「人生を変えてくれた」元阪神エースが語る恩師の姿 興南を全国強豪に再建<追悼・比屋根吉信さん>

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夏の甲子園出場を決め、インタビューに答える比屋根吉信監督=1982年7月18日、奥武山球場

 低迷していた興南高野球部を全国強豪に再建した元監督の比屋根吉信さんが4日、熊本県の自宅で死去した。享年70。選手の適性を見抜き、論理的な指導で能力を開花させていった名将の訃報に、教え子からは「人生を変えてくれた恩師。今はゆっくり休んでほしい」と哀悼の声が相次いだ。

 元阪神投手の仲田幸司さん(57)は、興南高野球部の選抜試験で素質を見いだされた。「暴投ばかり投げたが、速球を見て『気に入った。俺が見る』と引き上げてくれた」と振り返る。

 練習試合で2桁の四球を出した時も「この壁を破らないと甲子園はない。耐えるぞ」とマウンドを託し続けた。この悔しさから練習に打ち込み、1982~83年に3季連続で甲子園に出場して活躍。仲田さんを始め、教え子でプロ入りしたのは渡真利克則内野手やデニー友利投手ら計10人に上る。

 仲田さんは、3年ほど前から闘病中の比屋根さんに月2回の電話連絡をしていた。昨年12月上旬はか弱い声で「何とか大丈夫」と話していたが、年末のあいさつは電話に出なかった。「野球に尽くした人。天国でもノックを打ちまくっているはず。ありがとうございました」と伝え切れなかった感謝の言葉を述べた。

 興南高野球部の真栄田聡部長(59)は80年夏、同校12年ぶりの甲子園に出場し、8強に進んだ。「選手に手本を見せて、こうすれば結果が出ると論理的に指導していた」と語る。

 興南が活躍すれば「頑張れよ」と電話をくれるなど、古巣に愛着を示してくれていた。「県外在住で会う機会は少なかったが気に掛けてくれていた。70歳と早くに亡くなり残念です」と悼んだ。