名古屋入管の “罪”を暴き出すウィシュマさんからの自筆手紙

青いポリバケツを抱え抗議する眞野明美さん。食べたものを戻してしまうウィシュマさんがバケツを持たされ面会に現れたことから、抗議行動のシンボルとなった。

3月に名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん。彼女が入管から出した手紙が1冊の本になった。入管の犯した罪を白日の下にさらす内容だ。受取人は、仮放免後に一緒に暮らすはずだったシンガーソングライターの眞野明美さん。面会室のアクリル板越しに二人はこれからの生活を語り合った。──彼女たちの未来は、なぜ奪われなければならなかったのか。

◆入管の「収容場」で死亡したウィシュマさん

名古屋臨海高速鉄道・あおなみ線を「名古屋競馬場前」で降り、バス通りから左を振り仰ぐと、この下町に不似合いな、巨大で堅牢な建物に出くわす。名古屋出入国在留管理局=通称「名古屋入管」である。

〈日本人〉にはおよそ縁のないこの施設の4階には「収容場」がある。2021年3月6日、スリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんがここで命を落とした。事件の真相究明がいっこうに進まない中、11月9日には遺族が名古屋入管の幹部らを殺人容疑で刑事告訴。いま日本の外国人管理政策のあり方に、深い疑念が突きつけられている。

『ウィシュマさんを知っていますか?─名古屋入管収容場から届いた手紙』(眞野明美著、風媒社刊)

◆DV被害者を救済せず収容へ

ウィシュマさんは、日本語を学ぶために来日した留学生だった。「日本の子どもたちに英語を教えたい」というのが彼女の願いだった。ところが交際相手の「ドメスティック・バイオレンス」(親密な関係にある人から振るわれる暴力=DV)により日本語学校への通学を断念、ほとんど着の身着のままの状態で、助けを求めて警察に駆け込んだところ、在留資格を失った「不法滞在者」として入管に送致されてしまった。

DV被害者をシェルターではなく入管に引き渡した警察、DVの事実を知りながら収容した入管庁は、ともに法的にも人道上においても、取り返しのつかない過ちを犯したことになる。

2021年1月18日の手紙。仮放免になったらジャガイモを育てスリランカ料理を眞野さんに作りたいと書かれている。

◆手紙には救いを求める悲痛な叫びが

2021年10月に刊行した『ウィシュマさんを知っていますか?』には、仮放免後に身元引受人となるはずだったシンガーソングライター・眞野明美さん宛にウィシュマさんが出した手紙を全て収録している。

収容場の中で彼女は、眞野さんとの平穏な日常生活を夢み、未来への希望を抱いていた。

「私はあなたと一緒に過ごすことを夢見ています。だってあなたから多くのことを学べるからです。……私がそちらに行ったら、いろんなことの先生になってもらえますね。私は裁縫も学びたいし、たくさんお手伝いできます」

しかし、収容場の過酷な環境の中で彼女はみるみる衰弱していく。1月28日夜には吐血。2月2日の手紙には、眞野さんに助けを求める悲痛な叫びが乱れた文字で書かれている。

「彼らは私を病院に連れて行こうとしません。私は彼らに監禁されているからです。私は回復したい」 「すべての食物や水も吐いてしまう。どうしていいかわからない。今すぐに私を助けてください」

2021年2月2日の手紙。「今すぐに私を助けてください」と英語で訴えている。

◆無関心という“罪”

眞野さんたち支援者の必死の抗議もむなしく、入管側は「詐病」とみなし適切な医療を受けさせなかった。

その1ヶ月後、ウィシュマさんは亡くなった。33歳だった。死の直前まで、点滴を打ってほしいと何度も訴えていたという。

日本の入管施設で収容者が死亡するのは、2007年以降18人にのぼる。なぜ入管で「人」が死なねばならないのか。不法滞在とは、死の報いを受けるほどの罪なのか。

国連人権委員会に「国際法違反」と指摘される日本の無司法・無期限の収容体制こそ、裁かれるべき違法行為ではないのか──。

ウィシュマさんたちの死が問いかけている。無関心こそ私たちの罪である、と。(劉 永昇)

劉 永昇
「風媒社」編集長。1963年、名古屋市生まれ。早稲田大学卒。雑誌編集、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。2018年創刊の雑誌『追伸』同人。

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