野茂、伊良部と比べても「化け物でした」元長距離砲が忘れ得ぬ日米野球の衝撃

レッドソックスなどで活躍したロジャー・クレメンス【写真:Getty Images】

クレメンスの剛球は「芯の辺りに当たっても押し込まれた」

狙いを定めれば、プロの世界でも直球に振り遅れることはなかった。ただ、プロ生活17年間で一度だけバットを短く持って打席に入った。身長194センチ、体重100キロ。日本人離れした大きな体で「デカ」の愛称で親しまれ、NPB通算124本塁打を積み重ねた元オリックス&ヤクルトの高橋智さんは、参加した日米野球で衝撃を受けた投手がいた。日米野球には他にも忘れられない思い出があるという。

プロ8年目の1992年、オリックスでプレーしていた高橋さんは自己最高の成績を残した。127試合で打率.297、29本塁打、78打点。オールスターに初出場し、ベストナインにも選出された。シーズンが終わった11月、日本代表メンバーに選ばれて日米野球に出場した。そこで、衝撃を受ける。

「寒かった甲子園のマウンドにノースリーブで立っていました。直球と分かっているのに詰まるし、バットの芯のあたりに当たっても押し込まれるんです。やばいと思って、初めてバットを短く持ちました。少年野球のように1、2、3のタイミングで直球だけを狙っているのに、打球が一塁側に飛んでしまいました」

高橋さんがパワーで圧倒されたのは、当時レッドソックスのエースだったロジャー・クレメンス。この年は18勝をマークし、防御率2.41で3年連続のタイトルを手にしていた。メジャーリーグのトップ選手と初めて対戦した高橋さんは「日本にも野茂、伊良部という、ものすごい直球を投げる投手がいましたが、クレメンスは化け物でした。他の試合で左投手から本塁打を打ったのですが、クレメンスの衝撃が大きすぎて、あまりうれしさはなかったですし、投手の名前も覚えていません」と振り返る。

現在はエレベーターの整備工をしている高橋智さん【写真:間淳】

秋山幸二氏の気遣いに感激「オシャレすぎますよね」

もう1つ忘れられない出来事があった。計7試合開催された日米野球では、東京ドームも会場の1つだった。オリックスに所属していた高橋さんは、頻繁に宿泊するホテルが東京にはなかった。ともに日本代表だった松永浩美さんから「秋山に頼んでホテルを予約しておいてもらったから、そこでいいか」と宿泊先を確保してもらったという。秋山とは西武のスター選手だった秋山幸二氏。高橋さんがホテルの部屋に入ると、ドラマのワンシーンのような光景を目にした。

「すごい量のウェルカムフルーツが準備してあって、その横に秋山幸二と書いたカードが置いてありました。オシャレすぎますよね。面識はあったとはいえ、特別に親しいわけでもない他球団の選手に気遣いができるのは器が違うなと思いました」

翌日、高橋さんは球場で秋山氏にお礼を伝えた。「1人でフルーツ全部食べたの? と驚かれました。遊びに行くところも知らないので、部屋にこもって、おいしくいただきました」。日米野球を振り返ると、クレメンスに力で圧倒された少し苦い思い出と、秋山さんのオシャレな演出による甘い記憶がよみがえる。

〇高橋智(たかはし・さとし) 1967(昭和42)年1月26日、横浜市生まれ。54歳。向上高から1984年ドラフト4位で阪急に投手として入団。野手に専念した1987年に1軍デビューし、91年に23本塁打。92年には自己最多の29本塁打を放ってベストナインを受賞した。99年にヤクルトへ移籍、同年に16本塁打を記録した。2001年オフに戦力外通告を受け、翌02年に台湾プロ野球に挑戦し、シーズン途中で退団、現役引退した。NPB通算945試合出場、打率.265、737安打、124本塁打、408打点。(間淳 / Jun Aida)

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