「佐世保要塞 砲兵連隊」の建物跡 明治期の施設 清水中の敷地内から出土

清水中敷地で出土した佐世保要塞砲兵連隊の建物跡=佐世保市万徳町(市教委文化財課提供)

 長崎県佐世保市万徳町の市立清水中の敷地内で、明治時代に設置された旧陸軍の「佐世保要塞(ようさい)砲兵連隊」の建物跡が見つかった。明治期の軍事施設は記録が少なく、市教委は「当時の建物の構造や兵舎の大きさなどが分かる一歩になる」としている。
 清水中では、校舎建て替えに伴い市教委が発掘調査を実施。校舎そばの2カ所で、最大幅約50センチのれんがが見つかった。市教委文化財課は連隊の兵舎建物の基礎の一部とみている。
 「佐世保重砲兵聯隊史」などによると連隊は佐世保軍港強化のため設置され、1899(明治32)年に同市万徳町に兵舎を建設した。主に九州出身の陸軍兵が鍛錬を積み、戦地へ向かったとされる。清水中の敷地に連隊の兵舎があった事実は、これまで資料上でしか確認されていなかったという。
 昨年度、清水中近くの県佐世保こども・女性・障害者支援センターの移転に伴い、県が実施した発掘調査でも、連隊の病院跡の基礎などが出土。明治期の軍事施設は壊されている事例が多く、同課は「発掘によって記録として残すことができ、意義あることだ」としている。佐世保史談会の祖谷敏行さんは「清水中に陸軍があったことを確認できた意義は大きい」としている。市教委は来年度以降、さらに調査を進める。


© 株式会社長崎新聞社