生き残った子牛がくれた“希望” 畜産盛んな宇久で200頭飼育 鳥山さんの牛舎を訪問

200頭以上の牛を飼育する鳥山さん(右)。左は後継ぎの岩永さん=佐世保市宇久町

 長崎県五島列島最北端の佐世保市、宇久島。11月のある日、車を走らせていると、広々とした放牧場が見えてきた。のんびり草をはむ牛。その後ろに広がる青い海。畜産が盛んな宇久島ならではの光景に、しばし見とれた。
 人口1900人余りのこの島では、約1100頭の親牛が飼育され、年間800~900頭の子牛が生まれている。畜産農家は約70戸で、ほとんどが専業だ。
 放牧場にいた牛の世話をしているのは鳥山幸喜さん(59)。牛飼い40年のベテランで、現在200頭以上を飼育しているという。
 高校卒業後、鹿児島県の畜産農家で1年間勉強し、19歳で島に帰ってきた。家業を手伝い始めた時は20頭ほどだったが、10倍の規模に成長させた。飼育頭数は島で一、二を争う。
 仕事の様子を見せてほしいとお願いすると、快く応じてくれた。まだ薄暗い午前7時、鳥山さんの牛舎を訪ねた。

◎つらい過去乗り越え成長 生き残った子牛がくれた希望

海を見渡せる放牧場で、のんびり過ごす牛=佐世保市宇久町

 畜産が盛んな佐世保市宇久島。午前7時。鳥山幸喜さん(59)は、母ツルヨさん(87)、おいの岩永裕志さん(32)と手分けして、牛の「朝ご飯」の準備をしていた。おなかをすかせた牛たちが部屋から顔を出す。餌を目の前に運ぶと、夢中で食べ始めた。
 餌やりは1日朝夕の2回。牧草や飼料を与え、子牛にはミルクを飲ませる。牛舎の掃除や牧草の収穫など、毎日やることはたくさんある。
 宇久の畜産農家にとって重要なのが、繁殖だ。親牛は現在123頭。約3週間おきの発情期に合わせて種付けをして、全ての牛が1年に1回出産するのを目指す。実際に生まれるのは年間100頭ほど。子牛は生後9カ月ごろまで育て、平戸市の家畜市場で毎月開催される競りに出荷する。宇久島では多くの農家が、こうして生計を立てている。
 牛は一頭一頭に名前を付けるそうだ。年に100頭も生まれたら考えるのも一苦労だと思ったが、全て同じ名前にする農家もあるという。鳥山さんの場合も、雌なら「みらい」、雄なら「希望」と決めている。しかし、考えるのが面倒だからではない。この名前の由来には、つらい過去が関係していた。

■懸命な治療

 2005年12月、ある日の早朝。当時約70頭を飼育していた鳥山さんの牛舎で火災が発生した。牧草などに引火してあっという間に燃え広がり、鳥山さんが駆けつけた時には既に全焼の状態。約40頭は逃げて無事だったが、残りは焼け死んだ。生き残った中に子牛は1頭も見当たらなかった。
 鳥山さんは燃え上がる牛舎を見て意気消沈し、その場で牛飼いをやめることも考えた。しかし数時間後、山の中で生後1カ月の雌の子牛が発見された。必死で逃げ出して迷い込んだのだろう。全身やけどを負っていたが、懸命な治療の末、一命を取り留めた。
 「その子牛を見て、もう一度頑張ろうと思えた」。真っ暗な未来に、希望の光が差し込んだ。
 それ以来、新たに生まれた牛は全て「みらい」「希望」と名付けるようになった。奇跡的に助かった子牛も立派に成長し、母になった。痛々しいやけどの痕は最後まで消えなかった。今はもういないが、鳥山さんは「あの子牛のおかげで今がある」と感謝している。
 あれから16年。みらいは529頭、希望は581頭、合わせて1110頭が生まれた。

■若い世代へ

 牛舎での取材を終え、鳥山さんらと一緒に放牧場に向かった。ここには妊娠中の牛を十数頭出しているという。出産直前までの期間を、海を見渡せるこの場所でのんびり過ごす。
 鳥山さんと岩永さんが来たことに気付き、牛たちが駆け寄ってきた。牧草だけでは栄養不足になるため、毎日餌をやりに来ているという。「大丈夫ですよ」という言葉を信じて記者も恐る恐る中に入り、牛と2人を写真に収めた。
 来年還暦を迎える鳥山さん。今後は後継ぎの岩永さんに、経営を少しずつ任せていくという。宇久島は近年、畜産に携わる若者が増えた。「若い世代に引き継いで、応援していきたい」。鳥山さんは島の未来に、明るい希望を抱いている。

牧草を夢中で食べる牛たち=佐世保市宇久町

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