9度の手術も「ケガをする道を選んだ」 元ドラ1右腕が“つらい顔”見せなかった訳

元ロッテの内竜也氏【写真:町田利衣】

内竜也氏は2020年シーズンで17年間の現役生活を終えた

2020年シーズン限りで現役を引退した元ロッテの内竜也氏。今年4月に自身が代表取締役となり「株式会社V-slider」を設立し、第2の人生を歩み出した。川崎工高から2003年ドラフト1巡目で入団し、チーム一筋で通算308試合に登板。9度の手術を乗り越えながら、切れ味抜群のスライダーを武器に強打者を封じた17年間を振り返った。

「俺はケガをする道を選んだ。ケガをしない野球人生を歩むことはできたけど、ケガをしても自分の納得するボールを投げたかったから」

肩1回、肘3回、足首4回、盲腸1回……。メスを9度も入れ、そのたびにリハビリを乗り越えた。「半分しか野球をしていない」と自虐的に笑うが「手術をしたらダメになるわけではなく、痛みが取れるという考え」と常に前向きに決断してきた。

手術とリハビリは「自分のメンタル、気持ちの持ちよう」だと内氏は言う。「今、野球の手術でダメになる例ってないと思う。だから大切なのはリハビリ期間をどう過ごせるか」。自身はマイナスイメージを持たずに治るという確信を持ち、トレーニングを積んだ。手術箇所とは別の部分を鍛えることでパワーアップにもつながった。

一方、手術を受けて気持ちが沈む後輩たちのことは、誰よりも気持ちが分かるからこそ気に懸けた。当時、長いリハビリ生活を送っていた佐々木千隼投手、岩下大輝投手、大嶺祐太投手らには毎日声を掛けるようにした。「うざがられてもいいから無駄に絡む。話すだけで気が紛れることもあるから」。今季1軍で54試合登板とフル回転した佐々木千の復活劇を「活躍して良かった」と喜んだ。

栄光の“ドラ1”も入団即衝撃「周りはレベルも高くて」

プロ野球の世界は当然、毎年故障者が出る。手術を行う選手もいる。内氏は「自分は辛い顔をせずにやっていたつもり。そういうのが少しでも後輩たちに伝わっていて、ロッテで手術へのマイナスなイメージが薄くなっていたら嬉しい」と願った。

栄光のドラフト1位として18歳でプロの世界に飛び込んだが「無名の高校から入って、周りは甲子園に出ていたりレベルも高くて」とすぐに衝撃を受けた。プロに入れば順位は関係ない、結果がすべての世界。“ドラ1”でも這い上がる気持ちを持って必死で腕を振った1年目、イースタン・リーグで抑えを任され10セーブを挙げた。

日本一に輝いた2010年には日本シリーズ4試合に登板して優秀選手賞を獲得。大舞台での経験を機に存在感を示すようになった。2017、2018年は2年連続50試合登板を達成。2018年は自己最多の26セーブをマークした。

2020年オフに戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトを受験したがNPB球団からは声は掛からなかった。独立リーグも頭をよぎったが、最後は鼠径部痛を発症していたこともありユニホームを脱ぐことを決めた。

栄光の日本一も、長く地道なリハビリ生活も味わった17年間。「正直、頑張ったなと思います。スライダーしかなかったけど、その武器を持ってプロ野球生活を17年間できた」。ケガが多かったことに後悔はない。納得がいくまで自分のボールを投げ続けた野球人生は、誇りだった。(町田利衣 / Rie Machida)

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