真実を明らかにする責任は誰にあるか 森友文書改ざんスクープとその後 朝日新聞(2018年) [ 調査報道アーカイブス No.78 ]

◆大スクープ「森友文書 書き換えの疑い」

安倍政権時代、安倍晋三元首相をめぐっては、いくつもの“疑惑”が浮上した。桜を見る会とその前夜祭、加計学園グループの獣医学部設置をめぐる問題、森友学園への国有地払い下げ問題、公文書の未作成や改ざん…。こうした“疑惑”を掘り起こしたのは、週刊文春や新聞、テレビによる調査報道だった。朝日新聞による「森友文書 書き換え」のスクープはそうした調査報道の一つであり、大きなインパクトを与えた。

森友学園(大阪府)に小学校用地を払い下げた際、不当な値引きが行われたのではないか。それが「森友問題」の核心である。払い下げ価格は、近隣土地の10分の1程度という破格。小学校の名誉校長が安倍首相夫人だったことから、払い下げには首相の意図か周辺の忖度が働いたとの見方も強まった。国会で野党側は「ただ同然ではないか」「異常だ」と攻勢を強める中、財務省は国会議員に関連文書を提出した。しかしながら、その文書が改ざんされていたのである。

そうした事実を暴いたのが朝日新聞であり、第1報は2018年3月2日朝刊1面に掲載された。『森友文書 書き換えの疑い』『財務省、問題発覚後か』『交渉経緯、複数箇所』という大見出し。それに続く記事には、こんな内容が記されている。

学校法人・森友学園(大阪市)との国有地取引の際に財務省が作成した決裁文書について、契約当時の文書の内容と、昨年2月の問題発覚後に国会議員らに開示した文書の内容に違いがあることがわかった。学園側との交渉についての記載や、「特例」などの文言が複数箇所でなくなったり、変わったりしている。複数の関係者によると、問題発覚後に書き換えられた疑いがあるという。

記事によると、契約当時の文書には財務省と学園側の交渉経緯が具体的に記され、要請にどう対応したかの記述があった。しかし、議員に開示された文書ではそれらが項目ごとなくなっていた。また「特例的な内容となる」「本件の特殊性」などの記述が部分的に消されていた。

◆神経すり減らす取材、真実への努力

第1報の1週間後、3月9日の続報は改ざんの内容を一段と詳しく伝えた。『森友文書 項目ごと消える 貸付契約までの経緯』『売却決済調書 7ページから5ページに』。記事は再び1面トップ。見出しからもわかるように、国と学園の契約締結までの経緯を示した文書は大きく改ざんされた結果、文章が短くなりページ数も減っていたという内容だ。

一連の取材はどう進んだのか。その経緯は『「森友問題」を追う 記者たちが探った真実』(朝日新聞デジタル)によると、改ざん問題の取材は次のように進んだ。

取材を進める中で、まずはこの土地取引が「特例」というふうに財務省では言われていたことが分かった。また、通常の国有地売却は一括払いが基本にもかかわらず、この土地の場合は異例の分割払いを認めていることも明らかになった。そうした取材の中で、ある疑いが浮上した。

「財務省が公文書を改ざんしたのではないか」

公文書は民主主義の基本だ。公文書を元に国会審議が行われ、行政は全て公文書で動いている。それを改ざんするということは、行政をゆがめ、国民にうそをつくことと同義と言える。財務省は、国の中枢を担う「省庁の中の省庁」といわれる。その財務省が本当にその公文書を改ざんするのだろうか。

国会答弁に立っていた佐川氏の態度はかたくなで、説明に消極的だった。その姿勢の不自然さを考え、「改ざんはひょっとしてあり得ない話でもないと思った」と羽根デスクは言う。

取材班はこの後、解明のために、この土地取引に関する膨大な資料と向き合うことになる。どの文書のどの部分が、どう改ざんされたのかを特定する、根気のいる作業だった。

この文章は、取材の端緒情報には一切触れていない。何があっても取材源の秘匿を貫かなければならないからだ。調査報道では当然の大原則である。「羽根デスク」、すなわち、朝日新聞東京本社の羽根和人・社会部次長は『新聞研究』(2018年10月号)において、自ら取材当初の様子を明かしている。そこにも端緒の記述はない。

「まさか」。同時に思った。「いや、本当かもしれない」
財務省が、幹部ぐるみで公文書を改ざんしたようだーー。そんな情報を取材班がつかんだときのことだ。

財務省の佐川宣寿・前理財局長は国会で詳しい説明を拒み続けていた。その姿が「なぜそこまでかたくななのか」と不自然に見えたからだ。「問題の発覚後に公文書を書き換えていたら、ああいう答弁の姿勢もつじつまが合う気がする」。取材班のメンバーも同じことを考えたようだ。

◆真実を明かす責任は誰に?

森友学園問題のその後は広く知られた通りである。書き換えを強いられたのは、近畿財務局の職員だった赤木俊夫氏。正義感の強かった赤木氏は最終的に自ら死を選んでしまった。妻の雅子さんは経緯を示した「赤木ファイル」の開示を繰り返し求めたり、損害賠償を求めて国を提訴したりした。いずれも、何が起きたかの真相を明らかにするためだ。しかし、その訴訟は今年12月15日、国が一方的に賠償を認める「認諾」の手続きを行い、突然終結した。

羽根氏は『新聞研究』で次のようにも書いている。森本文書をめぐっては、誰がどう改ざんを指示したのかといった経緯の詳細が明らかにならなかったことから、その責を朝日新聞に求める声も出た。情報源を示さない限り、報道は最終的に信頼できないという極論もあった。羽根氏の文章はその点にも触れている。

改ざんの初報の後、驚きを覚えたことが一つある。それは「朝日新聞に挙証責任がある」という主張が少なからずあったことだ。大げさかもしれないが、「日本にはジャーナリズムが必要ない」と言われているようにすら思えた。

権力の不正を報じるとき、情報源の秘匿が必要なことは珍しくない。「我々はこんな資料を得ているんです。見てください」「こんな証言も録音しています」などと証拠を公にしなければならないのなら、ジャーナリズムは成り立たない。権力は、ほんの小さな手がかりからネタ元を探す力を持っているからだ。

2022年の3月がくれば、朝日新聞による調査報道スクープから4年になる。森友文書が改ざんされたこと自体はわかったが、依然、詳細は不明のままだ。改ざん指示のルートはどうだったのか、当時の麻生太郎財務相は関わっていたのか、安倍氏自身の関与の有無はどうか。真相は明らかになっていないのだ。その責任が誰にあるのかは、言うまでもない。

■参考URL
単行本『権力の「背信」 「森友・加計学園問題」スクープの現場』(朝日新聞取材班)
単行本『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(赤木雅子・相澤冬樹著)
『森友問題」を追う 記者たちが探った真実』(朝日新聞デジタル)

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