前田健太ら多くのプロが信頼 福島の野球少年だったトレーナーが忘れない原風景

パフォーマンスコーディネーターとして活躍するMTXアカデミー・木村匡宏氏【写真:荒川祐史】

子どもから多くのプロ野球選手を指導する木村匡宏氏

パフォーマンスコーディネーターとして活躍するMTXアカデミー・木村匡宏氏は、小学校低学年からプロ野球選手までたくさんのプレーヤーのサポートを行っている。子どもの体や脳の発達、トッププロに伝える技術などの知識が豊富で1歩先を行く指導は多くの支持を集める。その原点は「本塁打を打ってみたい」という野球少年なら誰もが描く思い。型に“縛られない”野球の大切さがそこにはあった。

【動画】グリップで打球が変わる トッププロも指導する木村トレーナーの指のストレッチ

福島のある中学校の校庭。今から約30年前の出来事だ。1つ年上の先輩が放った打球は、左翼後方の彼方へ飛んでいった。そしてある日、テレビの向こうでは足跡を伝えるVTRで巨人・王貞治氏が一本足打法で後楽園球場の右翼席へ大きな放物線を描いていた。

「すげぇーなぁー。俺もあんな打球を打ってみたいんだよなー」。

少年時代、木村氏は大きな本塁打を打ってみたいという衝動に駆られた。2人に共通していたものは型にはまった打撃フォームではなかったこと。先輩はお世辞にも美しいスイングではなく、豪快だった。世界の王は他の選手が真似できない独特なフォームを手に入れていた。木村氏は当時を振り返る。

「その時、私は当時の指導者から脇を締め、前で三角形を作るというイメージのスイングをさせられていました。確かに綺麗なんですが『これでどうやったら本塁打を打てるのだろうか』と疑問を持っていました。意外と適当に打っている子の打球の方が飛んだりしてる。そういう経験ありませんか?」

自分が取り組んでいる叩きつけるような打撃練習は、それを実現できる気がしなかった。悩んでいたところ、父から「マニアックな」技術書を渡された。科学する野球がテーマだった。そのページをめくるたびに、高鳴る鼓動を感じていた。

「そこで初めて(人間の動作の本質であるとする)新運動原理、という言葉に出会いまして、手塚一志さんの名前を知り、文献にも出会いました」

途中で監督が代わると…打球が上がったその理由

木村氏はアメリカの科学的なトレーニングや競技力向上に繋がるPNFなどコンディショニングを学び、衝撃を受け続けた。のちに手塚氏に“弟子入り”し、学びを得ることになる。

「体の動かし方を学んでいるうちに、それ自体が面白くなってきました。いろいろと『こうやったら打球が上がるのではないだろうか』と試行錯誤して、いろいろと練習の仕方をだんだん覚えていきました。それが僕の転機ですね」

その後の中学時代はというと、学校の監督が代わり、縛られることがなくなった。監督はスポーツと生徒が大好きだった木村氏の担任の先生で、細かいことは言わず、子どもたちと朝練から一緒に体を動かす時間を幸せと感じる人だった。

「やりたいように取り組んだら、打球が上がるようになったんですよ。脇をちょっと開けて、ボールを上げていくために、“こうしたらいい”みたいな形ができました。実際に、打球は上がるようになっていたんですよね。そのこと自体が楽しかったですね」

子どもたちだって悩みがたくさんある。「なりたい」という憧れを抱くことも大切だ。その願いを叶える力添えをするのが、指導者の役割でもある。

「人は脳を介さずに、運動するパターンがあります。そもそも、自分を上手に動かすという働きみたいなものがあります。それを壊してまで、コーチングすることは単なるいじりです。それを指導者側が気をつけないといけないと思います」

必ず、自分の中で考えているものがある。練習していく中で、その人はその人のやり方もある。自分に吸収できることは何か……。そのような感覚、つまり向上心を常に持つことが大事で、持たせることが新しい道への光を照らす。今ではツインズ・前田健太投手やロッテ・荻野貴司外野手ら多くのプロ野球選手から一目置かれる木村氏だが、故郷で育った貴重な時間を忘れることはない。

○木村匡宏(きむら・まさひろ)
1979年1月11日生まれ、福島県出身。福島高校、慶大と硬式野球部所属。一般企業やアスリートの競技力向上支援する施設での勤務経験を経て、現在、MTX ACADEMYチーフディレクター。最も力を発揮しやすい姿勢と言われる「パワーコネクトポジション」の重要性を説き、プロ選手から育成年代まで数多くの野球選手のサポートを行っている。(Full-Count編集部)

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