東京のど真ん中で靴磨き半世紀、実は洋画家 「路上の巨匠」パブロ賢次さん

「靴磨きをするパブロ賢次さん=2021年12月13日、東京都千代田区

 首都の玄関口、JR東京駅前の歩道で50年以上にわたり、靴磨きを続けている男性がいる。茨城県出身で都内在住のパブロ賢次さん(71)。路上から東京の半世紀を見つめてきて「最近は活気と余裕が失われてきた」と感じているという。そんなパブロさんの本業は実は洋画家。作品は1枚100万円を超える値が付くものもある。「絵を描いている時間は自由になれる」。時代の閉塞感を振り払うように、「路上の巨匠」は絵筆を振るう。(共同通信=岩橋拓郎)

 ▽人生の交差点

 冷たい風が吹く12月中旬。東京駅丸の内北口から外に出ると、歩道の隅に立てられた緑色のパラソルの下、小さなパイプ椅子に座るパブロさんがいた。黒いハットがトレードマーク。防寒具の下にはネクタイがのぞく。「だらしない格好をしていると、気持ちもだらしなくなってくる」から、身だしなみに気を使う。数種類の靴墨や布、ラジオなどを置いた小さな箱の上には、「日本一の靴磨き 1000円」と手書きした看板を掲げる。

 「パブロに磨いてもらうと、靴がよみがえるんだよ」

 対面の椅子に腰掛け、靴を差し出していた都内の会社の代表社員本間光男さん(65)が感想を語ると、布で靴を磨いていたパブロさんが「50年間、第一線でやってきましたからね。自称でも他称でも、僕が日本一の靴磨きだという自負がありますよ」と笑いながら応じた。

パブロ賢次さんが磨く靴。ぴかぴかに輝いている

 本間さんは月に5、6回は訪れる常連。最初にふらっと立ち寄ったのはもう10年以上前のことだ。「彼はよろず相談係のような存在でもあるんです。靴が生き返れば、仕事も元気にできますよ」

 営業は主に平日の午前10時ごろから日没まで。荒天時は休む。1日に来るお客さんは平均20人。日本を代表するターミナル駅のすぐ脇という場所柄、パブロさんの後ろの車道には運転手付きの黒塗りの車が何台も横付けしては、駅から出てきたVIPを乗せていく。聞けば、地元と東京を新幹線で行き来する国会議員が与野党問わずよく訪れるのだという。

 

 お客さんは会社員が大半だが、時には就職活動中の学生も若い女性もやってくる。8割が常連。「うちに来るのは靴が見られていることを意識している人。細かな気配りができる人が多いから、だいたい出世していくんですよ」。そう語るとおり、かつての新人議員やヒラ社員はこの半世紀の間に閣僚になったり、1部上場企業の役員に上り詰めたりした。老若男女がそれぞれの生き方と共に通り過ぎていく、さながら人生の交差点だ。

 ▽世情と共に

 

場所はJR東京駅前

もともとは、終戦後間もなく中国から引き揚げたパブロさんの父親がこの場所で始めた仕事だった。当時の料金はラーメン1杯とほぼ同じ50円。周辺には同業者がずらっと並んでいたという。パブロさんは高校卒業後から両親、兄と一緒に靴磨きをし、技術を身に付けていった。

 「靴墨を塗っているだけではツヤは出ないんです。革に染みこませるように浸透させていくんです」

 革の種類にもよるが、磨く時間はおおむね10~15分。靴墨で黒ずんだ指で何種類もの布を持ち替え、丁寧に、手早く磨いていく。小気味よい手さばきを見ていると、マジシャンのようにも思えてくる。布は靴に傷が付かないよう、繊維の硬い新品ではなく使い古しを使う。靴磨きのプロ中のプロになるため研究を続けてきた。

 この半世紀、日本は浮き沈みを経験した。経済成長が続き、好景気に沸いた。しかしバブル崩壊後は経済が停滞し、「失われた20年」と呼ばれた。その移り変わりを路傍から目の当たりにしてきたパブロさんは「時代の活気は歩くスピードに表れるんです」と語る。「バブル景気の頃はみなさん、胸を張ってさっさと歩いていましたよ。それがバブル崩壊で足取りが重くなり、東日本大震災でもっと元気がなくなった。極め付きが新型コロナウイルスです」

 コロナ禍は靴磨きの仕事も直撃した。多くの人が外出を控えるようになり、お客さんが激減。「こればかりはどうしようもなかった」。売り上げが急減し、やむなく料金を100円値上げし、千円にした。近頃は感染拡大のペースが緩やかになり、人出は回復しつつあるが、「息苦しいというのかね、以前に比べて自由も活気も感じられないままですよね」

 ▽見えないものこそ

キャンバスに筆を走らせるパブロ賢次さん

 パブロさんには洋画家としての顔もある。祖父が蒔絵師、兄が油絵の画家で、自身も幼い頃から絵画に親しんできた。「自宅にあった画集を絵本代わりにしていたんですよ。小学生の頃には、色の濃淡で奥行きを表現する『空気遠近法』で田園風景を描いていました」

 明治大在学中、本格的に油絵を描き始め、卒業後は早稲田大に入り直して美術史を学んだ。靴磨きの傍ら続けてきた画業も同様に半世紀に及び、首都圏の有名ホテルやデパートでたびたび個展を開いている。11月、都内の帝国ホテルプラザで開いた個展で披露した「ニースの海岸通り」や「夕映えの睡蓮」は1枚48万円。100万円を超える絵や、中には屏風に描いた睡蓮のように500万円の値が付いたものもある。芸名のファーストネームは、「暴力的な才能」を持つ画家パブロ・ピカソにあやかった。

 東京都北区の住宅街にあるアトリエには300以上の作品が置かれている。もともとは不動産会社が事務所として使っていた質素な建物だ。キャンバスの前の椅子に腰掛けたパブロさんが全体を眺めた後、おもむろに絵筆を取る。時計の秒針の音に、絵筆がキャンバスを走る乾いた音がかすかに重なる。

 欧州の風景画や人物画、睡蓮などの花を描くことが得意。「風や空気という目に見えないものを描くのが画家だと思っているんです。見えるものは誰でも描けますからね」。新型コロナ感染拡大前は、靴磨きの仕事を休んでは欧州に1カ月ほど滞在し、絵を描いてきた。

代表作の睡蓮の前に立つパブロ賢次さん=2021年11月23日、東京都千代田区

 「人生は本質的に苦だし、不自由、不幸なんです。だからこそ、せめて芸術はハッピーになれるものを目指すべきではないかというのが私の持論なんです」

 絵画は自分の気持ちを一番素直に表現できる手段だとパブロさんは話す。「僕は自由になるために絵を描いているんです」。東京駅前の雑踏をせわしなく行き交う現代人たちにも、自由に絵筆を走らせた作品を鑑賞し、心を解放する大切さを伝えたいと思っている。

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