イチロー、SHINJO、助っ人は“あだ名”の時も… インパクト溢れる登録名の歴史

マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏(左)と日本ハム・新庄剛志監督【写真:Getty Images、荒川祐史】

鈴木一朗は「イチロー」、高井雄平は「雄平」、新庄剛志は「SHINJO」に

スコアボード、ユニホームに記載される登録名。プロ野球選手にとって名前は背番号と共に“看板”ともいえる。楽天の山崎真彰内野手は来季から「マーキ」に変更されることが発表されたが、ここでは過去にあった個性豊かな登録名を振り返ってみる。

カタカナ表記で大ブレークを果たしたのはイチローだろう。1994年、オリックスの仰木彬監督は佐藤和弘を「パンチ」に、高卒3年目の鈴木一朗を「イチロー」に変更し売り出した。イチローは同年に210安打を放つなど大活躍し、その後は“世界のイチロー”としても知られるようになった。

名字ではなく、名前で登録された例も多くある。今季限りで引退したヤクルトの雄平(2010年まで高井雄平)をはじめ、楽天の銀次(赤見内銀次)、オリックスの駿太(2018年から後藤駿太)、DeNAの大和(阪神時代の2006年まで前田大和)などがいる。

アルファベットと漢字の組み合わせでは西武、ロッテなどで活躍したG.G.佐藤、オリックスのT-岡田(2009年まで岡田貴弘)、英語表記では2004年に日本ハムに入団しNPB復帰した新庄剛志が「SHINJO」、ロッテの西岡剛は2007年の1年間だけ「TSUYOSHI」を採用していた。

また外国人選手はあだ名が採用されることも。阪急、オリックスなどで活躍したブーマーの本名は「グレゴリー・デウェイン・ウェルズ」、阪急のアニマルは「ブラッドリー・ジェイ・レスリー」、中日のディンゴは「デビッド・ウェイン・ニルソン」だった。(Full-Count編集部)

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