開示されたくないから公文書を作らない/官僚の病理に切り込んだ調査報道 毎日新聞(2014年) [ 調査報道アーカイブス No.71 ]

◆黒塗り、改ざん…そもそも公文書を作成せず

情報開示請求によって公文書を入手すると、黒塗りがある。その黒い部分は年々拡大され、今や全面真っ黒もしばしば目にするようになった。これを揶揄して「のり弁」と言う。近年では「黒く塗って隠す」だけでなく、「改ざん」もしばしば見られる。さらに、そもそも公文書を残さないケースも再三露見するようになってきた。

公文書を残していないことが暴かれた初期の代表例は、安倍政権による「解釈改憲」だろう。明るみにしたのは毎日新聞。どういう内容だったのか。少し振り返ってみよう。

安倍政権は2014年7月、「憲法9条が存在する以上、集団的自衛権は行使できない」とする歴代政権の方針を覆し、閣議決定で集団的自衛権を容認した。この閣議決定に基づき、2015年9月には安全保障関連法が成立。「専守防衛」を事実上捨て、自衛隊の海外派兵に道を開いた。この決定は「日本を戦争ができる国にするのか」「戦後政治の一大転換だ」といった厳しい批判を浴びた。憲法を改正しないと不可能だと言われてきた国の方針転換を、一内閣の閣議決定でひっくり返したのだから、批判も当然と言えた。

日本国憲法(国立公文書館)

この閣議決定に大きな影響を与えたのが、内閣法制局の判断である。法制局は「法の番人」と呼ばれ、法令が憲法に反していないかどうかなどを厳しくチェックする。歴代政権が「憲法9条がある以上、集団的自衛権を行使できない」との立場を堅持したのも、法制局が「集団的自衛権の行使は憲法違反」との判断を崩さなかったからだ。

◆「解釈改憲」の議論、内閣法制局は公文書を作成せず

安倍政権下で憲法解釈を変えた際、法制局内部ではどんな議論があったのか。毎日新聞社会部の日下部聡記者らはそこに焦点を当て、情報公開制度で公文書を請求した。ところが、結果は非開示。公文書が存在しないのだという。議論のプロセスが公文書として残されていない、という驚くべき事態に突き当たったのでる。国是の変更に際し、誰がどんな見解を示したのか。それを「法の番人」は全く記録に残していなかったのである。

スクープは2015年9月28日の毎日新聞朝刊1面に掲載された。「憲法解釈変更 法制局、経緯公文書残さず」「審査依頼、翌日回答」の大見出しが踊った。冒頭を引用しよう。

政府が昨年7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認に必要な憲法9条の解釈変更について、内閣法制局が内部での検討過程を公文書として残していないことが分かった。法制局によると、同6月30日に閣議決定案文の審査を依頼され、翌日「意見なし」と回答した。意思決定過程の記録を行政機関に義務づける公文書管理法の趣旨に反するとの指摘が専門家から出ている。

毎日新聞の調査報道スクープ

公文書管理法は「(行政機関は)意思決定に至る過程や実績を検証できるよう、文書を作成しなければならない」(第4条)と定めている。まして、今回の決定は、憲法の解釈を180度変更するものだ。それなのに公文書を残していないという。そんなことがあるのだろうか。当然過ぎるその疑問について、日下部記者らは内閣法制局の見解をただした。ところが、記事によるとー。

解釈変更を巡る経緯について、富岡秀男総務課長は取材に「必要に応じて記録を残す場合もあれば、ない場合もある。今回は必要なかったということ。意図的に記録しなかったわけではない」と説明。公文書管理法の趣旨に反するとの指摘には「法にのっとって文書は適正に作成・管理し、不十分との指摘は当たらない」と答えた。横畠裕介長官にも取材を申し込んだが、総務課を通じて「その内容の取材には応じない」と回答した。

◆「情報公開を避けるため、公文書を作らない」

このスクープを報じた後、日下部記者は筆者(高田)らに対し、次のようないきさつを語っている。その一部は『権力に迫る「調査報道」』にまとめた。

(取材を通じて)内閣法制局はもともと、内部の協議をほとんど記録に残してなかったことが分かってきました。特に、情報公開法ができた後は、政治家から何か言われたとか、そういう機微な事柄については、自分の手元ではメモするけど、シェアするようなかたちでは作ってない。公文書としても残していない。
ーー開示対象になるのを避ける目的ですか。
おそらくそうです。そういうことを証言するOBもいます。
ーー憲法解釈の変更に関する記録を残さなかったのも、そういう意図でしょうか?
そこまで確定的には分かりませんでした。「もともと口頭でやりとりする役所だ」という雰囲気はあったようです。「みんな、法律の玄人みたいな人たちばっかりなので、いちいち残さなくても、あうんの呼吸で分かるんだ」みたいなことをあるOBは言ってました。
ーーこのスクープ記事の価値はどこにあると考えていますか。
あれだけ大きな憲法解釈の変更があって、日本の外交、防衛、そして国のかたちが変わっていく。その転換点について、何十年もあとの人が「あのとき、何があったのか」と考え、調べようと思っても、文書がないと分からない。歴史の検証に耐えられない。そのことを明らかにしたことだと思っています。

政府に情報公開すると、さまざまな“壁”に遭遇する。閣議決定される前の法案についても、そうだ。日下部記者は「ほんと、驚愕します」と話した。

情報公開法5条に情報を開示しなくていい場合の条件が書いてあって、その中に「(政府内での)率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ」「国民の間に混乱を生じさせるおそれ」というのがあります。だから、法案が閣議決定される前の請求に対しては「法案ができる前に、その協議を明らかにしたら国民の間に不当な混乱を起こし、かつ、法案・法令作成の中立性が保てなくなるため開示しない」という趣旨の決定通知が来る。要するに、「法案を作るまでは、おまえたち国民には何も知らせない」と。すごい上から目線だなと思って、驚愕したことがあります。

日下部記者は「官僚は情報を出さないために、いろいろ考えています」と言う。組織で共有してるとしか思えない文書であっても、「個人のメモ」だと言って出さない。政官接触の記録は特にその傾向が強い。「口利き」などの国会議員による官僚への不当な介入を防ぐためのルールなのに、「個人メモ」の世界に入り込む。実際、日下部記者の取材では、ある経済産業省OBが「やばい話は個人メモということにして開示請求の対象にならないようにしていた」と話したという。

かつては記録に残していて、請求されたら黒塗りで出していた。今は、そもそも記録を残さない。だから、一つの方法としては、あって当然の文書がないケースを次々に報じていく。それをやらなきゃいけない。だけど、やっぱりその先ですよね。本来残すべき記録が全然残らなくなっていく、そういう社会でいいのか、と。非常によくない。さっき言ったような、後世の人が、何があったのかを検証できない社会。それでいいのか、と。

情報を出さないために官僚が一生懸命考えているのなら、法的な対応だけでなく、報道側は報道側として知恵を絞り続けるしかないー。日下部記者はそう言った。実際、毎日新聞はその後、「公文書クライシス」というキャンペーンを手掛けるなど、この問題で粘り強い取材を続けている。

(フロントラインプレス・高田昌幸

■参考URL
単行本『公文書危機 闇に葬られた記録』(毎日新聞取材班)
毎日新聞ニュースサイト「公文書クライシス」
単行本『権力に迫る「調査報道」』

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