東京・新宿の宿に染み込むコロナの記憶 カメラマンは見た「コロナが変えた日常」(1)

東京・新宿にあるホステル「UNPLAN 新宿」

 共同通信の5人のカメラマンが、新型コロナの流行によって変わってしまった日常生活を描く連載企画の第1回。

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 幾度も延長を重ねた長い緊急事態宣言が9月末で全面解除され、都内の新規感染者数が2桁を割り込む日も珍しくなくなった。かつて感染の震源地と名指しされた東京・歌舞伎町は華やかなネオンが輝き、酔客のにぎやかな声が戻りつつある。その喧噪から少し離れた住宅街にあるホステル「UNPLAN 新宿」。畳一枚ほどの広さのドミトリーベッドが並ぶ館内には、1年以上続くコロナ禍の混乱や葛藤が染みこんでいる。(写真と文・共同通信=仙石高記)

 ▽スーツケースに詰め込まれた季節外れのコート―フランス人旅行客タイラーさんの場合

 未知のウイルスが世界中で広がり、各国で都市封鎖や緊急事態宣言が施行された1年前、日本から出国できない旅行客を探して外国人に人気のこの宿にたどり着いた。国内では第1波が比較的落ち着きを見せていた頃だったが、帰国できない旅行客や留学生、海外から緊急帰国した日本人など、コロナに翻弄された宿泊客が身を寄せていた。

新宿・歌舞伎町を歩くタイラー・ビゴさん。感染の不安から人が密集するバスや電車に乗れなかったため、ホステルから歩いて行ける範囲に旅の思い出が詰まっている

 フランス人大学生タイラー・ビゴさん(22)もその一人だった。昨年3月に観光のため来日したが、直後に欧州で感染が拡大、家族と移住していたスペインは自国民以外の入国を禁止したためフランス人国籍の彼女は帰ることができなかった。その後もフライトのキャンセルが相次ぎ、当初2カ月の旅程は、気が付けば5カ月も経過していた。

 計画していた日本縦断の旅はおろか、感染の恐怖で外出もできず、ほとんどの時間を宿の中で過ごした。ガイドブックに掲載された日本各地の色鮮やかな写真を手でなぞっては「10年来の夢だった」旅先の風景を想像していた。

ホステルのドミトリーベッドで過ごすフランス人大学生のタイラー・ビゴさん。ガイドブックの写真を指でなぞり、巡るはずだった日本各地に思いをはせた

 ようやく帰国が決まった昨年8月、出発の時間が迫る中、ロビーでホステルの従業員や仲間と別れを惜しむ彼女の姿があった。日本で買い足した大きなスーツケースには旅先の土産はほとんど入っておらず、衣類や生活用品がびっしりと詰まっていた。はみ出した厚手のコートが、予想外に過ぎた季節を物語っていた。

 「また戻ってくると思えば、この旅でできなかったことを数えなくても済む」と収束した未来に希望を抱いて帰っていったタイラーさん。欧州では新たな変異株の感染が広がり、旅のめどはたたない。

帰国便が迫る中、長い時間を共に過ごしたホステルのスタッフと別れを惜しむタイラー・ビゴさん

 ▽コロナあったからこそ―フットサル選手・岩本さんの場合

 あの日、タイラーさんを見送っていたフットサル選手の岩本秀央(いわもと・ひでお)さん(29)は今もホステルに滞在していた。自撮り棒を片手に飲食店を食べ歩き、イタリア語で紹介する動画を編集していた。慣れない作業に悪戦苦闘しながら「まさかユーチューバーになるとは」と苦笑した。

 昨年3月、挑戦していたイタリアでの選手生活が一変した。得点を重ねてチームの信頼を勝ち取った途端、流行の第1波に見舞われ緊急帰国を余儀なくされた。高齢の母親が住む実家には帰れず、住み込みで働けるこのホステルに転がり込んだ。

アルバイトの合間を縫って夜の公園でボールを蹴るフットサル選手の岩本秀央さん

 コロナが収束したらすぐにでも復帰できるように、宿の受け付け業務や清掃に加え、PR会社でのアルバイトを掛け持ちしながら、空いた時間に公園や河川敷でランニングやボールを蹴って感覚を保ち続けた。

 7カ月後、感染状況が落ち着きだしたのを見計らって再び海を渡った。しかし、到着直後の隔離期間中に感染が急拡大し、リーグは中止に。滞在先の北部トレントは、厳しい外出制限で食料の買い出しすらままならなかった。人けがない町並みを眺めながら一人下宿先にこもった。閉塞感に耐えられず、巡回する警官の目を盗み山道を走って知人を訪ねたことも。ボールを蹴る日は来ないまま、資金が底を突き、今年3月にやむなく帰国した。

 ホステルに舞い戻り、語学力維持のためにと何げなく動画投稿を始めた。回転ずしのようにケーキがレーンを回るスイーツ店やイタリアで修行したシェフが作る生ハムやチーズがのったラーメンなど、日本の独特な外食文化を発信すると、訪日を自粛するイタリア人から続々反応が届く。「収束したら食べに行くね!」「いつかガイドをしてね」―。コロナ禍でも簡単に人とつながれる世界に一気に魅了された。

都内のラーメン屋で「ユーチューブ」の動画を撮影する岩本秀央さん

 今も現地での触れ合いが頭をよぎる。初出場した試合で得点を決めたとき、選手だけでなく100人近く集まった地元サポーターと喜びを分かち合った。肩をたたかれ、抱き合うことで「家族」になった気がした。「互いが距離を保つような新しい日常ではなく、いつか元の日常は戻ってくる」とリーグに復帰できる未来を期待していたが、長すぎたブランクもあり選手を続けることは断念した。

 今は「コロナがあったからこそできたことや人生を大切にしたい」と前を向く。動画配信を通じて知り合った視聴者を訪ねて第二の故郷を再訪し、今度は向こうから日本に向けて動画を発信するのが目標だ。

 ▽生き残りかけて模索する宿―従業員・加藤さんの場合

 一時ホステルでは30人近くの帰国困難者が先行きの見えない不安な日々を過ごした。宿泊客は互いのせきひとつにおびえ、帰国できない不安からむせび泣く声も漏れた。本来なら東京五輪で華やいでいたはずのホステルには緊張感が覆った。

 そのうち全員が帰国すると、今度は静けさが漂うことになった。もともと宿泊客の9割は外国人旅行客が占めていた。感染拡大に伴いキャンセルは1000件近くに上り、パンデミック前は全部屋埋まっていた予約は、ほぼゼロに。今年10月末まで旅行客の予約はほとんど入らず、売り上げはコロナ前の8分の1に落ち込んだ。

 当時マネジャーとして働いていた加藤明香(かとう・めいか)さん(32)は、このコロナ禍を振り返り「遠い出来事のよう。約2年すっぽり抜け落ちてしまった感じ」とうつむく。経営悪化に歯止めがかからず、30人近くいた同僚のほとんどが職場を離れていった。密の回避で集まることもできず、別れのあいさつもまともに交わせないまま仲間がいなくなっていく現実に、一から作り上げてきた職場が「自然消滅」していくような無力感を感じた。

ホステルの従業員・加藤明香さん。コロナが流行する中で帰国困難者や外国人留学生らのケアのほかホステルの運営に奔走した2年だった

 苦境を乗り越えるために、様々なサービスや企画を打ち出しては、試行錯誤を続けてきた。施設のスペースを貸し出して結婚式やイベントを行ったり、お弁当を売り出したり…。いつまでたっても戻らない旅行客から、コロナを機に定着したテレワーカーや各地を転々として暮らすアドレスホッパーをターゲットに変え、働きながら長期滞在できるよう館内設備も一新した。

 厳しい経営が続く中、今年の9月にはホステルに宿泊中の客複数人が陽性に。トイレやシャワーなど設備を共用する業態ならではの課題が浮き彫りになった。宿泊者同士や従業員の接触を極限まで減らし、安全のためにワクチンを接種した人だけが宿泊できるようにしたが、接種に懐疑的な人たちから誹謗中傷の声が届くことも。

 宿泊客の中心が旅行客から国内の長期滞在者になったことで、「旅先の友人」のように距離が近い接客から、滞在環境として不便がない最低限のサービスを提供する姿勢に変わった。コロナとともに生きていかなければならない時代に、変化するニーズに柔軟に応えていく難しさを絶えず突きつけられる。一方で生き残るために失われていく価値に寂しさを感じる。「大切にしていたホステルならではの濃い人間関係の魅力がなくなっていくようで…」。加藤さんは複雑な思いで館内を見渡した。

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カメラマンは見た「コロナが変えた日常」

第2回 https://nordot.app/845949533199613952?c=39546741839462401

第3回 https://nordot.app/846239116585828352?c=39546741839462401

第4回 https://nordot.app/846723885450706944?c=39546741839462401

第5回 https://nordot.app/846725469970137088?c=39546741839462401

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