全国高校ラグビー 長崎北陽台のプロップ山崎  故障から復帰しチームに貢献 文武両道を貫く

【準々決勝、長崎北陽台―国学院栃木】FWの主力として献身的に体を張り続けた長崎北陽台のプロップ山崎=花園ラグビー場

 右膝が「痛くない」と言ったらうそになる。でも、弱音を吐かずに、笑顔を絶やさずに、ここまではい上がってきた。「みんなのために全力でやれた」。長崎北陽台のプロップ山崎はスクラムの要として、チームの躍進を支えてきた。
 右膝を痛めたのは西大村中1年のころ。医者から「特に異常なし」と言われたため、そのまま大村ラグビースクールでプレーを続けた。高校入学後はひた向きなプレーが認められ、1年生の冬の県新人大会からレギュラーに。だが、チームの本田トレーナーが異変を見逃さなかった。
 「右利きなのに、何でこんなに左脚が大きくなっているんだ」。「実は痛いんです」。再度、病院で検査してみると、診断結果は「離断性軟骨炎」。関節の中に軟骨がはがれ落ち、骨まで損傷していた。医者から「このままほっといたら歩けなくなる」と言われた。
 それでも、ラグビーをやめるという選択肢はなかった。手術を経て、リハビリに費やした期間は約1年3カ月。走れない分、上半身のトレーニングに励んだ。公式戦に復帰できたのは、昨年6月の県高総体だった。
 自身最初で最後の花園はすべてを出し切った。恩師、仲間たち、支えてくれた家族のために-。自分にやれることはやり切った。努力でつくった身長175センチ、体重96キロの体を生かして、全国の強豪と渡り合った。幼なじみで、小学時代から一緒に楕円(だえん)球を追ってきたSO大町は「陸(山崎)は自分の仕事をひた向きにやってくれる。あいつはどんな状態でも安定したプレーができる。とても頼りになる」とスクラムの最前線で戦った友へ感謝の言葉を口にした。
 難関の推薦入試を突破して、春から広島大理学部化学科に進む。日本一を目指して本格的にラグビーをやるのは、この日が最後になった。「ちょっとしか公式戦は出られなかったけど、悔いが残らないようにやれた。あとは佳生(大町)たちの活躍を応援したい」。一般入試で高校に入学して、文武両道を貫いた背番号「1」は、真っ赤に染まった目で笑った。


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