原一男監督と小林佐智子Pが『水俣曼荼羅』を語り尽くす!「この尺でないと描けないものがある」

“映画を語る”配信番組「活弁シネマ倶楽部」に、『水俣曼荼羅』の原一男監督と、小林佐智子プロデューサーが登場。映画評論家の森直人がトークMCを担当し、本作をはじめ、監督自身が「エンターテインメント・ドキュメンタリー」と称する諸作品について、大いにトークを繰り広げている。 本作は、『ゆきゆきて、神軍』の原監督が20年もの歳月をかけ作り上げた、三部構成、372分の叙事詩的作品。タイトルからも分かる通り、収められているのは「水俣病」の問題だ。穏やかな湾に臨み、海の幸に恵まれた豊かな漁村だった水俣市は、化学工業会社・チッソの城下町として栄えた。その発展と引きかえに“死に至る病”を背負い、いまなおこの地に暗い陰を落としている。しかし同時に、患者さんとその家族が暮らす水俣は、喜び・笑いに溢れた世界でもある。豊かな海の恵みをもたらす水俣湾を中心に、幾重もの人生・物語が、本作ではスクリーンの上を流れていく。そんな水俣の日々の営みを、原監督は20年間記録してきたのだ。「水俣を忘れてはいけない」という想いで原監督が手がけた、新たな代表作である。 まず最初に森が、本作の“尺”について言及。「『ニッポン国VS泉南石綿村』は3時間35分、『れいわ一揆』が4時間8分。どんどん長くなってますよね」と口にすると、「素っ気ない言い方になってしまいますが、デジタルなので経費の面での安心感があるのが一つです。もう一つは、私が撮る映画は、特別に強いエネルギーを持った人を主人公にした作品ではありません。そういった作品の場合は、その主人公の周辺部の、エネルギーの弱いところを削り落としていく作りになるじゃないですか。そうすると全体的に、短くしようと思えばできる。しかし私の映画の場合、特別な強さを持った主人公たちではないので、群像ドラマにせざるを得ない側面があります」と原監督は語る。 さらに「群像ドラマとはどういうことかというと、登場人物のエネルギーが強くない分、一人ひとりの感情を描くには、その感情の周辺部を丁寧に描かなければなりません。“感情のピーク”も低いですしね。特に日本人の場合は、感情をぶちまけるというような国民性でもありません。一人の感情のピークを描こうとすると、その前後も描かなければならず、どうしても尺が長くなる。それに加えて“群像”なので、必然的に長くなるんです。『長くなってもいいや』と腹をくくっているからこそ、普通の人々が持っている感情を描けると思っています。今回の『水俣曼荼羅』はこれまでで一番長いのですけど、この尺がないと、水俣という小さな地域で起きた問題に、実は国レベルの問題が眠っているという複雑な事実は描けないんです」と続けている。

本作のクランクインは、2004年10月15日、関西訴訟の日。当時の原監督は大阪の大学に教授として赴任していた。「教授というポストなので、『授業をきちんとやる』という前提がありました。水俣までは遠いため、授業との兼ね合いで夏休みと冬休みに集中的に通ったんです。『水俣曼荼羅』は取り組む前から長くかかることを覚悟していましたね。ただ、長くかかるということを“方法論”として描ければと考えていました」とは語っている。原監督ならでは映画制作の姿勢が、トークの内容から見えてくる。 社会問題を描いたドキュメンタリーを暗いものでなく、まず面白いものとして生み出すべく、小林プロデューサーは初めてともに製作を手がけた『さよならCP』のときから“エンタメ性”ということを意識してきたのだという。今回のトークでは、先述してきたような原監督ならではの制作スタイルや、過去作との関連、そしてもちろん本作『水俣曼荼羅』の魅力を紐解くものとなっている。

『水俣曼荼羅』

監督・撮影・プロデューサー:原一男 オフィシャルサイトはこちら 2004年10月15日、最高裁判所、関西訴訟。「国・熊本県の責任を認める」判決が下った。この勝利をきっかけに、原告団と支援者たちの裁判闘争はふたたび、熱を帯びる。「末端神経ではない。有機水銀が大脳皮質神経細胞に損傷を与えることが、原因だ」これまでの常識を覆す、あらたな水俣病像論が提出される。わずかな補償金で早急な解決を狙う、県と国。本当の救済を目指すのか、目先の金で引き下がるのか。原告団に動揺が走る。そして……熊本県、国を相手取った戦いは、あらたな局面を迎えることになる。

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