京都市で26日に行われた全国高校駅伝で、25年ぶりに出場した男子の東海大相模高が15位と健闘。就任3年目の両角駿監督(28)は「3年生を中心によく頑張った」と胸を熱くした。東海大の名将、速氏(55)を父に持ち、葛藤と曲折を経て歩んだ指導者の道。青年指揮官にとっても、偉大な背を追うスタートラインだった。
師走の京都はどこか懐かしい。長野・佐久長聖高時代は2年時まで主力として出場。「行くのが当たり前だと思っていた。指導者になってから都大路を走る大変さを感じた」。当然のようにあった風景は、かけがえのないものだと知った。
現役時代は順風には恵まれなかった。東海大に進むも、左股関節の故障に苦しみ2年時に退部。父に伝えないまま競技から離れた。
「父が(退部を)反対していたからですかね」と駿監督。思いを推し量るほどに、自らの決断が心苦しくなった。その後数年、歩み寄ることはなかった。
転機は大学院進学後だ。運動生理学の研究に没頭する中、コーチとして東海大陸上部に復帰。後輩たちを科学的な側面からサポートする日々が、親子関係に変化を与えた。
心身をすり減らして強豪を導く父の姿に、駿監督が抱いていたわだかまりはいつしか消えていた。一方、速氏にとっては長男が陸上界に戻ってくれたことが無上の喜び。「あいつなりに頑張っている。現場に戻ってきただけで十分だった」
指導者としてのやりがいを学んだ駿監督は2019年、東海大相模高に赴任。全国経験のない選手たちを鍛え上げる傍ら、中学校の大会に何度も足を運び、人脈づくりにも腐心する。「置かれた場所で咲きなさい」。就任に際して父から贈られた言葉が指針となっている。
初の全国舞台を終えたいま、思う。「父の背中も追い続けたいが、今は選手たちと向き合ってもっと強いチームをつくりたい」。この日のタイムは、父が佐久長聖高を率いて初入賞した時よりも1分近く速かった。