である【民主主義 democracy】、治者が特定の私人である【専制主義 autocracy】、治者が国王/首長である【絶対君主主義 absolute monar-chy】などがあります。

さらに間違いやすいのですが、【独裁主義 despotism】は民主主義の一形態であり、国民によって合法的に選ばれた代表が強大な権力を持つ政治体制です。

この独裁主義の代表と全体主義の代表と専制主義の治者は、被治者である国民の自由権と社会権を容易に奪い、私的な目的で国民を支配することが可能となります。このように、被治者の自由権を強く制限した政治体制を【権威主義 authoritarianism】と言います。

以上、政治イデオロギーと政治体制について明確にまとめてきましたが、以降は日本の主要政党について分析していきたいと思います。

異論を完全否定する日本共産党

「資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革」を綱領で謳う日本共産党は、国民の自由権を制限して社会権を保障する政治的・経済的統制をイデオロギーとするポピュリズム政党です。

「生産手段の社会化を国民同意の下に行う」とするスタンスは民主主義と矛盾しませんが、明らかに不信任が困難な信任投票をもって、志位和夫委員長が21年もの長期間にわたって党の支配を続ける独裁体制は、ソ連・中国・北朝鮮等の専制主義体制と類似しています。

留意する必要がある点として、専制主義体制を持つ閉じた全体主義社会では、治者が被治者の代表であると宣言し、それを言論の自由がない被治者に立証させれば、外部からは検証不可能な民主主義社会が形式上成立することです。多くの権威主義国家は、このカラクリを使って国民を不当に統治しています。

さらには、議長を15年歴任した宮本顕治氏、委員長・議長を20年以上歴任した不破哲三氏など、特定の人物が長期にわたって共産党のトップとして君臨し続けるのは、共産主義の指導者は絶対に間違えることがないという【無謬性 infallibility】を前提としているためであり、一度トップに君臨するとその存在を否定することができなくなり、権威主義のトップと同様、終身支配者として君臨し続けることになります。

そして、共産党はこの無謬性ゆえに政策の多様性を認めることなく、異論を完全否定するのです。

自衛隊に対しては、「アメリカ帝国主義」の「世界戦略の一翼を担わされている」という認識であり、「解消(憲法第9条の完全実施)」を目標にしています。その一方、共産党は平和主義を訴えるだけで、暴力装置についてはけっして言及することはありません。一般に、ポピュリズム政党は不都合なことを語りません。

また、天皇については「民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべき」として、廃止を目標にしています。

共産党の見解とは異なり、天皇は太古の昔より治者ではなく象徴であるため、民主主義との両立には矛盾しないばかりか、むしろ日本における専制主義や絶対主義を排除してきた存在と言えます。しかしながら、「帝国主義打倒」というスローガンでその存在意義をプロパガンダしてきた共産党にとって、天皇はあってはならない存在なのです。

世紀の失政を繰り広げた民主党政権

次に、立憲民主党のイデオロギーについて詳しく分析してみたいと思います。立憲民主党のイデオロギーを理解するには、1990年以降の「政界再編」という名の離合集散の経緯を辿るのが肝要です。

天安門事件、ソ連崩壊、バブル崩壊といったイベントを経て新時代に入った日本の政治は、親中で公共事業推進の「大きな政府」を志向する自民党田中派の後継である竹下派の全盛時代でしたが、選挙制度改革を求める小沢一郎氏を中心とする竹下派の一部議員は自民党を離党し、親北朝鮮の日本社会党の一部と合流することで、非自民・非共産の細川・羽田政権を樹立するに至りました。

すると今度は、自民党、社会党、そして新党さきがけが自社さ政権を樹立して、これに対抗しました。この新党さきがけも、竹下派の鳩山由紀夫氏などの自民党議員と菅直人氏などの社会党系議員が合流したものです(日本新党系の枝野幸男氏も参加)。

このように、この時代の主流は、自民党竹下派議員と社会党系議員が中心となって手を組んだ社会自由主義のイデオロギーを持つ親中・親北朝鮮の「大きな政府」であったと言えます。この間、中国は日本のODAを利用してすくすくと成長していきます。

自社さ政権のあと、再び竹下派が支配する自民党単独政権(橋本政権)が成立すると、少なからず政権を経験した野党勢力は結集し、政権交代可能な「民主中道」を基本理念とすると謳った民主党を結党しました。

やがて2000年代に入ると、自民党竹下派の支配は終わり、「自民党をぶっ壊す」というスローガンを掲げた小泉純一郎氏が新自由主義の「小さな政府」を運営します。「私の内閣の方針に反対する勢力、これは全て抵抗勢力だ」と宣言して、敵を造った劇場型政治は国民を熱狂させました。

小沢氏・鳩山氏・菅氏をリーダーとする民主党は、この衆愚政治の手法をまね、「コンクリートから人へ」というスローガンを理念とする実現可能性のないマニフェストを国民に大宣伝して、政権交代を実現しました。

民主党政権は、経済面では生産者を冷遇して消費者を優遇する成長なき分配政策で経済的社会権を約束する大きな政府でしたが、無駄の排除で捻出できると宣言していた財源が実際には確保できず、次々と公約を断念、強力なデフレと水膨れ予算により急激に財政は悪化し、最後には約束してもいない増税を決定するに至りました。

また、政治面では東日本大震災に際して、福島第一原発の周辺住民を不必要に強制退避させて大量の震災関連死を発生させるという大失敗を犯し、日本中の原発を半強制的に停止させ、しかも無計画な再生エネルギーへの補助金投入で、国富の流出と電気料金の大幅値上げを招きました。

民主党政権は、政治的統制を強めたにもかかわらず、精神的・身体的社会権に加えて、経済的社会権まで国民から奪ってしまったのです。

小池百合子に「排除」されて誕生した立民

さらに外交面では、大デリゲーションの小沢訪中団と普天間基地の辺野古移転の迷走で米国との関係が悪化、日本の周辺諸国はこの混乱に乗じ、ロシア大統領国後島訪問、韓国大統領竹島訪問、中国人尖閣諸島上陸など、次々と露骨に日本領土に侵入しました。

このように世紀の失政を繰り広げた民主党政権は、実現不可能な選挙公約で人気取りをして政治的統制と経済的統制を計画性なしに強めたポピュリズム政権でしたが、これは自民党竹下派と社会党のイデオロギーを継承するものでした。

政権から下野した民主党は、55年体制の社会党のように政府の政策に反対するだけの「反対政党」となり、日米同盟に基づく新時代の日本の安全保障の根幹ともいえる平和安全法制を暴力で阻止する姿勢を見せるに至りました。

民主党も本質的には共産党と同様、無謬性を主張して多様な考えを完全否定する全体主義政党なのです。民主党は民進党と党名を変え、ヒステリックに政権を人格攻撃する蓮舫代表の下で衰退を続けていきます。

そんななか、夜のニュースショーと昼のワイドショーに彗星のように登場して大ブームを生んだ小池百合子氏が、安保法制を支持して小さな政府を目指す保守主義の希望の党を2017年衆院選前に立ち上げると、大量の議員が民進党を離党し、イデオロギーが全く異なるにもかかわらず、選挙目当てで新党に合流したのです。この際に、イデオロギーを根拠に小池氏に「排除」された自称リベラル議員が創ったのが立憲民主党です。

ここで意外にも、小池氏の「排除」発言で希望の党は急失速し、綱領もない立憲民主党が躍進しました。すると、今度は選挙目当てで希望の党に入党した議員が再び希望の党あるいはその後継の国民民主党を離党し、立憲民主党に入党したのです。最後には、別経由で小沢一郎氏も入党しました。

結局、立憲民主党という政党は、社会主義に近いイデオロギーを持つ議員と、イデオロギーを持たずに政府批判とスキャンダル追及に終始する選挙目当ての議員の寄り合い所帯なのです。

ゼロコロナは究極の全体主義政策

立憲民主党は、2021年のコロナ禍においてゼロコロナ政策という強権発動を政府に要求しました。これは、強い政治的統制によるロックダウンと強い経済的統制による休業の補償を行う政策であり、個人の自由権(精神的・身体的・経済的自由)を奪うと同時に膨大なコストをかけて個人の社会権(生存権・健康権)を保障するものであり、中国などの全体主義国家が行っている究極の全体主義政策です。

しかしながら、この政策によって社会権を保障するのは不可能であるとともに不必要であることが明確に判明します。

東京五輪の選手村では、選手が毎日コロナの検査を受けました。選手はコロナ陽性の場合、五輪に出場できなくなるため、自己管理を徹底しましたが、それでも東京の市中感染率と同程度の陽性者が発生するに至りました。

このように徹底管理された閉じたバブル空間でも陽性者は一定数発生することから、検査の徹底による感染抑止の効果が低いことは自明であり、ましてや管理されていない日本国民全員に対してロックダウンと高頻度の検査を強要したところで、やはり感染抑止の効果は低いのです。つまり、ゼロコロナ政策による感染抑止は事実上不可能であるということです。

一方、東京五輪の開催前からコロナ第五波の実効再生産数(発症ベース)は急減し、その後、人流が増えても実効再生産数は減り続け、ロックダウンと高頻度の検査なしで事実上のゼロコロナが達成されました。つまり、ゼロコロナ政策はもともと不必要だったのです。

立憲民主党と共産党は、東京五輪についてもコロナを理由に中止を求めました。感染メカニズムが不明のなか、彼らは単なる思い付きで、選手や世界中の人々の精神的・身体的自由を奪う厳しい制限を求めたのです。

理に適った立憲民主党と共産党の共闘

このように、いざという緊急時に安易に強権を発動して国民を統制するのは、全体主義者の行動パターンに他なりません。民主党政権による東日本大震災への対応もそうでしたが、自己を無謬と考える彼らは、自己の政策が間違えることを想定していないのです。

ちなみに、立憲民主党や共産党がその権力の暴走を危惧している自民党政権は、コロナ禍を通して権力の行使に極めて慎重な姿勢を見せ、個人の自由意志に基づく自粛を対策の前提にしました。4回にわたった緊急事態宣言は、いずれも国民の強い世論に従って発出するに至ったものです。

こうした全体主義政党の立憲民主党と共産党が2021年衆院選で共闘したのは、イデオロギー面からみても理に適っています。両党は、政府のウィズコロナを否定し、ゼロコロナを前提とする給付金・大規模検査を含む2021年度予算の組み換え案を共同提案するなど、すでに政策面でも一体化していました。

なお、彼らは自らを「リベラル政党」と名乗っていますが、これは妥当ではありません。彼らは文化的統制軸におけるLGBTや夫婦別姓にかかわる人格権への関心を強く主張することで、政治的統制軸における自由権を主張しているかのように見せかけているのです。

先に示したとおり、人格権は国家と国民の問題であり、自由権は政府と国民の問題であるので、問題の所在が異なります。ここに大きな【レトリック rhetoric】が存在するわけです。

立憲民主党の泉健太新代表の選出によって、立憲民主党の政治スタンスに変化が生じて共産党との距離を拡げる可能性はあります。しかしながら、共産党がその行動を許容するかは別問題です。

そもそも、共産党支持者に選挙協力だけさせて、当選後無視するようなことがあるとすれば、それは有権者に対する背信行為であり、国民の代表がとるべき行動とは言えません。

その一方で、すでに共産党は、衆院選の選挙区で当選した立憲民主党の議員にとって、なくてはならない存在となっています。2015年、民主党の前原誠司氏は、共産党との選挙協力について「共産党の本質はシロアリ」と発言し、当時の枝野幹事長が謝罪したことがあります。少なくとも来年の参院選までには、この発言の真偽が明らかになるものと考えられます。

安倍政権とリバタリアン政党・維新

日本維新の会 衆院選マニュフェスト2021

自民党政権を経済的観点から小さな政府とするのは大きな誤解で、田中角栄氏が登場して自民党を支配して以来、財政構造改革を明言した橋本政権と小泉政権を除けば、ほとんどの政権が大きな政府であったと言えます。

たとえば、立憲民主党、共産党、そして岸田首相までもが新自由主義と認定する安倍政権は、実際には失業率と自殺率を過去最低レベルに抑えた超リベラル政権であり、政権担当時に中央銀行である日銀は(政府から形式上は独立しているとはいえ)、ETF買いによって国内株式市場の最大株主となりました。

また、タカ派のイメージを植え付けられているなか、安倍政権の政治的統制は非常に弱く、平和安全法制を中心とする一連の安全保障関連法も、個人の自由をほとんど制限しないものでした。また、コロナ対策の【厳格度インデックス Stringency Index】も世界最低レベル、つまり日本は個人の自由権が最も守られた国のひとつであったと言えます。

立憲民主党や共産党・メディア・活動家によって、自民党は戦前回帰した保守主義を突き進む右翼のように政治宣伝されていますが、世界的に見れば極めてリベラルな政党であると言えます。ここに、日本国民の大きな勘違いがあるのです。

大阪府の地域政党である大阪維新の会を母体として結党された国政政党の日本維新の会は、大阪維新の会の大阪における財政構造改革をモデルとした小さな政府と地方分権を主張しているリバタリアン政党です。

コロナ対応においては、吉村洋文府知事がメリハリの効いた機動性に富んだ対策を論理的に実行したことが評価されたことなどもあり、2021年衆院選では議席を四倍近くまで増やす大躍進を遂げました。

論理に基づく政策を立案すると同時に、是々非々で国会対応する日本維新の会の政治スタンスは、これまでの日本の政党にはなかったものであり、自民党よりもやや右に位置する世界標準のリバタリアン政党として、政権交代が可能な政党に成長する可能性を十分に持っていると考えます。

国民民主党はリベラル政党

図-3 日本の主要政党のイデオロギー

国民民主党は、あくまでも概して言えば、2017年衆院選後に参議院を中心とする民進党議員と大半の希望の党議員が合流して結党し、その後に立憲民主党に合流することなく最後まで残った議員で構成されている党です。

玉木雄一郎代表が反共産の中道主義を打ち出していますが、連合の旧同盟系と連携できれば、偽リベラル政党として居座る立憲民主党に代わる世界標準のリベラル政党として、政権交代が可能な政党に成長する可能性を十分に持っていると考えます。

いずれにしても重要なのは、論理的な国会議論を継続的に行うことによって、その存在を国民や支援団体に認識させることです。以上の分析結果を基に主要各党の内政に関するイデオロギーをプロットすると、図-3のようになります。

今後の世界の情報の動きを考えるに、ますます情報量は増え、その変動は多様になることが予測されます。このような状況においてまず言えることは、他者の意見に耳を貸さず、無謬性をふりかざして、人格攻撃や揚げ足取りに終始するような政党は必要ではない、ということです。

いまこそ各政党のイデオロギーを見極めよ!

今後の政治にとって必要なのは、常に他者の意見を参考にしながら自己の意見の確認・修正を行い、緊張感をもって論理的な議論に終始する複数の政治勢力が、多量で多様な情報を迅速に処理して合理的な意思決定を行うというプロセスです。

その意味で、中道の自由民主党、リバタリアンの日本維新の会、リベラルの国民民主党が作るイデオロギーのトライアングルは、国民の現実的な選択肢の範囲になる可能性があります。

どの位置のイデオロギーを選択するかは政党への投票行動によります。自民のイデオロギーを望むのであれば、自民に多くの投票を集中すればよいことになりますし、維新と国民のハイブリッド政権を望むのであれば、両党への期待に応じて投票することで、イデオロギーの位置を制御することができます。

加えて、小さな政府が創出した財源を大きな政府が有効に使うという【アウフヘーベン Aufheben】も期待できないわけではありません。

以上、本稿では日本の主要政党のイデオロギーを再チェックすることによって、日本政治の議論を建設的に進めていくに資する対立軸について論じました。日本ではイデオロギーの定義が誤解されているため、政党のイデオロギーを適正に問う実質的な議論は行われてきませんでした。しかしながら、政治の根本的な問題点を解決していくためには、イデオロギーの議論を欠かすことはできません。

残念ながら、日本国の成長が止まっている大きな理由のひとつとして、国会議論を妨害する全体主義の政治勢力がいまだに存在し、政策議論を停滞させていることが挙げられます。いまこそ国民は各政党のイデオロギーを見極め、現実的な政策政党を取捨選択する時に来ていると考える次第です。

著者略歴

藤原かずえ

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