【選挙制度考】衆院選の選挙制度を中選挙区制に戻すという暴論を論破する(歴史家・評論家 八幡和郎)

新潟5区の裏金告発は小選挙区だからこそ出来た

 新潟5区の泉田裕彦代議士が自民党星野伊佐夫県議から裏金を要求されたと11月29日に暴露した事件について、当初は、「どっちもどっち」とか、「変人代議士と角栄以来のドンの馬鹿馬鹿しい喧嘩」という報道が多かった。

それに対して、私は「泉田氏の告発を揶揄するマスコミと政治家の不見識」(アゴラ・2021.12)という記事を書いて、全面的に泉田氏を擁護したが、当初は孤立無援、泉田氏を擁護しているのはお前だけだとまで書かれたりした。

 その後、自民党の長岡市支部が、泉田氏の新潟5区支部長更迭を求めたりしたこともあったが、「何も間違ったことをしていない泉田氏がなぜ責められなければならないのか」といった正論も出てきて、星野氏の方が自民党を離党することになったことは、まことに理に適ったことだ。

 しかし、新潟3区選出の自民党の斎藤洋明衆院議員が、「星野県議の言動は極めて問題」「県連に対して速やかに厳しい処分を下すよう求めています」などとツイッターに投稿したのは12月8日、毎日新聞がようやく「「告発者の解任おかしい」衆院選裏金問題 泉田氏擁護の声相次ぐ」と書いたのは、12月16日である。

 この問題については、次期総選挙から新潟県が6区から5区に減るという問題もからんでいて、比例単独候補だった人も含めて五つの選挙区しかないのに、代議士は7人いるという特殊な問題もあって、泉田氏への喧嘩両成敗論にはそのへんの思惑も見え隠れした。ほかの6人にとっては、なんであれ、泉田氏が消えてくれたほうがありがたい。

 そのあたりの定数削減の問題については、回を改めて書きたいが、今回、泉田氏が金権選挙の誘惑に負けず強気を通せた裏には、小選挙区制であることも大きいと思う。

 小選挙区制であればこそ、金権選挙などやらなくとも、当選できるのである。それは、昔ながらの選挙を好む人には不満かもしれないが、金のかからない選挙にはおおいに貢献しているのである、

その意味はふたつある。ひとつは、同じ党の候補者同士での競合がないことだ。中選挙区時代には、きめ細かな日常活動が要求され、街頭のポスターの枚数や張り替え頻度、多くの秘書など陳情取り扱いのための体制整備、後援会の旅行とかレクリエーションなど競合候補と遜色ない対応が求められた。

 この選挙区は、中選挙区時代には田中角栄元首相が選出されていた新潟三区で、金権体質に毒されていた選挙区だ。もし、泉田氏が田中氏の選挙地盤をそのまま継承していたら、角栄的な選挙区対応を強いられていたに違いない。

 私のよく知っている選挙区では、大企業グループのオーナーだった代議士から選挙地盤を引き継いだ官僚政治家が、金食い虫の後援会を維持するのにえらく苦労していたのを思い出す。

 もうひとつは、選挙区の広さだ。現在でも衆議院の小選挙区が3から4の人口150万人以下の県は参議院は一人区だが、だいたい衆議院の倍くらい選挙費用がかかっている。選挙区の広さも違うし、有権者数も多いから当然だ。

 衆議院を中選挙区に戻したら、複数候補を立てる党の候補者は参議院議員選の候補者並みの二倍以上の費用がかかると思って良い。しかも、選挙感覚が平均三年だからやってられないだろう。

 こういうコスト増の資金をどこから持ってくるつもりなのだろうか。以前は、日本の政治も行政も利権構造が張り巡らせられていたが、いまや、集金は難しいので、世襲候補と大富豪とよほどあくどい候補しか出られなくなるだろう。

小選挙区の方が世襲議員を減らせる

 世襲議員の是非についてそのものは、別の機会に論じたいのだが、小選挙区制度と世襲議員についていえば、数字的にはやや減少したといわれているが、ほかの条件がいろいろあるのでどの程度かと断言は出来ない。私の印象としたら、もし、中選挙区制のままだったら、相当、現在より多かったと云うことはできる。

 なぜなら、小選挙区制は世襲議員が激増していく傾向の頂点において導入されたが、その後、少なくとも増えているとはいえないからである。

 しかし、それ以上に、どうして中選挙区制で世襲議員が増えていったかという理由を考えた方がいい。世襲議員が増えた理由は、中選挙区制のもとでは、自民党で、選挙区ごとの支部というものが力を持てず、個々の議員の後援会だとか、秘書軍団が力を持って利権構造を下支えし、その支持する代議士が落選、引退、志望すれば、その組織は解体してしまったので、その代議士の後継候補が必要だったからだ。

 そうなると、新人だとか地方議員ではまとめにくく、分裂の可能性があるが、世襲候補だとそのまま組織や利権構造が維持できたからである。

 ところが、小選挙区制度では、そもそも候補者を選ぶ主体が党の支部であることが多いし、どんな候補者であろうが、さまざまな組織もかなりの程度、そのままに近い形で維持しやすいし、落選候補にとってもそのまま支部長として陳情の窓口になるなど活動しやすい。

 そういうわけで、少なくとも世襲候補のメリットは非常に減じているのだが、逆にどうしても世襲させたいという政治家もいるし、世襲候補は後継候補選考にあたっても有利である。それをどうしたら防止できるかとか、少なくとも著しく有利だとというのを防止できるかと云えば、そもそも直接世襲を禁止するのが一番取ってりばやい。

 あるいは、世襲できるのは、当選後、一定期間内、たとえば、一年内に次期選挙での引退を宣言した場合のみに限定し、それから、一年内に次期選挙の候補を決定するといったかたちで、世襲でない候補者に十分な準備期間を与えて世襲候補と競えるような条件を整備することではないか。

 今回の総選挙でも、土壇場になって引退を表明し世襲候補に強引につないだ例があったが、それはアンフェアであろう。現職代議士が急死したというようなケースでどうしても世襲させたかったら、一期だけは一期限定を宣言する別の候補を立てて、その次に世襲候補がフェアな競争を勝ち抜いて出たらいいだけのことだ。

重複立候補の欠点を補うための具体策の提案

 小選挙区制だと、首相・総裁や幹事長を握る主流派の力が強くなりすぎて、主張が画一化するという意見もある。しかし、これは、中選挙区時代に派閥闘争が繰り返され、結果、55年体制下では、短命政権が続いたことの弊害を無視している。

 もっとも長かったのは、佐藤栄作政権の6年間だが、これは、派閥均衡人事で大胆なことはなにもやらないことで維持された。小選挙区制になって、官邸機能も強化され、小泉政権や安倍政権のような長期政権が誕生するようになったのは、弊害よりはるかにメリットが大きい。

 これは、別の機会に論じたいことだが、基本的には大統領や首相が交代するのは、選挙で負けたときか、敗北を避けるためにかという時だけというのが、むしろ普通なのだ。英国やドイツのような議会制民主主義の国でも、安倍首相の在任期間七年半というのすら平均的な長さに過ぎない。

 一方、小選挙区と比例代表制の併用については、さまざまな批判がある。とくに、強い批判は重複立候補によって小選挙区での敗者が復活する、いわゆるゾンビ議員だが、この制度はドイツなどでもあり、とくに不公正なわけではない。

 ただ、問題は、比例単独と重複立候補の哲学の整理がされていないことだ。とくに比例制を併用することには、国会議員の多様性の確保という観点があるわけで、1996年の第一回の原稿制度下での選挙で新進党が重複をいっさい認めなかったのは極端としても、当選議員の一定割合は比例単独に充てられる配慮はあってしかるべきだろう。

 それは、自民党が強いところでは、結果的に小選挙区公認候補者全員が当選してしまうということをできるだけ防ぐためにも必要だろう。

 具体的には、私は、比例名簿の順位にかかわらず、重複立候補者の当選は、その地区での各党当選者の半数を越えないとか、さらに、重複立候補者で小選挙区で敗北した者のうち半数を超えないことにすればいいのでないかと思う。ただし、一名だけ当選の場合には、それを重複立候補者に充てることは許されるべきだろう。

 選挙区制度については、諸外国の実情を、単に制度を知ると云うだけでなく、具体的にどう運営されているかを分析することによって参考になることも多いと思う。そのあたりは、別の機会に譲りたい。

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