勤務日報から浮かんだ容疑者の「性格」 10年前の延長線上?家族に固執、孤独感募らせ

日報が書かれたノート

 心療内科クリニックのスタッフや患者ら25人が亡くなった大阪の繁華街・北新地の雑居ビル火災で、放火と殺人の疑いが持たれている谷本盛雄容疑者(61)は、かつての職場だった工場で腕の立つ板金工として知られていた。入手した工場勤務時代の直筆の勤務日報や周囲の証言からは、真面目できちょうめんな性格が浮かび上がった。専門技術が犯行の手口として悪用された可能性もうかがえる。(共同通信取材班)

 ▽きちょうめんさと専門知識

 勤務日報は大阪市内の板金工場を退職した2010年8月までの10カ月分で、工場の社長(78)に提出していたもの。息子を包丁で襲った殺人未遂事件(11年4月)よりも少し前のことだ。大学ノートに、日付ごとに定規で引いた線で区切り、日々の仕事内容や図面を鉛筆やボールペンで小まめに記録していた。筆圧は強めだが端正な字。社長は「きれいな字だった」と話す。

 〈8/4(水)サラシ(玄関)取付〉〈8/23(月)庇(ひさし)撤去〉。施工した工事の詳細が記され、職人堅気な性格がうかがえる。「エルボ31ケ」「PC50 23メートル850」「タテソケット」など、設置する金型の図面や寸法、金型を取り付けるにあたって必要な金具の種類や量も詳細に書かれていた。

日報の1ページ

 谷本容疑者は関西各地の住宅や飲食店に出向き、板金工場で加工した雨どいの金具や天窓などを設置していたようだ。

 同業の川崎市の男性(32)に日報を見てもらうと、「ここまで細かく書くのは珍しい。注文住宅の工事に必要な資材が具体的に列挙され、会社を代表して施工現場の打ち合わせに参加するなどしており、腕利きで仕事ができる人間でないと担当できない『職長』の仕事を任せられていたのでは」と分析する。実際、社長によると、谷本容疑者はリーダー格として後輩の指導に当たっていた。

 〈11/28土 工場で加工〉。仕事が立て込む時期は休日返上で働いた。〈3/28(日) 休日 今日は私の誕生日です〉〈6月分の給料、1日分不足していました!〉などと社長らに向けたアピールとも取れる言葉や、〈今日から2月だ がんばるぞ!〉〈今日から6月、ぼちぼちがんばろうかな?〉などとユーモアを交えて自らを奮い立たせる言葉もある。自意識の高さと職人として前向きに仕事に取り組んでいた形跡がうかがえる。

 

大阪・北新地のビル放火殺人事件の前夜、自転車で現場のビル方向に向かう谷本盛雄容疑者とみられる男

 一方で、専門的な知識が今回の放火事件に悪用された可能性も浮かび上がった。これまでの取材では、事件当日より前にクリニックを訪れ、院内の通路にある消火栓の扉を開けにくく細工した疑いがあることが分かっている。消火栓の扉の隙間には、目地を埋める接着剤のようなものが詰められていた。事件当日の朝には、非常階段につながる扉に、外側から粘着テープが目張りのように貼られていた。

 日報には、狂いがない寸法が求められる住宅の天窓や雨どいの金具設置を担当していた、と手書きの記述がある。防水や断熱のために隙間をシリコーンやパテで埋める「コーキング」作業の記載も複数あった。窓枠などに養生テープを貼る作業などは日常的にあったと推測される。

 ▽「谷さん」と慕われていたが…

 「弟とは30年以上連絡を取ってない」。事件発生翌日、谷本容疑者の兄はショックを受けた様子で語った。父は30年以上前に死去。母の死はさらに10年ほど前だという。

 社長によると、同容疑者は高校卒業後、板金工場を経営する父の下で働いていた。しかし家業を継いだのは別の会社に勤めに出ていた兄で、「それが気にくわなくて、父親の工場を辞めたようだ」。その後、職を転々とする生活が続いた。

 社長の工場に入ったのは2002年で、ハローワークの求人に応募したのがきっかけ。面接の時点で職人としての知識や技術を感じられたといい、「当時はかなり忙しかったし、こいつが来てくれたらありがたいなと思った」と振り返る。最初の1カ月だけアルバイト扱いの時給制だったが、腕が認められ翌月から日給制になった。日給は1万数千円ほど。「きれいな、きっちりした仕事してましたわ」と社長は振り返る。後輩への指導は厳しかったが、「谷さん」と慕われていた。酒を飲むとすぐ顔が赤らむ。飲酒や金銭を巡るトラブルもなかった。

板金工場で取材に応じる元雇い主の社長

 職場では丁寧な仕事ぶりで一目置かれていた谷本容疑者だが、家族以外との交流は希薄だったようで、社長も「友達や知人のことは聞いたことない。社員とも仕事以外での付き合いはなかった」と説明する。

 08年7月末には突然、「やりたいことがある」と言って工場を辞めた。その前後、夫婦間の仲に悩むようになり、「妻と別れよう思ってんねん」と漏らすこともあったという。結局、この年の9月に離婚している。

 翌09年8月には「また使ってくれ」と再入社した。9月ごろに妻に復縁を求め、社長も背中を押したが断られたようだ。「あかん、全然受け付けてくれんわ」とこぼしていた谷本容疑者は、その後も独り身の寂しさからか結婚にこだわり、再婚募集の広告を見つけて、「一人だと大変だから再婚しようと思っとる。紹介者が必要だから、書いてくれませんか」と言ってきたことがあった。

 社長も快諾したが、結果の報告はなし。冷やかし半分で「どやった?」と聞くと、「だめでした」との返答だった。そして約1年後には再び無断欠勤し、そのまま退社。日報も10年8月で記載が終わっている。社長との連絡も途絶えた。

 ▽判決は孤独感に焦点、「家族への甘え」指摘

 

谷本盛雄容疑者

翌年11年4月、谷本容疑者は離婚した妻宅を訪問し、同居の長男の頭部を出刃包丁で刺したとして、殺人未遂容疑などで大阪府警に逮捕された。警察の聴取で事件を知った社長は「息子のことは自慢げに話していたから、『え、まさか』と思った」と振り返る。社長の妻(76)も「うちでは真面目にちゃんと働いた人。何も悪いことはなかった」と驚くしかなかった。

 同年12月の大阪地裁の判決で、犯行の動機は次のように述べられた。「離婚後の寂しさに耐えかねて死にたいと考えたものの、怖くて自殺に踏み切れず、誰かを殺せば死ねるのではないかと考えた」「元妻に迷惑をかけている長男を殺そう、家族は一緒でなければならないから、元妻や次男も道連れにしようと思うようになった」

 弁護側は(1)直前まで犯行をためらっていた(2)精神疾患が影響した可能性もある―として執行猶予を求めた。これに対し地裁は精神疾患を否定し、「ただ自分が死にたいというだけで、何の落ち度もない被害者らを巻き添えにしようと考えるのは、身勝手きわまりない」と厳しく断じた。

 一方で「板金工として長期間、真面目に働いていたこともあり、もともとは犯罪傾向を有する者ではなく、今後、社会復帰を果たした後も、当面は孤独な生活をしなければならない可能性はあるが、家族への甘えをなくし、家族以外と関わりを持つことができれば、更生は十分可能であろう」と述べて、懲役4年を言い渡した。

 ▽10年前の事件の延長線上?空白期間の解明を

 

「今回の放火で自らも確実に死のうとしたのではないか。無理心中を図り、失敗した10年前の事件の延長上にあるとも考えられます」。犯罪と家族の関係を研究する関西福祉科学大の相谷登教授は、「これほど家族とのつながりにこだわる人物に、『家族への甘えをなくせ』『家族以外との関わりを持て』と助言しても、容易に受け入れられるとも思えず、判決は正鵠(せいこく)を射ていなかったのではないでしょうか。服役後に家族を持つのはさらに難しく、自暴自棄が加速していったのでは」と疑問を呈す。

 筑波大の原田隆之教授(犯罪心理学)は、一連の報道などを基に明白な計画性があると指摘した上で「何がなんでも犯行を成功させて、ひとりでも多くの人を殺そうという強烈な悪意と破滅的な思考を感じる」と述べる。ガソリンを用いた放火という点だけでなく雑居ビルの構造も熟知して下調べや準備をしているとみられることから、「より被害を拡大しようという意図が読み取れ、苛烈な反社会性を感じさせるものです」。

 

日報

 日報を事細かに記載していることからも完璧主義の側面があるとし、「1か0か、全てか無か、といった極端に二者択一の精神状態に陥りやすい人物。推測だが、自分にも周囲にも完璧を求めて不適応状態を深めて孤立して、だめだとますます悪循環にはまって破滅思考にまで至ってしまったのではないか」と語った。

 息子への事件から今回の雑居ビル放火までにどんな生活をして、どのように犯行への動機を募らせていったのか。谷本容疑者は依然重体。供述も得られていない。(共同通信=武田惇志、広山哲男、小島鷹之)

 【おことわり】大阪・北新地のビル放火殺人事件の重大性を考慮し、動機につながり得る背景を伝えるため、容疑者が過去に別事件で有罪判決を受けたことを報じました。

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