「大統領の自転車」 巨匠ガリン監督のファミリー向けミュージカル、パプアを舞台に 【インドネシア映画倶楽部】第34回

Sepeda Presiden

インドネシアを代表する巨匠ガリン・ヌグロホ監督の映画制作40周年記念の最新作は、なんとファミリー向けのミュージカル! 純粋に「楽しい作品を作る」という原点に立ち返り、人々の幸せを模索したようだ。楽しく、気楽に鑑賞でき、パンデミックで閉塞感ある現在を明るい気持ちにさせてくれる。

文と写真:横山裕一

インドネシアを代表する巨匠、ガリン・ヌグロホ監督の映画制作40周年を記念した最新作はヘストゥ・サプトゥラ監督との共同指揮によるファミリー向けのミュージカル映画だ。インドネシアで最も美しいダイビングスポットのひとつとしても有名な、西パプア州ラジャアンパットの大自然を背景に元気な子供3人が夢を追う。

小学生エド、サウルス、ウベンの3人はラジャアンパットに点在する小島群のひとつに住み、いつも一緒にいる仲良し3人組だ。教会運営の学校のある島までも3人でボートで通う。ある日、遅刻で先生に怒られるなか、ジョコ・ウィドド大統領がパプア州の州都、ジャヤプラに訪問する新聞記事が目に入る。同大統領は地方視察の際、地元の子供たちに質問を投げかけ、答えられた褒美に自転車を贈ることで有名だ。その日以来、3人は大統領に会って自転車をもらうことを夢見るようになる。

こうした中、ジャカルタから若い女性ビナルが島に訪れる。彼女はソーシャルメディアを駆使して多くの反響を呼ぶインフルエンサーだが、メディア上で誹謗中傷されて心を閉ざし、静養のための来島だった。ビナルは3人組との交流を通じて精神的活力を取り戻し、3人を大統領が訪問するジャヤプラまで飛行機で連れて行くと約束する。果たして3人の夢は叶うのか、そしてその先で彼らは何に気づくのか……。

ジョグジャカルタのストリートチルドレンの儚い運命を描いた「枕の上の葉」(Daun di atas Bantal)や近年ではジェンダー問題を取り上げた「我が素晴らしき肉体の記憶」(Kucumbu Tubuh Indahku)など、社会問題を投げかけてきた作品も多いガリン・ヌグロホ監督作品としては、今回はファミリー映画ということで一貫して明るく、ミュージカル形式が楽しい雰囲気に花を添えている。

しかしその一方で、美しい大自然に囲まれながらも辺境地の公共サービスが行き届いていない実態など、物質的になんでも揃う都市部との地域間格差は如実に描かれている。主人公の子供3人組の一人が将来の夢として「勉強して、(離れ小島の)家に電気が通るようにしたい」と話すのも切実なものである。

ところが作品ではこうしたネガティブな要素も見逃してしまいそうになる。その要因は、主人公の3人をはじめとした出演者たちの明るさで、ジャカルタから来た悩める女性ビナルも彼らの明るさで回復に至る。豊かさとは物質による便利さと一体ではないことも改めて感じられる。ビナルは回復すると再びスマートフォンを使い出すが、これもスマホなしでは生きられない現代人を皮肉っているかのようでもある。

鑑賞前、巨匠たるガリン・ヌグロホ監督が大統領のパフォーマンスを題材にした作品とは、大統領の宣伝ではあるまいにどんなものだろうかという興味が先行していた。結果的には、細かく説明すると物語の結末がわかってしまうので曖昧な表現になるが、大統領からの自転車のように「夢」とは与えられるものではなく、自らの手で得るものだというメッセージで、「大統領の自転車」はあくまでもそのための前座として使われているようだ。

話はそれるが、初の大衆派大統領と言われるジョコ・ウィドド大統領が各地方訪問の際に子供と愉快な会話をし、自転車をプレゼントするようになってから、同作品内にも登場するが、全国の空港に各地の観光名所の絵を背景に同大統領が乗った自転車が配置されるようになった。空港利用者が大統領との二人乗りなどを記念撮影するためのものだ。

スマランの空港に設置されたジョコ・ウィドド大統領の乗った自転車

皮肉的に見れば、大統領の人気取りのためのアイテムでもあるが、歴代の大統領政権下で同様のものを作ろうという発想が皆無だったのも事実である。それだけに現大統領のキャラクターや大衆性ゆえに生み出された産物ともいえ、空港利用者がこぞって「大統領と記念撮影」したがる現象が生まれているのだろう。

同大統領は1期目の途中から、特に2期目に入ってからは、労働者側への説明不足のまま投資誘致促進などのためのオムニバス法の不透明な成立(後に憲法裁で違憲判決、改定命令)や汚職撲滅委員会弱体化を黙認するなど、同大統領の権威主義的な面が目立つようになってきているが、それでも大衆から親しまれ、支持を受けている現状は、まさに「自転車」に象徴されているようだ。

その意味で考えすぎかもしれないが、ガリン監督は物語内での子供たちの本当の夢は自転車ではないということと合わせて、鑑賞者に対しても「大統領の自転車」の向こう側にある、現実の政治・社会の実態を見極めるべきだというメッセージを暗に発しているのではないかとも感じられる。

しかし実際には、映画制作40周年にあたりガリン・ヌグロホ監督本人がアンタラ通信のインタビューに対して次のように話している。

(この作品で)大切なことは、大人(の世界)は飽き飽きしたので、子供(の頃)に戻って楽しみたかったということだ。何も考える必要はなく、歌や踊り、自然風景を楽しんでもらいたい。

ガリン・ヌグロホ

映画の世界に入ってから40年を迎えた同監督は純粋に「楽しい作品を作る」という原点に立ち返り、人々の幸せを模索したようだ。クリスマスイブ前日に公開された同作品はまさに、筆者が長々と書いたようなことを考える余地もないほど楽しく、気楽に鑑賞でき、パンデミックで閉塞感ある現在を明るい気持ちにさせてくれる。南国のクリスマス、年末映画としても相応しく、同作品で明るく希望を持った新年を迎えてもらいたい。

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