原爆開発から見る戦争 「映画 太陽の子」黒崎博監督インタビュー 「平和や今後の生き方につながる」

“原爆開発”など多様な角度から、戦争で何が起きたかを見つめることで「平和な世界やこれからの生き方につながっていくのではないか」と語る黒崎監督=長崎市、爆心地公園

 太平洋戦争末期の日本で原爆の研究開発が進められていた事実を基に、若い科学者の葛藤を描いた「映画 太陽の子」の黒崎博監督(52)が、長崎新聞のインタビューに応じた。戦争の被害だけでなく“原爆開発”など多様な角度から、戦争で何が起きたかを見つめることで「平和に暮らせる世界やこれからの生き方につながっていくのではないか」と述べた。

 -制作の経緯は。
 10年ほど前、広島市内の図書館で、広島に原爆が落とされた後に、京都帝国大(当時)で原子物理学を学んでいた学生が調査に赴いたことなどがつづられた日記を読んだ。取材を進めると、彼らが当時、日本海軍から依頼を受けて新型兵器の研究をしていたと分かった。
 日記には研究以外にも、食べ物のことや家族、友人のことなどが生き生きと書かれていた。彼らは悪い人ではなく普通の若者で、戦争によって運命が大きく変わった。一生懸命に生きていた日々を物語にしようと思った。
 -日記を見つけた時の心境は。
 「なんだこれは」と驚いた。私は日本人も研究していたことを純粋に知らなかった。初めは恐ろしい殺りく兵器を研究するためかと思ったら、そうではなかった。軍の命令で、研究の延長線上に「兵器の研究」が置かれてしまった。
 -長崎市民に映画を見てもらうことについて。
 日本人が原爆につながる研究をしていて、加害者たり得た。被爆地の広島や長崎の人は「そんなもの見たくない」と思う人もいるだろう。どう受け止められ、どういう感情を引き起こしてしまうか分からない。楽しいだけではない映画なので、すごく心配している。
 ただ、皆さんにどう感じられるか作り手としてすごく知りたいし、聞いてみたい。当時の若者が一生懸命に生きたことが一番大事だと思う。そこをストレートに見てもらえると、作り手としては一番うれしい。
 -これまで原爆について学ぶ機会は。
 出身は広島県の隣県、岡山県。父などから親戚をたどると、広島に赴いて原爆で亡くなった人がいる。被爆から数日後、岡山市内にけがをした人が歩いて逃げてきたと聞いた。自分にとって、原爆はそんなに遠い話ではないと思っていた。
 -唯一の戦争被爆国と呼ばれる日本も核爆弾をつくろうとしていた。作品に込めた思いは。
 小説や映画も、被害者としての日本をたくさん描いてきた。苦しみを描くことで「戦争はやってはいけない」と教えられ、学んできた。ただ被害だけで一面的とも感じ、多角的にあぶり出さないといけないと思っていた。戦後70年以上がたち、さまざまな角度から「戦争で何が起きたか」を突き詰めていくことで、平和に暮らせる世界やこれからの生き方につながっていくのではないか。
 -作品が持つ普遍性は。
 現代の人工知能(AI)やゲノム編集などの研究も、人を殺すためにしているわけではない。みな好きな研究をしているだけだが、そういった研究は良い面と危険な面を併せ持っている。誰しも初めから悪意を持って研究しているわけではないことが、現代にも重なるのではないか。(聞き手は酒井環)

◎映画「太陽の子」
 太平洋戦争末期に軍の密命を受けた京都帝国大物理学研究室の科学者、石村修(柳楽優弥)を主人公に、戦争に翻弄(ほんろう)される若者たちの姿を描く。修と研究員らは原子爆弾につながる研究に没頭するも、科学者が戦争に加担していいのかという葛藤を抱えていた。そのさなか、広島に原爆が投下される。今年8月6日から全国公開が始まった。来年1月7日からブルーレイとDVDを販売する。

【略歴】くろさき・ひろし 岡山県出身。NHKチーフプロデューサー。1992年にディレクター職で入局。主な作品にNHK連続テレビ小説「ひよっこ」、NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」などがある。

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