沿線の高校生がデザインした「寅年ヘッドマーク」の電車が走る 2022年に開業75周年迎える新京成電鉄 その歴史や魅力は【コラム】

新京成電鉄のご厚意で珍しい写真を提供いただきましたのでご覧ください。開業当時の新津田沼駅。駅は現在の同名駅とは別の場所で、新京成の所有車両は2両。単行(1両編成)電車がのんびり行き来していました。(画像:新京成電鉄)

今回は本コラム初登場、千葉県の準大手私鉄・新京成電鉄を取り上げます。路線は京成津田沼ー松戸間の26.5キロ、全列車が普通で、快速や急行の設定はなし(かつて速達列車の運転が検討されたようですが、実現に至りませんでした)。どちらかといえば地味な鉄道かもしれませんが、コーポレートカラーのジェントルピンクを基調色にした電車は、なかなか〝映(ば)える〟存在です。

最新のトピックスでは、沿線の高校生が来年の干支(えと)のトラをモチーフにデザインした「新年ヘッドマーク電車」が、2022年1月1日から15日まで運行されます。デザインを担当した女子高生を招いた記念撮影会が2021年12月14日に鎌ヶ谷市のくぬぎ山車両基地で開かれたのを機に、2022年には開業75週年を迎える新京成の魅力を再発見してみました。

今回が4回目の新年ヘッドマーク 津田沼高校美術部員がデザイン

まずは寅年ヘッドマークから。新京成は、地域密着や話題づくりを狙いに2019年新春から高校生がデザインしたヘッドマーク電車を運行しています。

新京成の沿線自治体は京成津田沼方から習志野、船橋、鎌ヶ谷、松戸の4市で、これまで習志野を除く3市の高校にデザインを依頼。2022年は京成津田沼駅に比較的近い学校として、県立津田沼高校の生徒がデザインを手がけました。

津田沼高校では、美術部員がコンペ形式でデザインを競い、2年生の安藤寧々(ねね)さんと1年生の中山仁菜(にな)さんの作品に決定。ヘッドマークはごらんの通りで、安藤さんの作品はトラの顔を鏡もちに見立てたかわいらしいデザインです。

安藤さん(左)と中山さん(右)のデザインしたヘッドマーク。実物は縦55センチ、横75センチです(画像:新京成電鉄)
デザインしたヘッドマークをバックに撮影する安藤さん(右)と中山さん(左)。安藤さんは「お正月を感じて、あたたかい気持ちになってもらえれば」、中山さんは「電車を利用する方に、お正月らしい気持ちになってもらいたい」と思いを語りました(筆者撮影)

額に京成グループのマーク

中山さんの作品は、リアルなトラのイラストが迫ります。少々分かりにくいかもしれませんが、ひたいの部分には「K’SEI」の文字が。もちろん京成グループのマークです。

安藤さんと中山さんの作品、基調色はいずれも「赤」ですが、正月らしい祝いの気持ちを表現するとともに彩度を若干落として、深みのある色合いを表現します。

新年ヘッドマーク電車は1986年から運行する8800形1編成(6両)で、松戸方に安藤さん、京成津田沼方に中山さんの作品を掲出します。新京成は京成津田沼ー千葉中央間で京成電鉄京成千葉線に直通運転するので、新京成線内はもちろん、運が良ければ京成線内で出会えるかもしれません。

終戦翌年に歴史がスタート

さて、ここからは新京成のあれこれをご案内。歴史は終戦翌年の1946年にスタートします。有名な話ですが、新京成の路線の多くは鉄道連隊が建設した軍用鉄道がルーツです。陸軍鉄道連隊は、鉄道の建設や保守が主な役目。連隊が敷設したのは新京成のほか、千葉県営鉄道野田線(現・東武アーバンパークライン)、同じく久留里線(JR久留里線)など。今も営業中の鉄道が多くあります。

ちなみに、新京成の線路は非常にカーブが多い。訓練用に線路をわざと曲げたとの説もありますが、どうやら規定の線路延長(45キロ)を確保するため、路線をうねらせたようです。

新京成は京成の子会社ですが、設立前には、西武鉄道との引き合いがありました。西武も軍用鉄道の営業転用をもくろんでいたのです。京成vs西武は千葉県に事業基盤を持つ京成に軍配が上がりましたが、「もしも西武だったら、どんな電車が走ったか」と考えると空想をかき立てられます。

1947年、最初に開業したのは新津田沼(初代)―薬円台間2.5キロで、終点の松戸に到達したのは、8年後の1955年。千葉の鉄道史によると、全線が軍用鉄道通りでなく、ショートカットした区間もありました。みのり台―松戸間(3.0キロ)は、新京成が建設した新線区間です。

こちらは1955年の全線開業時の松戸駅での花束贈呈。開業時に半年間だけ京成千葉線へに直通運転されたとの記録があり、電車の行き先表示は「千葉行き」になっています(画像:新京成電鉄)

土地と全線パス無料で差し上げます

新京成の歴史を調べていたら、こんなこぼれ話も見つかりました。開業当初の新京成、何とか沿線住民を増やそうと、「1年以内に家を建ててくれれば、鎌ヶ谷大仏駅付近の土地80坪(約260平方メートル)をただで差し上げます。電車の無料パスも付けます」とチラシを配って宣伝しました。しかし、応募はたった1件だったそうです。

新京成の歴史に関しては、3回の改軌(開業時は国鉄・JR在来線と同じ1067ミリ。1953年に親会社の京成と同じ1372ミリに。さらに1959年に現在の1435ミリに。最後の改軌は京成の改軌〈1959年10月〉に向けた予行演習の意味合いもあったようです)など、鉄道ファンに興味深い話題がまだまだあります。機会があればご紹介しましょう。

8線の鉄道に連絡

話を現代に戻します。前にも書きましたが営業キロは全線で26.5キロ、駅数は24駅です。カーブが多いのはさておき、路線自体も津田沼と松戸を直線で結ぶというより、東側に膨らんで見えます。ただこれには一理あり、鎌ヶ谷市が現在のように首都圏のベッドタウンとして発展したのは、新京成、そして一部並行する東武アーバンパークラインの力が大きかったといえるでしょう。

路線は多くの鉄道と連絡します。京成津田沼で京成本線(京成千葉線も)、新津田沼でJR総武線、北習志野で東葉高速線、新鎌ヶ谷で北総線、成田スカイアクセス線、東武アーバンパークラインの3線、八柱でJR武蔵野線、松戸でJR常磐線と8本もの鉄道に乗り換えられます。千葉県の鉄道は東京から放射状に延びる路線、県内を南北に縦断する路線に区分できますが、新京成は南東から北西方向へ斜めのルートをたどるため、多くの路線に連絡して、使い勝手の良さを発揮します。

京成津田沼駅では5、6番線を発車

京成津田沼駅で発車を待つ松戸行き電車。京成電車と並ぶ姿が見られます(筆者撮影)

それでは、京成津田沼駅から松戸行き電車に乗車しましょう。新京成は一番北側、5、6番線を発車します。5番線は京成千葉線とつながり、2006年から京成への片乗り入れがスタート。日中時間帯、新京成の電車ほぼ2本に1本が千葉中央に直通運転します。

京成津田沼から新津田沼までは、新京成唯一の単線区間。新津田沼駅ビルには大手スーパーがテナントとして入居し、2021年11月には新京成のグッズ販売会も開かれました。

新津田沼駅に入線する京成津田沼発松戸行き電車。京成津田沼―新津田沼間は単線なので、松戸行きの電車は両わたり線のポイントを通って駅に入ります(筆者撮影)

新津田沼から先、高根公団付近まで沿線には住宅地が広がります。その先はナシ園や畑も点在し、自然も味わえます。関東の駅100選に選ばれたのが鎌ヶ谷大仏。江戸時代建立の鎌ヶ谷大仏は高さ1.8メートルで、台座を含めても2.3メートル。地域の人たちの愛着は強く、戦争中の金属供出も拒否して現代に至ります。

初富駅を発車後、車窓は一変します。千葉県などの都市計画事業で鎌ヶ谷大仏―くぬぎ山間が2019年12月に連続立体交差化され、鎌ヶ谷市内の約3.3キロが高架上に。初富、新鎌ヶ谷、北初富の3駅は高架駅になり、12カ所の踏切が廃止されました。事業認可は2002年3月で、完成までは約20年というロングランの鉄道近代化でした。

松戸市内に入ると再び沿線に住宅街が広がります。駅名にある常盤平団地は、新京成開通に歩調を合わせて開発が進みました。4階建ての中層住宅が全部で170棟。近年、住民の高齢化という課題を抱えており、関係機関の手でリノベーションが進みます。

松戸駅では一番東側の7、8番線が新京成ホーム。JR常磐線に乗り換えれば、上野、東京(JR上野東京ライン)、大手町、霞ヶ関(東京メトロ千代田線直通)などに乗り換えなしで到着できます

新京成のコラムは以上ですが、同社は2022年1月10日までの任意の3日間、全線に乗り降り自由な企画きっぷ「乗りトク!年末年始おでかけきっぷ」を発売中です。御瀧不動尊(最寄り駅・滝不動)などへの初もうでを兼ねて、沿線さんぽなさってはいかがでしょうか。

記事:上里夏生

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