松井秀喜、古田敦也に“後継者”出現…各球団で扱い別れる「重い背番号」の現況は?

ヤクルト・中村悠平(左)、巨人・秋広優人【写真:荒川祐史、中戸川知世】

巨人、ヤクルト、オリックスの3球団で禅譲劇が

背番号は、選手の活躍と歩みを同じくして個人のイメージを帯びていく。永久欠番とされるもの以外にも、あまりに偉大な選手が着けたために、後継者を選ぶようになった番号が各球団にある。このオフは巨人で松井秀喜の「55」、ヤクルトで古田敦也の「27」が継承されるなど、この“重い背番号”にも変動があった。各球団の状況をチェックしてみたい。

後継者が現れた番号は次の3つだ。

○巨人の「55」
今季から2年目の秋広優人内野手が背負う。この番号を大きくしたのは、日米通算508本塁打の松井秀喜だ。星稜高から入団した1993年から、2001年のヤンキース移籍までこの番号で通した。その後は2009年にドラフト1位で入団した大田泰示外野手が2013年まで背負ったものの、この番号での大活躍は見せられず「44」へ変更。ここ8シーズンは空き番となっていた。秋広は身長2メートルの長身左打者で、今季2年目。今後の成長カーブに注目だ。

○ヤクルトの「27」
1月6日、契約更改を行った中村悠平捕手が来季から背負うと発表された。1桁の「2」からの変更となる。ヤクルトの「27」は、通算2000安打も記録した名捕手・古田敦也が着けていたものの、退団した2008年から14年間空席が続き、着けるには推薦が必要な「名誉番号」という扱いだった。過去には大矢明彦も着けており、日本シリーズMVPなどの活躍で正捕手の座を盤石にしつつある中村にも似合いそうだ。

○オリックスの「7」
今季から主砲・吉田正尚外野手の背中に収まる。オリックスは2004年オフの球団合併という複雑な歴史を背負っているが、球団の系譜としては阪急ブレーブスからの流れに連なっている。この球団の「7」と言えば、NPB史上最多の通算1065盗塁を誇る福本豊だ。福本は入団3年間は「40」、その後1972年から引退した1988年まで「7」を背負った。近年では糸井嘉男が2013年から2016年までの4年間着け、その間首位打者、盗塁王各1度の活躍を見せた。

ダルビッシュ有、大谷翔平の「11」は欠番となって5年目

一方で、今季も空席が続く番号も4つ紹介してみたい。“準・永久欠番”のような扱いを受けているケースもある。

○オリックスの「51」
イチローが入団した1992年から、2000年まで背負った番号。永久欠番という扱いではないものの、あまりに“重い”ため後継者は現れずにいる。イチロー以前では福良淳一(現GM)が入団した1985年から3年間着けていた。

○日本ハムの「11」
2人の現役大リーガーが大きくした番号だ。ダルビッシュ有(現パドレス)は入団した2005年から2011年まで着け、1年間の空白の後は大谷翔平(現エンゼルス)が2013年から5年間背負った。2018年以降は空き番となり5年目を迎える。永久欠番という扱いではなく、後継者を待っている状況。球団も2023年に開場する新球場「エスコンフィールド北海道」に、「TOWER 11」というランドマークの建設を発表するなど、チームの象徴として大切に扱っている印象だ。

○阪神の「6」
金本知憲がFAで広島から移籍した2003年から引退した2012年まで背負った。また監督を務めた2016年からの3年間もこの背番号を使用している。2019年から空き番となり4年目だ。それ以前にも通算2064安打の藤田平、1739安打の和田豊と名選手が背負ってきた。

○ロッテの「9」
通算2000安打を達成した福浦和也が1998年から2019年の引退まで22年間背負った。投手として入団した1994年からの4年間は「70」を着けていた。空き番となって3年目を迎える。(Full-Count編集部)

© 株式会社Creative2