小田原かまぼこ老舗「丸う田代」 154年目、再起の新年 伝統の味継承へ、道険しくも

仮設工場でだて巻きを焼く「丸う」の〝元〟5代目の田代さん=小田原市内(田崎 基写す)

 創業1869年、かつて「小田原かまぼこ御三家」の一角と称された老舗「丸う田代」(小田原市)。新型コロナウイルスの余波から2020年に自己破産に追い込まれながらも昨年12月に新会社「丸う」として再び営業を再開した。自慢の味を支えた職人も工場も失い、今は小さな仮設工場で手作業による、だて巻き作りに追われる。「伝統の味を守り続けなければいけない」─。道は険しいが、再起を懸けた創業154年目の新年を迎える。

◆48歳の焼き釜

 「自分が門前の小僧だった頃に見ていた職人たちの見よう見まね。何度も卵を焦がしてしまった」。苦笑いをしながら“元・5代目”田代勇生さん(67)は古い焼き釜の前で吹き上がる湯気を見守っていた。

 かつて1日2千本のだて巻きを大量生産していた静岡県内の工場も倒産に伴い閉鎖され、工場や店で働く約120人の従業員も去った。唯一、残されたのは工場の片隅で使われないまま半ば忘れ去られていた1973年製の焼き釜だった。

 釜を小さな仮設工場に運び込んだのは昨年11月ごろ。「48歳」の釜は温度調整も難しく、元々は職人ではない田代さんは古い記憶を頼りに手探りでだて巻きの生産を再開した。

 秘伝のレシピで作った卵液にタラなどのすり身を混ぜ込んだ伝統の味。「しっとりとして、昔ながらの料亭の板前さんが作るだて巻き」と胸を張る。

◆おとこ気出資

 2015年の箱根山噴火や19年の台風19号による観光客数の激減から経営状態は悪化し、最後はコロナ禍がとどめとなった。20年10月に負債24億円を抱えて自己破産を迫られた。「事業を継承してくれる出資先を探して交渉しているさなかに銀行から融資を断られた」と田代さんは唇をかむ。

 「採算の話ではなく、おとこ気のレベル。店がつないできた人と人との縁を守らないといけない」。老舗の再生に乗り込んだのは、フリーの経営者としてこれまで後継者のいない中小企業を立て直してきた宮本雄太さん(54)。親戚を通じた縁もあり、東銀リアルエステート(東京都)から出資を受けて、「丸う」の社長に就任。田代さんも製造本部長に就き、年の瀬を前に新生・丸うが再出発を切ることになった。

◆家族の物語に

 仮設工場で生産できるのはだて巻きが1日80本が限界。再開の話を聞きつけて総本店に足を運ぶ客も多いが、注文販売も多く店頭での販売は1日10本程度で午前中には売り切れてしまう。かまぼこも倒産前の在庫が4万本残っているだけで再生産のめどは立っていない。再開したばかりの店のカウンターに並ぶ商品は少ない。

 かつては都心のスーパーや近隣の土産物店で手広く展開していた販路も今後は事業を縮小。職員はアルバイトを含めて10人、小田原のみの事業展開で、販売も主軸を店頭からインターネットへと移していく。

 「昔からの常連客にとって正月といえば丸うのだて巻き。家族のヒストリーの中に丸うがあった。今は走りながら考えていかなければならない」(宮本社長)。新たな経営者の下で挑戦が続く。

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