早朝から深夜まで緊張の連続、アナログ取材を積み重ねる「総理番」 ルポ・あの日の首相(上)

記者団の取材に応じる岸田文雄首相=2021年12月

 首相の一挙手一投足を追い、その動静を逐一速報する「総理番」記者。2021年5月から政治部で担当となり、新型コロナウイルス対策に奔走する菅義偉前首相を追い掛けた。紆余曲折を経て開催された東京五輪・パラリンピック、目の前で起きた突然の退陣表明、自民党総裁選を経て誕生した岸田政権と、続く衆院選…。政局が大きく動いた1年、私の目で見た「あの日あの時」の首相をお伝えする。(共同通信=伊藤元輝)

 ▽SPの脇に駆け付ける2人の記者

 21年12月、東京・永田町の首相官邸。広いエントランスを岸田文雄首相が歩いていく。車寄せにはトヨタの高級車、センチュリーが待機する。通称「総理車」。随行する秘書官が首相のかばんを手に1歩引いて歩く。周りを警護のSPが取り囲む。少し離れた位置で報道各社の記者がICレコーダーを片手に押し黙り、テレビ局のカメラマンもレンズを向ける。首相が転倒したり、不意に発言したりといった不測の事態に備えながら「退邸」を見届ける。官邸に出入りするたびに、この光景が繰り返される。

 首相が玄関に近づいたのを見計らって、私は記者団の輪から速足で抜け出して後方のSPの脇に合流した。共同通信と時事通信の記者2人だけが代表取材で同行を許されている。首相の動向を追う取材に本来制限はないはずだが、移動の際は警備の都合を考慮し「共同時事方式」と呼ばれる代表取材制が採用されている。

首相官邸に入る岸田文雄首相=2021年10月

 首相が身をかがめてセンチュリーに乗り込む瞬間、秘書官やSP、同行記者2人は一斉に前後の車を目がけて走る。秘書官車や警護車に続く最後方に、両通信社が用意した総理番専用の車、通称「番車」が待機する。

 ▽ベテラン運転手が考案した白手袋のサイン

 同行が許されているとはいえ、総理車はわれわれが乗り込むのを待ってくれるわけではない。後れを取ることのないよう、車に飛び乗る。目印はわずかに開いた運転席の窓からのぞく白い手袋。同じような黒塗りの車が並ぶ中でも間違えないようにと、ベテランの運転手が考案したサインだ。

 

皇居での任命式と認証式のため、首相官邸を出る岸田文雄首相=2021年11月

 席に着き、シートベルトに手を伸ばしつつ視線は総理車に向ける。車体がわずかに動きだした。「18時1分」。腕時計の文字盤と前方の総理車を見比べて、首相が出発した時間を小さく声に出した。「はい、18時1分ですね」。隣の時事通信の記者とダブルチェックする。

 勢いよく発進して揺れる車内。ノートパソコンを開く。あらかじめ立ち上げておいた記事入力ソフトには「●時●分、官邸発」の予定稿がある。読み合わせた時刻に書き換えて「送信」をクリック。通常の原稿と異なり、チェックは校閲部のみ。1分後には全国の加盟社に動静が流れた。「18時1分、官邸発」。情報はわずか1行分だ。

 「自民党本部着」「徒歩で公邸発」「東京・赤坂の衆院議員宿舎着」。予定稿はずらりと並ぶ。動きがあるたびに数行の情報が流れていく。1日の終わりに、全てをまとめて整理した原稿「首相動静」が完成し、翌朝には全国各地の新聞に掲載される。

 ▽記者が実際に目で見て積み重ねる1行情報

 総理番は政治記者としての基礎を身につける業務だ。一国の宰相に同行する仕事は新鮮で、刺激的だった。首相が今日、どこに行って何をしたのか。当たり前のように伝えられるニュースは、思った以上にアナログな方法で、かつ実際に目で見て確認する地道な取材を繰り返した結果だった。報道機関に10年近く身を置きながら、詳しくは知らなかった。

 

日本郵政本社の新型コロナウイルスワクチンの接種会場を視察する当時の菅義偉首相(奥左から2人目)=2021年6月

正直に言えば、繰り返される日々を不毛だと感じることもあった。「首相動静」は特ダネではないし、読み応えがあるわけでもない。首相を見失わないように万全を期し、1行の情報を積み重ねるのが目標だ。あまりにも特殊な業務だと感じる。

 それでも総理番の仕事は令和の時代になっても続いている。報道機関として最高権力者を至近距離で追い続け、その行動を正確に記録する重要性は、昔も今も変わらない。

 共同通信の総理番は6人のチーム制だ。6日に1回のペースで「当日番」が回ってくる。事前に公表されない予定が多く、朝の出勤から突然の外出、夜の会食会場まで常に追うため、緊張が続く。

成田空港で新型コロナウイルスの水際対策を視察する菅首相(右)=2021年7月

 残る5人は当日番をサポートすることが多い。首相が官邸で執務中に訪問者があれば、駆け寄って首相との面会予定があるか尋ねる。帰り際にも声を掛け、首相と会っていたかを確かめる。

 ▽見知らぬ来訪者、目的も聞き出せぬまま

 来訪者全員が丁寧に応じてくれるわけではない。いつ誰が来るのかも事前に分からないことが圧倒的に多い。そもそも赴任直後は顔の判別もままならないところからのスタートだった。

 頻繁に出入りする国会議員や官僚の顔は即座に分かるように、顔写真を何度も見て暗記した。それでも新型コロナウイルス禍でマスクを着用した顔を瞬時に見分けるのは至難の業だ。声も聞き取りにくい。われわれが取材できるのはエレベーターの前まで。誰か分からないままドアが閉まると天を仰いだ。

 来訪者が官邸を出る際に取材に応じればICレコーダーを回す。首相の発言が紹介されれば記事になる。何分間の面会だったのか、同席者がいなかったかなども細かく聞き出し、当日番に伝える。当日番はそれらを基に首相の面会の動静を流していく。「17時25分~45分、茂木敏充自民党幹事長」というふうに。

 ▽官邸に集う閣僚、報道陣に緊張が走る

 神戸支局から政治部に総理番として着任した21年5月。新型コロナの猛威は続き、当時は安倍晋三元首相から政権を引き継いだ菅首相が対応に追われていた。日本の中枢は、日々揺れ動いた。

新型コロナウイルス感染症対策本部であいさつする菅首相(左から2人目)=2020年12月

 官邸には3人の閣僚が頻繁に集まった。田村憲久厚生労働相、赤羽一嘉国土交通相、西村康稔経済再生担当相だ。官邸にいる菅首相と加藤勝信官房長官とともに、新型コロナ対応の政府方針を協議する。われわれは「5大臣会合」と呼んでいた。

 官邸に閣僚が来た時は特別な緊張が走る。官僚は玄関を入ってすぐ右手にあるエレベーターを使うのが一般的だが、閣僚ら政治家の多くは違う。エントランスを左斜めに数十メートル歩き、奥のエレベーターを使う。歩くルートには常にカメラの列が待ち構えている。

 記者は駆け寄って声を掛ける。テレビで記者の一群が後方から現れる映像を見た方もいるかもしれない。位置取りを間違えると声が全く聞こえないし、前に出すぎるとSPに押しのけられるリスクもある。閣僚を撮影するテレビカメラをさえぎらないよう配慮する必要もある。

 ▽5大臣会合、その翌日ついに

 苦心してベストポジションに回り込んでも、聞ける内容は限られる。「総理との面会ですか」「まあ、そんなところ」「コロナの5大臣会合ですか」「まあ、会議です」。エレベーターまでは二言三言のやりとりがやっとだ。ドアが閉じると私を含む記者は一斉にポケットからスマートフォンを取り出し「大臣が入りました」「コロナ会議のようです」とキャップに報告する。こっけいに思えるかもしれないが、「官邸でコロナ対応を協議した」という事実一つ確認するのにも、地道でアナログな作業が必要だ。

記者団のぶら下がり取材に応じる菅首相=2021年4月

 総理番になって間もない5月13日にもこの会議があった。弊社の首相動静によると、午後6時25分から厚生労働省の事務次官や医務技監らも交えて話し合い、6時36分から5大臣だけで協議した。

 「緊急事態宣言について、北海道、岡山県、広島県を追加し、期間は5月16日から31日までとすることを決定しました」。菅首相は翌日の記者会見で表明した。東京五輪の開幕まで2カ月余り。飲食店は時短営業が続いていて、取材が深夜に及ぶため食事の調達にも苦労した。一日中首相を追い掛けると、両脚のふくらはぎは痛み、頭はぼーっとする。最初の1カ月は缶ビールを飲むのも忘れ、ベッドに倒れ込む日が続いた。(続く)

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