高校野球コーチとユーチューバーの“二刀流” 元ヤクルト上田剛史さん、生配信でファンと日本一共有

20年ぶり6度目の日本一に輝き、胴上げされるヤクルト・高津監督=ほっともっと神戸

 2021年11月27日。テレビ画面の中では1年前までともに汗を流した仲間たちが号泣して抱き合っている。尊敬する指揮官は胴上げで宙に舞った。20年オフにプロ野球ヤクルトから戦力外となり、現役を引退した上田剛史さん(33)は、古巣の日本一が決まる瞬間をテレビ観戦しながらインスタグラムで生配信した。約800人の視聴者とともに喜びを分かち合い「うれしい気持ちが20パーセント。悔しいのが80パーセントって感じ。あそこに自分がいたらな、とかなり思った」と正直な気持ちを吐露した。

 高校生ドラフト3巡目で07年に岡山・関西高からヤクルト入りし、一筋で14年間プレーした。現在は母校のコーチを務めながら、野球動画のユーチューバーとしても活動する。「結局何が一番楽しいって野球そのものに携わること」。上田さんは第二の人生も野球を軸に歩んでいる。(共同通信=小泉智)

 ▽神宮球場で輝いた2015年、5年後に戦力外へ

 ヤクルトは6年ぶりのリーグ優勝で、日本一は20年ぶりだった。上田さんは前回のリーグ優勝時の主力で、15年の日本シリーズでは5試合すべてに先発出場した。大舞台の熱気が今も体に残る。俊足巧打の外野手で、チーム随一のムードメーカーだった。若手時代から自主練習をともにした大先輩の青木宣親外野手にかわいがられ、後輩でチーム主将の山田哲人内野手や若くして4番を務める村上宗隆内野手ら誰からも慕われた。

 現役時代に届かなかった日本一に喜ぶ仲間の姿を見て「仲のいい選手もいるので、それは本当に良かった」とほほえんだ。「でも複雑な気持ちがあるのも正直なところ。視聴してくれている人の手前、無理して喜んでいたところもあったかも」と話すと、苦笑いに変わった。

現役時代の上田さん

 20年11月10日。神宮球場でのシーズン最終戦を終え、ロッカールームでほっと息をついていたところだった。チームのマネジャーから「剛史、明日事務所へ行ってくれるか」と告げられた。この時期は毎年、第三者として何度も見てきた光景だ。戦力外通告を悟り、ぼうぜん。「頭がこんがらがった。気を使って、みんなが話し掛けてくれたけど、誰の言葉も耳に入ってこなかった」。プロ14年目は打率1割2分5厘、本塁打なし、2打点。満足な数字は残せなかったが、1軍に帯同して代打や代走、守備固めなどでチームを支えた。戦力外は青天のへきれきだった。

 田中将大投手(楽天)や柳田悠岐外野手(ソフトバンク)ら同世代の選手は第一線で活躍している。現役への未練があったが、悩み抜いた末に身を引く覚悟を決めた。愛着のあるユニホームでプロ人生に終止符を打ちたかったからだ。「ヤクルトで14年間もやらせてもらった。ここで終わるのがいい。早く切り替えて、次のステージで頑張った方がいいかな」。気持ちに区切りをつけた。

 ▽ユーチューブのきっかけは「ファンへのお礼」

 ファンの前で引退の言葉を伝える機会は用意されなかった。「本当はユーチューバーになろうとは1ミリも思っていなかった。ファンの方々にお礼を言うこともなく終わったから、それを伝える手段としてユーチューブを1本撮ろう、と思った」。神宮の観客席から、守備位置の外野にこだました声援への感謝を伝えたい。その一心で最初の動画を撮った。

上田さんのユーチューブチャンネル(YouTubeより)

 もともとチームでは「三枚目」の盛り上げ役。人前でしゃべることも嫌いではなかった。周囲の勧めもあって、ユーチューブでチャンネルを開設し、野球に関する情報を独自の目線で発信し続けた。他球団の選手とも広く交流していたことが、チャンネルを軌道に乗せる足がかりとなった。同い年の坂本勇人内野手(巨人)が企画に参加してくれた。球界屈指のスター選手が打撃理論や練習を披露する動画は164万回のヒット再生で、12球団の選手から独自のベストナインを選出する企画は214万回(ともに21年12月21日時点)を記録。チャンネル登録者数はあっという間に伸びた。

 上田さんは「今ユーチューバーとして成り立っているのは勇人のおかげで、あれがすべて。僕はあれがなかったらやっていけていない。だからすごい感謝している」と仲間の思いやりに頭を下げた。

巨人・坂本勇人内野手(左)が登場した動画(YouTubeより)

 ▽セカンドキャリアの大変さを痛感

 地上波のテレビ番組出演なども手伝い、チャンネル登録者数はユーチューブから銀の盾が授与される10万人を超えた。それでも「周囲は『上田は楽しくやっているな』という感じがあると思うけど、大変。(一般の)社会人では1年目だし、収入もばらばらだし、いいときも悪い時もある」。見た目ほど順風満帆とは感じていない。

 日本野球機構(NPB)が20年11月に若手選手を対象に行ったセカンドキャリアについてのアンケートでは半数近い選手が「引退後に不安がある」と答えた。その中でも約85%の選手が「引退後、何をやっていけばいいか?」を不安の要素として挙げている。上田さんも葛藤を抱えていたという。「選手をやめてから、精神的にはかなりきつかった。路頭に迷ったというか。自分が何をしたらいいか分からないという感じで始まって。与えられた仕事は全部やった。選手をやめてから1年やってみて、人に支えられて生きているんだなと感じた」

2020年9月、フェンスに直撃しながら好捕する上田さん

 野球にだけまい進し、好結果を残せば大金を稼げるプロ野球界。そこから一歩外へ踏み出せば収入は保証されず「ただの人」となり、セカンドキャリアへの転身は誰もが苦労する。「プロ野球選手として生き残っていくのは至難の業。でも、野球をやるだけというのはある意味シンプル。野球以外で自分の名前を売っていくのはすごい難しい。これまでは現役を1年でも長く続けることで充実感を得られていたけど、今は充実感を見つけるのがすごく大変」。上田さんも模索しながら毎日を過ごす。

 ▽高校球児の指導がやりがい、その先の夢は

 ユーチューブやインスタグラムで情報発信を続ける一方で、現場への思いは尽きない。今は母校、関西高でのコーチ業がやりがいになっている。「自分は本当に野球が好きなんだと感じた。今は思った以上に高校野球にはまっている。試合を見ていると感情移入するし、自分がプレーしている以上に緊張する」と、指導に熱が帯びる。ヤクルト時代にお世話になり、日本一の監督になった高津臣吾監督の「選手を信頼する」野球観が、上田さんに大きな影響を与えている。

関西高で指導する上田さん

 今後もコーチとユーチューバーの“二刀流”は続けていく。戦力外となり、現役を終えた悔しさも原動力の一つだ。「これからも上田剛史という人間を一人でも多くの人に知ってもらいたい。『野球をやめたときより有名になってるじゃん』と思われるくらい。野球をやめても成功しているんだと思われたいし、忘れられたら終わりだとも思う」

 当面の目標は関西高を甲子園大会優勝に導くことだ。そして、その先には別の夢も。「プロ野球の舞台にもう一度関わって、あの雰囲気を味わいたいという気持ちもある。必要とされる人間になりたい」。いずれは指導者としてプロの世界に戻り、ファンに恩返しすることを目指して、きょうも高校球児と汗を流す。

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上田さんのYouTubeチャンネルはこちら

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上田さんのインスタグラムはこちら

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