中学生人権作文コンテスト県大会 最優秀賞 「平等な未来を願って」高鍋町・高鍋東中1年 日高莉子(ひだかりこ)さん

 私は、生まれて六か月の時血液検査をして、食物アレルギーと診断された。乳製品、卵、小麦、えび、かに、たこ、いかの食物に対してアレルギー数値が高いことが分かった。そのとき私は、母乳で育っていたため、母は、これらの食物を除去して食事をしていたそうだ。三歳のとき、保育園で間違って牛乳を二口飲んでしまった時に、呼吸困難になった。それからは、病院に行くような、「はっ」とするようなことが何度もあった。

 食物アレルギーになると、不便なことが多い。例えば、スーパーに行ってアイスを探しても、ほとんどのアイスに乳製品が入っていて食べることができない。おかしも、だいたい同じ物しか食べることができない。食材は、いつも成分表を見て、食べられるか食べられないかチェックしないといけない。他にも、お土産をもらうときに、どれも食べることができないときに、悲しい気持ちになる。そのとき、かわいそうな目で見られるのも、つらい。

 そんな中、温かい気持ちになったことがあった。それは、ショッピングモールで昼ご飯を食べようとした時のことだった。私は、食べたいものがあって、それが食べられるか不安だったので、母に聞いてもらったら、いそがしい中奥から店長さんがわざわざ来てくれて、アレルギー成分表を一緒に確認してくれた。優しく親切に対応してくれたおかげで、安心しておいしく食べることができた。食べ終わった後、食器を返却しに行くと、その店長さんが「大丈夫だった。」と声をかけてくれた。私の心が温かくなった。もしかしたらその店長さんも身近に食物アレルギーの方がいるのかなと思うくらい、私の気持ちを考えてくれたことがうれしかった。

 私は、小学生になってしばらく弁当だったのだが、小学五年生で、初めて給食を食べることができるようになった。初めての給食は、カレーライスとフルーツポンチだった。おいしくて、いまでもそのときのことを覚えている。全部食べきれるか不安だったけど、おいしくて、ぺろりと食べることができた。みんなと同じ給食が食べられた。そのことが本当にうれしかった。それから給食が大好きになった。

 学校でSDGsについて学んだ。その中でも十番「人や国の不平等をなくそう。各国内及び、各国間の不平等を是正する。」が気になった。なぜかというと、私に関係があると思ったからだ。平等とは、差別がなく、みな等しいことである。私は、この世の中でみんな等しいとは思わない。なぜなら、私のような食物アレルギーの人が少ないからって、私のような子ががまんすればいいなんて、平等じゃないと思ったからである。

 「誰一人取り残さないこと」

 この言葉は、SDGsの前文に書かれた言葉だ。わたしは、このような世の中になってほしいと思う。アレルギーの子でも平等に笑顔で暮らせる世の中に、こんな世の中になるためには、店長さんのような、優しい人がたくさんいると実現するのではないかと思った。

 私には、一緒に遊ぶときに、私に合わせて私が食べることができるお店を選んでくれる優しい友達がいる。私が食べたかった乳製品ぬきの料理を作ってくれる家族がいる。みんなと一緒に食べることができる給食を出してくださる給食の先生方、いつも給食で失敗がないように、気づかってくださる先生やクラスの友達、すべての人に感謝している。

 大切なことは、相手を思いやり想像すること。世界中のすべての人が、平等で幸せに暮らすことのできる世界になることを願っている。

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