“バラマキ”で日本経済を救えない理由|デービッド・アトキンソン 先の衆院選で、自民党は大勝、岸田新内閣が発足した。岸田総理は「所得倍増」「成長と分配の好循環」といった目標を掲げているが、本当に実現できるのか。伝説のアナリストが、いまの日本に本当に必要な経済政策とはなにかを説く!

維新の会躍進の意味

自民党が単独過半数を割り、立憲民主党が議席を伸ばすのではないかと言われていた先の衆院選は、蓋を開けてみれば、自民党は単独過半数を維持、立憲は議席を減らす結果に終わりました。

興味深いのは、維新の会が躍進したことです。維新は、公約で構造改革を掲げていました。国民にはいま、改革に対して懐疑的であるという論調があり、岸田総理もその雰囲気を気にして「新自由主義からの脱却」を打ち出していたのに、今回の選挙では構造改革を掲げた維新が最も議席を伸ばした。

いまのままではいけない、構造改革は必要だと考える国民も少なからずいるということです。

余談ですが、私は一部から新自由主義者のレッテルを貼られています。事実無根であり、この場を借りてその誤解を解いておきたい。

新自由主義とは、企業が活動をしやすいように、なるべく規制緩和すべきだという立場です。しかし私は、解雇規制の緩和や外国人労働者の受け入れ、非正規雇用の増加などに慎重な立場で、なにより、私が月刊『Hanada』で何度も主張している最低賃金引き上げは、国家が企業の賃金設定に強制的に介入する、新自由主義と対極にある政策です。そんな私が、新自由主義者と言われる意味がわかりません。

話を戻すと、今回の選挙で国民は堅実な選択をしたと思います。ただし、岸田政権が日本経済を成長させることができるかどうかは別問題です。なかなか簡単ではないと思います。2021年12月号で、私は岸田総理の「分配なくして成長なし」の考え方は正しいと書きました。岸田総理は、まず国民の賃金を上げるため、賃上げを行った企業を対象とする税制優遇の強化に向けて検討しています。

新政権発足早々、厳しいことを言うようですが、おそらく、いま示されている政策では、国民の所得倍増も、大きな経済成長も望めないでしょう。スタート時点ではいいと思いますが、政権が長くなればなるほどもっと踏み込まないといけなくなります。

賃上げ税制の効果は薄い

賃上げした会社には税制優遇すると言いますが、日本企業のほとんどを占める中小企業の約7割が、そもそも法人税を払っていません。加えて、特に資本金1000万円以下の中小企業はすでに多くの企業支援の対象で、優遇措置と補助金をもらい、節税という名の不適切な「脱税」を繰り返している。

要するに、経済合理性や成長などの目的ではなく、社長のワークライフバランスが目的なので、社員の賃上げを実行している企業は少ないのです。OECDでは、こういった中小企業を「ライフスタイルカンパニー」と呼んでいます。

そんな中小企業に対し、いくら賃上げすれば税制優遇すると言ったところで、経営者にはなんのインセンティブにもならないのです。これまでも設備投資をすれば税金を優遇するという政策をとっていましたが、結局、企業の設備投資は増えずじまいでした。

これは、医療界のコロナ患者受け入れ問題にも通じる話です。日本政府が、いくら医師会などにコロナ患者受入病床に手厚い人件費補助(1床あたり、なんと1950万円)をつけると言っても、そこまでコロナ病床は増えませんでした。

日本政府の政策は、基本的に「性善説」で成り立っています。コロナ対策でも議論されたように、政府の要請を拒否した場合にどういったペナルティを科すかという発想が、そもそもないのです。これでは国策が普及していくはずがありません。マイナンバーですら普及率は38%(2021年10月時点)ですから、いかに政府の政策が普及していないことがわかります。

政府としては賃上げを訴え続けていましたが、実質賃金はずっと下がりっぱなし。安倍政権、菅政権は民間経済に政策を反映させることの難しさを理解していたから、政府が強制的に賃上げできる唯一の武器、「最低賃金引き上げ」を使い、賃上げを実行していったわけです。

財政出動のカギは乗数効果

そもそも岸田政権は、「所得倍増」「成長と分配の好循環」について、どのようにやれば実現できるかについて徹底的した分析を行っているのか。

諸外国は、データ分析を徹底的にやったうえで政策を決めています。分析したうえでも失敗することはありますが、少なくともエビデンスもなしに「所得倍増」 「成長と分配」と口にするよりは何倍もマシでしょう。

財政出動にしてもそうです。諸外国は乗数効果、つまり、「どこ」に「いくら」出したら経済効果として何倍になって戻ってくるかを分析しています。乗数が一なら、政府が支出した分だけGDPは増えます。1以上になれば、当然、国の借金の対GDP比率は低下しますから、財政は改善します。

乗数効果を調べるにはビッグデータの分析が不可欠ですが、中小企業の数すら各省庁でバラツキのある日本では、そもそも正確な統計、データがないため、分析もできない。

私が「やみくもな財政出動は避けるべきだ」と主張すると、財政出動主義者やMMT論者から「この緊縮派め!」と批判がきます。

彼らは、政府が100兆円の支出をすればGDPは自動的に100兆円以上、場合によっては300兆円も純増すると信じているようです。

それは、財政出動主義者がケインズ経済学の教科書に出てくる乗数効果を割り出す計算式を元にしているからです。その教科書では、乗数は八倍になったり、10倍になったりします。しかし、あの計算式はあくまで例であって、愚直に信じているのは日本人くらいです。

現実は、0・5倍から1・5倍までの幅であることがビッグデータ分析によってわかっています。この幅は、好景気か不景気かによって決まるとされて、一定ではないのです。

中野剛志氏の単純ミス

最近、MMT論者で知られる中野剛志氏の著書『奇跡の経済教室 【基礎知識編】』を読んでいたら驚きました。

OECD33カ国の財政支出の伸び率と経済成長率を較べたグラフを出しており、そのグラフを見ると、財政支出が増えているアメリカや中国はGDP成長率が高く、反対に財政支出が少ない日本は全然成長していない。財政支出と経済成長は見事に相関しているのだ――中野氏はそう結論づけています。

私は、その結論を読んで然としました。原因と結果を取り違えているからです。真逆の図表を作れば、全く同じような相関が取れます。要するに、経済が成長をすれば消費が増えるから消費税が増える。所得も増えるから所得税も増える。法人税も増えます。そうなると、経済が成長すると税収が増えるので、増税をすれば経済が成長するという「仮説」が成立するのです。

先進国の場合、政府支出のなかで社会保障の割合が高いですから、経済が成長して税収が増えると、支出が増えます。

つまり、経済成長したから財政支出が伸びているのであって、財政支出したから経済成長したのではないのです。さらにいえば、政府支出を増やせば経済が必ず成長するのであれば、GDP対比で見たとき、なぜ日本の国の借金の比率が上がっているのでしょうか。全く理屈にはなりません。

中野氏ほどの優秀な経済学者が、なぜこんな単純なミスを犯しているのか。海外でこんな分析を出したら、一蹴されているでしょう。

誤解してほしくないのは、私はなにも財政出動そのものを否定しているわけではありません。私は「乗数効果が低く、目的が抽象的なもの」をバラマキと定義しており、それを控えるべきと主張しています。とはいえ、乗数効果1以上、つまり、出した金額以上の経済効果があれば増やすべきだと思っています。とくに生産性を向上させる研究開発、設備投資、人材投資などには積極的に出すべきです。

しかし、先述したように、どの分野に、いくら出せば、何倍になって戻ってくるか、という分析を日本はできていない。

財務次官の矢野康治氏が『文藝春秋』(2021年11月号)で、バラマキを批判する論文を掲載し、一部から猛批判を浴びました。

「バラマキさえすれば経済がよくなるなんてそんな単純な話ではない」という内容で、私が主張していることと同じです。

ただ、矢野氏とは何度もお会いしたことがありますが、彼は財政出動に関して相当慎重です。私は乗数効果が1あれば出してもいいと思いますが、矢野氏は乗数効果が1以上、なおかつ確実にリターンがある場合でなければ躊躇するでしょう。そこは私と違うところです。

需要不足論への疑問

財政出動主義者は、不況の原因は需要不足にあるといいます。
「デフレは、供給に比べ需要が足りないことが原因で起きているので、需要を増やすべきだ。需要が足りないのは緊縮財政に原因があり、財政を積極出動し、2%のインフレに持っていけば、経済は復活する」

そのためには、補助金を出し、消費税を減税して需要を創出せよ、というわけです。この主張を聞くと、いつも「はたして、話はそう簡単なのだろうか」と疑問に思います。

たとえば、最近、私のところに、お寺の鐘を製造している会社を買いませんか、と金融機関が営業に来ました。もちろん、小西美術の事業との相性が低いから断りましたが、その会社は赤字続きでかなり苦労しているようです。

「日本経済に元気がないから鐘が売れなくなってしまった。なんとしても存続したいから、国から補助金が出るように政府にかけあってもらえないだろうか。補助金が出れば、買ってくれるでしょう」

この人も財政出動主義者と同じように、政府がカネを出せば需要が戻ってくると信じているのですが、鐘が売れないのはもっと根本的な原因でしょう。

人口が爆発的に増えているときは新しい街がたくさんできて、お墓も必要になりますから、全国にお寺がたくさんつくられました。人口増加時代はそれに伴って鐘も売れた。

しかし、人口が減り、檀家も減っていくなかでお寺は増えず、もう新しい鐘は必要ありません。最近では、鐘をつくと近所から「うるさい」とクレームが来るという話もあり、ますます鐘の需要は下がっている。

そんななかで、いくら補助金を出したり、減税をしたりしても、鐘を買いたい人が増えるとは考えにくい。

もし、私がそう諭したら、こんな反論が飛んでくるかもしれません。

「鐘が売れないのは、竹中平蔵やアトキンソンが日本経済をめちゃくちゃにしたからだ! 我々は新自由主義の犠牲者だ! アトキンソンさんも中小企業をつぶそうとしている!」

「代々守り抜いてきた鐘をつくる技術はどうするんだ!」

こういう人たちは、「自分たちに需要がないのではない。経済政策が悪いのだ」と考えているのです。

呆れたトヨタ社長の発言

時代の変化によって需要がなくなっている例は枚挙に遑がありません。私が社長を務める小西美術工藝社もそうで、漆塗りの技術の需要は減る一方です。

一昔前は、公共の文化財修復のほかにも「襖の縁の漆を塗り直してほしい」「床の間や違棚、テーブルを塗ってほしい」「お椀や美術品の漆を塗り直したい」など、民間の需要もありました。

しかし、時代の変化とともに日本の住宅から襖は減り、お椀だって買い換えたほうが安くなってしまったし、そもそも漆のお椀がない家も増えています。

残念ながら、需要がなくなったのであれば、時代に合わせて変化するしかありません。エルメスが、高級馬具をつくる工房から、馬車文化の衰退とともに革製品のブランドに転換したように、時代のニーズに合わせる努力をしていく必要がある。

変わる努力はしたくない、国からカネをもらって現状維持したいなどというのは、虫が良すぎるのです。

トヨタ自動車の豊田章男社長は2019年10月の消費税増税に際し、「消費税増税が、国内需要を30万台押し下げる懸念がある」と言っていましたが、そもそも車に乗る若者が減っていることが根本の原因でしょう。日本のトップ企業であるトヨタの社長ですらこの程度の認識なのか、と呆れます。

財政出動主義者は、減税したり、カネさえバラまいたりすれば需要は戻ってくるといいますが、なぜ財政出動や減税で、潜在的な需要のない鐘や漆塗り、空き家、スキー場、古い地方の宿などの需要が高まると考えているのか、そのメカニズムをぜひ教えていただきたい。

財政出動主義者は、需要さえ増えればすべてよくなるかのような妄想を抱いていますが、経済で大事なのは需要と供給のバランスです。需要だけ多くても、供給だけ多くてもいけない。

大事なのは需給のバランス

私は需要よりも、まず「供給側」の生産性向上が不可欠だと考えています。これまでの日本が成長してきた要因は2つありました。生産性向上と人口の激増です。

しかし、人口の自然増が望めないいま、経済成長するには生産性向上をさせるしかない。

これは断言しますが、大企業の努力やスタートアップだけで、日本経済は絶対に大きく成長しません。大企業は労働者の3割しか雇っていませんし、生産性はすでに中小企業の倍くらいある。岸田総理の言う株主資本主義を変えていっても、日本の生産性はそこまで上がらないのです。

スタートアップはもちろん大事ですが、人口が大きく増加しているならまだしも、人口が減っているなかで、新しい企業ができ、生産性が高くて成長率が高くても、低生産性の既存企業の影響を和らげることはできません。日本の生産性向上は、中小企業の生産性向上策しかないのです。

商工会議所は、中小企業の生産性向上には下請けいじめをなくすことが不可欠と主張していますが、まやかしです。もちろん、その政策は大事ですが、下請け企業は中小企業の一割弱しかなく、中小企業の生産性向上とほとんど関係ないからです。

鐘の会社はもとより、飲食店のような供給過剰の業界は生産性も低い。岸田政権は、そういった供給過剰な業種の生産性を向上させるような政策を打ち出す必要がある。中小企業は360万社もありますから、さまざまな生産性向上の仕方があります。事業再構築もあれば、若い経営者にバトンタッチをするということもあるでしょう。

人口が増えず、新しい成長はなかなか難しいので、既存資源の再構築が必要です。しかし、中小企業の問題もそうですが、生産性の低い業界を再編しようと思えば、既得権益者たちから必ず反発があります。そのとき、岸田総理は毅然と対峙できるのか。

どんな政策にもプラス面とマイナス面があります。これまでの政策では、99のプラスがある政策でも、1のマイナス(一部からの反発)を嫌って、抜本的な改革をしてこなかった。私が注目しているのは、来年八月の最低賃金改定です。そのとき、岸田総理がどう立ち振る舞うか。

もし、岸田総理が悪い意味で「聞く力」を発揮し、既得権益側の反発に折れるようなことがあれば、「所得倍増」「成長と分配の好循環」など夢のまた夢に終わるでしょう。

デービッド・アトキンソン

© 株式会社飛鳥新社