開幕ローテ入りも初先発で右肘がプチッ… DeNA右腕の後悔とリハビリで得た未来像

DeNA・平良拳太郎【写真:荒川祐史】

巨人との開幕3戦目に先発も、6回に右肘の違和感で降板「期待してもらったのに」

トミー・ジョン手術(右肘内側側副靱帯再建手術)を受けてから半年後の12月9日、育成選手としてDeNAと再契約した平良拳太郎の顔には晴れやかな表情が浮かんでいた。

「手術をすると決めてから後ろを向くことはなかったですし、体を強くすることだけを考えて日々トレーニングできている。手術から半年経ちますけど、充実した毎日を過ごしています」

まさかの2021年だった。

今季初先発した3月28日、敵地・巨人戦。移籍5年目を迎える平良は、古巣を相手にテンポよくアウトの山を築いていた。5回を投げ終えて1人も出塁を許さないパーフェクト。だが、6回に先頭・大城卓三に初球シンカーをセンターに弾き返された直後、右肘の違和感を訴えて降板した。

「その前の回にプチッて感じがあったんですよね」

とは言うものの、肘の違和感とは長い付き合いになる。「小学生くらいからずっと、肘自体は毎年どこかしらで痛くなっていたので、上手く付き合いながらやっていくものだと思っていました」。いつも通りに治療と準備を重ね、中10日を空けて臨んだ4月8日の敵地・中日戦。わずか1球で事の重大さに気が付いた。

先頭・大島洋平への初球ストレートの球速は、いつもの140キロ台には程遠い134キロだった。

「やっぱり肘をかばっているなと思いましたし、周りから見ていてもおかしかったと言われます。あの時は、たまたま打球が良いところに飛んでくれて、5回を1失点に抑えることができましたけど、投げながら、これでは後ろで守ってくれる仲間に迷惑が掛かってしまうと思っていました」

山口俊の人的補償として2017年に加入して以来、故障に泣かされ続けた。ようやく開幕ローテ入りした2020年は14試合に先発し、4勝6敗と勝ち星こそ伸びなかったものの好投が続き、防御率は2.27。「ある程度の成績は残せた」と手応えを感じていた。

先発ローテを守り抜く意気込みで迎えた今季。キャンプやオープン戦で思うような結果を出せなかったが、三浦大輔監督から任されたのは開幕3戦目の先発マウンドだった。

「監督、コーチ、球団の方々に感謝を持ってローテを守ろうという気持ちでした。期待してもらったのに、2試合しか投げられなかったのが悔しいですね」

自分と向き合う時間で気付いた「強さ」の重要性

時間が経てば痛みが引くかもしれないと淡い望みを抱くも、病院で見たエコー画像では明らかに靱帯部分が緩んでいる。さらには、最後に投げた中日戦では「100の力で投げることができなかった」。全力を出さずに乗り切れるほどプロの世界は甘くない。決心するまで2か月を要したが、手術を受けることにした。

今でこそ、トミー・ジョン手術という言葉はよく聞くが、実際に手術を受けるとなれば話は別。「正直、どういう手術かあまり理解できていなかったです」という平良にとって大きな支えとなったのが、田中健二朗と東克樹からのアドバイスだった。田中健は2019年、東は2020年に同手術を受け、今季揃って1軍復帰を果たしている。

「手術した人の意見はすごく大事にしました。2人の話を聞いて、これはもう受けた方がいいと。手術後の様子も間近で見ていたので、何が起こるのか、ある程度分かっている。『こういうものだよ』と教えてもらったので、だいぶ気持ちが楽になりました」

手術後は4か月ほどボールを握らない日々を過ごした。「シャドウとか腕を振ることもダメ。小学生で野球を始めてから、そんなことはなかったので辛い部分でした」と振り返る。野球をしたくてもできない時間は、色々なことに想いを巡らせた。

「この半年は自分を見つめ直す時間でしたね。まず、この年齢まで野球を続けていられることに感謝しました。色々な人に支えられて野球ができていた。高校から巨人にドラフトされて、ベイスターズに移籍して、なかなか濃い8年を過ごせている。でも、やっぱり怪我が多いと感じるので、リハビリ中に1年しっかりローテを守れる強い体にしようと決めました」

怪我なく長いキャリアを送っている選手のことを考えた時、「みんな体がしっかりしている」ことに気が付いた。巨人時代、一緒に自主トレをした内海哲也は「メチャクチャ体がデカいのに凄く走れるし、体幹も強かった」という。「あの時、『いっぱい食えよ』と食べさせてもらっていたんですけど、食べるのが辛くて(笑)。ただ、今思えば、そういうことが体作りに繋がっているんじゃないかと思います」。手術後は大きくても動ける体を目指し、良質な食事を「しっかり食べてしっかりトレーニング」。その結果、5キロの増量に成功した。

強い体で目指すのは、球の強さが際立つピッチングだ。コントロール良く低めに集めるスタイルを変えるつもりはない。

「低めの制球でボール自体に強さがあったり、あと1キロでも2キロでも球速が上がれば、バッターが嫌がってくれるんじゃないかと。ピッチングの幅が広がって、真っ直ぐを使って効果的に攻められる。体もピッチングも強さを出していきたいですね」

気持ちが楽になった大家コーチからの言葉「ま、そんなもんだよ」

キャッチボールが解禁となり、今では40メートルの距離を投げている。4か月ぶりにボールを持って腕を振った時は「肘が怖かったです」というが、翌日張りを感じたのは肩だった。肘の状態は上向きの時もあれば、後戻りしたように感じる時もある。だが、こういった反応も「ある程度は予測できていました」と落ち着いたもの。ここでも田中健や東のアドバイスが生きている。

斎藤隆チーフ投手コーチには「3歩進んで2歩下がる、の繰り返しだから地道にいこう」と声を掛けられた。ファームを担当する大家友和投手コーチからの言葉にも救われた思いがする。

「『ま、そんなもんだよ』って言われて、少し気持ちが楽になりました。『みんなそんなもんだから焦らなくていい。みんなこの道を通ってきてるから』って。大丈夫なのか少し不安だった中で、その言葉が印象に残っています」

来年は育成選手として、1軍復帰を目指しながらリハビリに励む。背番号は「59」に「0」が加わり「059」となった。支配下契約、そして1軍復帰を見据えた球団の配慮に「感謝しています」と話す。

「復帰までは手術後、早くても1年はかかる。チームとして戦う上で僕が登録枠を1つ無駄に使うわけにはいかないと思っていたので、育成契約になることは全然嫌ではなかったです。まず、手術させてもらったことに感謝の気持ちでいっぱいですし、治してからが勝負。しっかり治して、チームに貢献して勝てる投球ができるようになることを目指していきます」

終始スッキリした表情で話す平良の視界に映るのは、再び1軍のマウンドで投げる未来の自分の姿だ。

「性格的なものもありますけど(笑)、ここまで来たら後ろは向いていられない。勝手に前を向けるような恵まれた環境にいられることにも感謝ですね」

支えてくれる全ての人へ感謝の気持ちを忘れずに、手術前よりも強い体、強い球、強い心を携えて、必ず横浜スタジアムのマウンドに戻ってみせる。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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