辞任表明前夜…いつも会釈の首相が、向き直って深々とお辞儀    ルポ・あの日の首相(下)

 新型コロナウイルス禍に直面した首相と、その姿を間近で取材した共同通信の総理番の日々を描いた。後半の今回は、菅義偉前首相の辞任表明前後の様子を詳述する。(共同通信=伊藤元輝)

 ▽華やかな開会式、無表情の首相

 2021年9月5日、東京パラリンピックが閉幕した。私は国立競技場内の駐車場に停車した通称「番車」の後部座席から、前方に身を乗り出してカーナビの画面を見つめていた。映し出されていたのは閉会式のテレビ中継。菅義偉首相(当時)を追う「当日番」だったが、新型コロナウイルスの影響で入場はできなかった。総理車から降りる姿を見届けた後、首相が画面に映る瞬間を見逃さないようにした。笑顔で海外の要人と談笑したり、万が一居眠りしたりするような場面があれば原稿になるからだ。

 式の華やかな演出と、がらんとした観客席のギャップ。そこに時折映る首相は無表情で、危機のさなかに一大イベントをやり遂げた高揚感や興奮は読み取れない。

東京五輪の閉会式に出席した菅義偉首相(当時)=2021年8月

 緊急事態宣言を延長するのか否か。どの自治体が追加されるのか。東京五輪は無事に開催できるのか。観客は入れられるのか。来日する選手と国内在住者の動きを分ける「バブル方式」は機能するのか。この日までの約4カ月間、官邸では多くの時間が新型コロナと五輪・パラリンピックの対応に割かれた。私自身、競技観戦を楽しむ気持ちになれないまま、気付けば大会期間が過ぎていた感覚だった。

 ▽「ぶら下がり」で突然の退陣表明

 脱力感の背景にはもう一つ、大きな出来事があった。2日前の9月3日、首相は記者団を前に突然「退陣」を表明したのだ。私の頭には、その時の衝撃の余韻がまだ強く残っていた。

 総理番が担当する重要な仕事の一つに「ぶら下がり」がある。記者が立ったまま首相を囲む形の取材で、報道各社が実施を申し入れる。取材を受けるかどうかは首相の任意で、基本的にはその日のうちに場所と時間の回答が来る。

 各社のキャップクラスが出席して練った質問をする記者会見とは目的が微妙に異なり、ぶら下がりは日々の事象についてタイムリーに、かつ短時間で首相の言葉を引き出す機会と位置付けられている。報道各社が日々開催を要請することで、首相が無視できない状況をつくる。首相も自身の考えを表明し、国民に訴える機会として利用する側面がある。総理番は質問を投げ掛け、首相の発言にペンを走らせ、終われば直ちに速報する。

記者団の取材に応じる菅首相(当時)=2021年7月

 首相の退陣はこのぶら下がりの場で表明されることになる。当時、9月29日投開票の自民党総裁選が迫っていた。岸田文雄前政調会長が立候補を表明し、菅首相の無投票再選の可能性は消えていた。

 ▽議員宿舎で見せた丁寧なしぐさ

 退陣表明前日の9月2日、当日番だった私は自民党本部に入る首相を追っていた。エレベーターに乗り込むのを確認すると、総裁室のある4階まで階段で駆け上がる。SPに囲まれて目の前を横切る首相。肩で息をしながらパソコンを開き「15時53分 自民党本部着」の動静を打ち込んだ。

 程なくして、二階俊博幹事長と面会していることが判明する。だが首相はぶら下がりの要請を拒んだ。「総裁選出馬の意向を伝えたのか」と声を掛けられても無言を貫いた。

 気になることもあった。公務を終えた夜、住まいの東京・赤坂の衆院議員宿舎に到着した際に「総理、お疲れさまでした」と大きな声を掛けると、こちらに向き直って丁寧に、深々とお辞儀をしたのだった。普段は顔だけをこちらに向けて会釈することが多いだけに、妙に印象に残った。

 翌3日午前、自民党本部で開かれた役員会で事態は動いた。内容は非公開だったが、正午ごろから「首相が役員会で辞意を表明した」との速報が相次いだ。直ちにぶら下がりが要請され、応じると返事が来た。午後1時6分、首相が官邸のエントランスに現れた。朝から降っていた雨は弱まったが、日差しはわずかで薄暗い。記者やカメラマンはいつもの2倍、約80人が詰め掛けた。蒸し暑かった。

自民党本部で開かれた臨時役員会=2021年9月3日

 ▽最高権力者の背中

 「先ほど開かれました自民党役員会において、私自身、新型コロナ対策に専念をしたい、そういう思いの中で、自民党総裁選挙には出馬をしない、こうしたことを申し上げました」

 首相はこの日もいつも通り、独特な文節の区切り方で約2分間、淡々と話した。発言後の追加質問には答えず、きびすを返すとエレベーターに向かった。

 最も強大な権力の座から一人の政治家が降りる、その宣言の瞬間に居合わせた。それだけで体がひりひりとした。首相の心にはどんな感情が渦巻いているのだろう。その地位に就いた人間にしか分からない世界に思いを巡らせた。

 菅首相を追ったのは約5カ月間。懸命に働いているようには見えた。こう言うと、権力に寄り添っていると批判を受けるだろうか。首相は朝7時台から始動し、官僚を中心に数多くの面会をこなすことが多かった。休日もほとんど取らず、公邸に民間人を招いては話を聞いていた。

 あくまで物理的にだが、首相は近い存在になった。取材先とは相対するのが一般的だが、「追い掛ける」という取材の性質上、総理番は首相の背中を見る機会が多い。「背中で語る」という言葉があるように、想像力をかき立てられる。疲れているのではないか。気合が入っている。リラックスしていそうだ…と。その影響で、多少感情移入していることを自覚する。常に取材先と一定の距離を保つのは難しいと、改めて思い知る。

衆院が解散され、万歳三唱する岸田首相(上段中央)と議員ら=2021年10月

 ▽そして岸田新政権が発足

 「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」。10月14日、衆院解散が告げられた本会議場。傍聴席から、議席の最後列に陣取る岸田文雄首相の様子を注視した。マスクを着けていて表情までは読み取れないが、両手を3回しっかりと振り上げ、気力がみなぎっている様子だ。恒例の万歳三唱が終わると、議場は不思議な高揚感に包まれた。衆院選での健闘を誓い合うように互いにグータッチしたり、笑顔で声を掛けたりしている。首相も数人と談笑し、力強い足取りで議場を後にした。

 菅前首相の退陣とともに、総理番は自民党総裁に就いた岸田首相を追うことになった。内閣は4日に発足したばかり。赤じゅうたんが敷かれた官邸の階段に閣僚が並ぶ恒例の写真撮影にも立ち会った。次々に官邸に入る新閣僚を、あらかじめ準備した顔写真と見比べて特定した。撮影時の無数のフラッシュが、その場の空気を一気に華やかにした。

初閣議を終え、笑顔で記念撮影に臨む岸田文雄首相(中央)と閣僚ら=2021年10月

 衆院選突入後の10月22日には、雨が降りしきる札幌市中心部で、かっぱを着込んで首相の演説に耳を傾けた。総理番は各地の遊説にも同行する。演説内容に変化はないか。ニュースにすべき注目発言が飛び出さないか警戒する。

 ▽権力の「表面」に触れる感覚

 首相は聴衆を前に「丁寧で寛容な政治をしっかり進めていきたい」と力を込めた。強みを「聞く力」と自任する首相の演説はやや迫力には欠ける気がするが、安心感がある。

 

テレビ局のインタビューに答える自民党総裁の岸田首相=2021年10月

 次は約1時間半かけて苫小牧市へ。普段は車で長距離移動する機会は少ない。広い大地を移動しながら、全国津々浦々に有権者がいて、それぞれに大切な生活を営んでいることを改めて実感する。

 12月17日、国会。予算委員会が開かれている参院第1委員会室で、傍聴席から答弁に臨む首相を見つめた。委員会は議員同士の距離が近く、議論も白熱する。首相の表情、言葉、立ち居振る舞いは就任から約3カ月を経て、堂々としてきたように見える。

 約1週間前には東京・赤坂の衆院議員宿舎から、官邸に隣接する公邸に引っ越していた。長期政権を目指して腰を据える意味だろうかと想像した。

首相公邸を出る岸田首相=2021年12月

 総理番の任期は長くても1~2年。ほんのいっときに過ぎないとしても、首相の持つ権力の表面をなでる程度には、確かに触れた感覚がある。首相はその力を正しく国民のために使っているか。それを確かめるために、今日も背中を追い掛ける。

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