【スポーツ回顧録】世界GPのチャンピオン・ロードを疾走する日本人ライダーたち

2003年4月6日に行われたスカイウォッカグランプリに出場した加藤大治郎、最後の雄姿(C)Getty Images

世界を舞台にもっとも日本人が活躍しているスポーツとは何か」そう問われたら、あなたは何と答えるだろうか。

柔道、スピードスケート、スキー、水泳……大リーグでは、野茂英雄佐々木主浩が、サッカーのセリアAでも中田英寿が活躍している。しかし、今年中にも「チャンピオン」の称号を得ることができるのは、どのカテゴリーだろう。

そんな中でモーターサイクルの世界グランプリ(WGP)は、間違いなく、日本人王者を生み出す最短距離にある。しかも、125cc、250cc、500ccと全3クラスすべてで、チャンピオンが誕生する可能性すらある。

4月9日、鈴鹿で行われたシーズン第3戦、日本人ライダーが3クラス中、1位から3位までの計9つの表彰台のうち8つを占める快挙が達成された。125ccの優勝は宇井陽一、2位上田昇、3位に東雅雄、250ccでは加藤大治郎が優勝、2位に宇川徹、3位に中野真矢、500ccでは阿部典史が優勝、2位にはケニー・ロバーツ・ジュニアが入ったものの、3位は岡田忠之だった。日本のオートバイメーカーが世界を席捲してから久しい。しかしほんの数年前、いったい誰が今日の快挙を予想しただろうか。

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■1970年代に始まる日本出身チャンプの系譜

残念ながら、それでも日本国内における2輪世界グランプリの知名度は低い。日本スポーツ界の7不思議ひとつだ。モータースポーツといえば、日本でもF1グランプリや、CARTが人気だ。だが、1987年に中島悟という初のフルタイムF1ドライバーが誕生する10年前、2輪の世界グランプリでは、すでに日本出身チャンピオンが誕生している。

1977年、ヤマハを駆る片山敬済は、参戦していた350ccクラス(現在は廃止)で「ライジング・サン」の異名を取り、見事世界チャンピオンに輝いた。実績では、日本人ドライバーよりも日本人ライダーのほうが上。もっと注目を浴びてしかるべきカテゴリーだろう。

片山はその後、ホンダのGP参戦とともに500ccにステップアップ、2ストローク全盛のグランプリにおいて、ホンダが威信をかけて送り込んだ4ストローク・マシン「NR500」の開発にそのキャリアのほとんど奪われてしまい、自身「あの3年間は棒に振った」と後の吐露するほど。82年のスウェーデンGPで1勝を挙げるに留まった。

3年連続日本チャンピオンに輝いた平忠彦をしても、250ccで1勝を挙げたのみ。しかしそのシーズンオフの日本でのレースで、ウエイン・ガードナー(豪)、エディ・ローソン(米)らチャンピオンを立て続けに破り優勝。ローソンをして「平の時代が間違いなく来る」と言わしめたにもかかわらず、1年限りでグランプリ・フル参戦を取りやめ、マシン開発に専念してしまった。こうして、1980年代は日本人チャンピオンが生まれることなく幕を閉じた。

■日本人チャンプが席捲する90年代

ところが90年代に入ると、日本人ライダーは一気に開花する。ミニバイクレースなどで、バイクのレース参加へのすそ野が広がり、レース参戦が低年齢層化したことが、その要因と言われる。「キング」ケニー・ロバーツ以降、ダートトラックを経験したアメリカ人ライダーが80年代、そのテクニックを世界グランプリに持ち込み、ヨーロピアンを凌駕。ローソンフレディ・スペンサーウェイン・レイニーケビン・シュワンツらのチャンピオンを輩出した時期に似ている。

92年の全日本250ccチャンピオン、原田哲也は、93年から250ccに参戦。初戦で初優勝を飾ると、あれよあれよという間に勝ち進み、同年そのまま250ccチャンピオンに輝いた。片山がチャンピオンを獲得して以来、実に16年ぶりの出来事だった。原田は、250ccで通算14勝をマーク。現在は、イタリアのメーカー、アプリリアでマシン開発を担当しながら、次のチャンスを虎視眈々と狙っている。

125ccでは、日本人チャンピオンが続々と誕生した。アプリリアから参戦していた坂田和人が94年に奪取すると、95、96年は青木治親が2年連続でホンダにタイトルをもたらした。98年には再び、坂田が返り咲き、同クラスは「日本人ライダーのためのカテゴリー」という様相を帯びた時期もあった。

■最高峰500cc日本人チャンプ誕生への期待

今年、125ccに出走し、有力視されるのは、デルビの宇井洋一、ホンダの上田昇東雅雄。上田はグランプリ参戦から10年、94、97年をランキング2位で終えているだけに、そろそろチャンピオンの称号が欲しいところだ。250ccクラスでは、中野真矢加藤大治郎がポイント・リーダー争いを展開している。

阿部典史は、94年の日本グランプリ500ccにスポット参戦すると、<strong>シュワンツミック・ドゥーハンと熾烈なトップ争いを展開。あわや19歳にして初参戦初優勝かと思わせたが、惜しくも残り3周でリタイアした。95年から世界グランプリ500ccにフル参戦すると、96年の鈴鹿で、史上2番目の若さで初優勝を遂げる。500ccで日本人ライダーが優勝するのは、片山以来だった。その後、不調が続いたが、昨年のブラジル・グランプリで優勝し、復調。今シーズンの日本グランプリで、通算3勝目を挙げ、ランキングでもチャンピオンを狙える位置につけている。

岡田忠之は250ccクラスで94年に初優勝。にわかに、日本人同士によるチャンピオン争いが脚光を浴びた。岡田は96年から500ccに転向。97年にクラス初優勝を遂げると、シリーズを総合2位で終える。99年にも3勝をあげ、彼もまた、500ccでもっともチャンピオンに近い男とまで言われるようになった。

もちろん、日本人ライダーばかりがチャンピオンを狙うわけではない。500ccでは、「キング」ケニーの息子、ケニー・ロバーツ・ジュニアは、父の名に恥じぬよう「今季こそチャンピオンを」と着実にポイントを重ね、ランキングのトップに座っている。スペインのカルロス・チェカも安定度抜群だ。250ccでは、オリビエ・ジャック(仏)、アンソニー・ウエスト(豪)がダークホースとして、挽回のチャンスを狙っている。125ccでも、ミルコ・ジャンサンティ(伊)、ロベルト・ロカテッリ(伊)、エミリオ・アルサモラ(西)が優勝争いを繰り広げている。

125cc、250cc、廃止されて久しい350cc、そのどのクラスでも日本人チャンピオンを輩出しているだけに、そろそろ最上位クラスの500ccでも日本出身王者の戴冠を夢見たいところ。だが、そんな夢も近々、「正夢」となるに違いない……そんな日本人ライダー隆盛の世紀末をとくと目撃したいもの。

<p style="text-align: right;">CNN.com 2000年6月8日掲載分に加筆・転載</p>

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著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨーク大学などで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

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