日光に幻の「冬季五輪計画」 戦前の招致活動資料、外務省で保存

外務省外交史料館で見つかった日光冬季五輪の施設計画書。幻に終わった東京五輪の資料とともにまとめられている=東京都港区

 1940(昭和15)年に東京五輪と併催される冬季五輪を日光町(現日光市)へ招致活動した際の施設計画書が31日までに、東京都港区の外務省外交史料館で見つかった。この冬季五輪は招致合戦の末に札幌に決まった後、太平洋戦争に向かう戦局の拡大で開催が返上されたが、戦前のスポーツ事情に詳しい識者は「候補地争いの動きを知る上で大変貴重な資料」と評価する。今年は日光市で国体が1月、北京五輪が2月に開かれる「冬季スポーツイヤー」。計画書ではこれらの祭典の前史の熱を感じられる。

 見つかったのは、候補地立候補に際し、県などが35(昭和10)年11月までに作成した全26ページの本書と別冊の参考付図。本書の表紙には「日光ニ於ケル冬季オリンピック施設計劃(かく)書」とあり、詳細な整備方針や予算を示した。参考付図には施設を落とし込んだ絵地図や新設施設の設計図などをまとめた。

 予算総額は201万9500円。公務員の大卒初任給が75円だった時代で、現在の貨幣価値に換算すると約51億円。男体山斜面にスキーのスラローム(回転)、太郎山斜面にダウンヒル(滑降)のコースを設け、クロスカントリーは戦場ケ原を中心に長短2コースを想定。ジャンプ台は竜頭の滝西側に新設するとした。

 ボブスレーのコースは70(昭和45)年に廃止された登山鉄道(日光鋼索鉄道線)の南側斜面。スピードスケートは当時、東洋一と言われた既存の細尾リンクを改修し、清滝にアイスホッケー用の屋内リンクを新設する予定だった。

 計画書は同館が保管する「国際オリムピック競技会関係一件 本邦大会関係 第三巻」に他の資料ととじられていた。計画書以外は全て東京五輪関連の資料で幹事会報告や電報などが多い。当時の有田八郎(ありたはちろう)外務大臣や国際オリンピック委員会の杉村陽太郎(すぎむらようたろう)委員の名前なども目に付く。

 計画書は現在、同館でしか見つかっておらず、国立国会図書館や栃木県立図書館にはない。参考付図のみ日光市の日光図書館にあるが、同図書館は「図書館開設以前の資料で、どのような経過で蔵書になったかは分からない」という。

 戦前の冬季五輪の招致活動に言及した文献もほとんどなく、「幻の東京五輪・万博1940」(原書房、16年)で立候補地の動向を追った東京都在住のライター夫馬信一(ふましんいち)さん(62)は「計画書が、これだけ詳細に保存状態も良く残っているのは日光町のものだけ」と話している。

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