<書評>『稲の旅と祭り―シチと種子取』 稲作や歴史へのまなざしも

 筆者の大城公男は八重山地方鳩間島の出身であり、『八重山・祭りの源流―シチとプール・キツガン』(2018年)において、八重山の年中行事であるシチとキツガン(漢字表記〈節〉〈結願〉、10月前後開催)とプール(通称〈豊年祭〉、7月前後開催)の発生と関係について論じた。筆者は、これらの祭りに先行する祭りが『琉球国由来記』(1713年)に記載されている〈節〉であるという。
 同書には「七・八月中に行われ、(中略)年帰しとして家中掃除、家、蔵、辻まで改め諸道具至迄洗拵、皆々綱を引き、三日遊び申也」とある。仏教の伝来による盆の挿入により、〈節〉がずれて行われるようになり、その変化の過程で出現したのがシチとプールとキツガンだというのだ。この説はすでに宮良賢貞によって提唱されていたが、祭の事例(川平・祖納のシチ、石垣・祖納・古見のプール、小浜のキツガン)からきちんと検討したのは、管見の限りでは大城が初めてであろう。本書はその研究の延長線上にある。
 本来、〈節〉は稲作を中心とした自然暦の節目、つまり正月であった。今でも八重山では、シチは「昔の正月」「もの作りの正月」などといわれている。沖縄の稲作りの基本は、雨の多くなる10月頃に播種(はしゅ)し、台風前に収穫する〈冬作〉である。本書はこのような農耕暦への視点と八重山の歴史を考慮しながら、八重山の祭りの意図と意義を考察している。第1章:黒潮の民と稲作、第2章:首里王府の八重山統治と稲作、第3章:稲作と祭り(1)、第4章:稲作と祭り(2)種子取(祭)で構成されていて、1~2章が〈イネの旅〉についてであり、3~4章が〈稲の祭り〉である。
 本書に記された〈稲の祭り〉は単なる祭りの事例報告ではない。イネの生育と農作業についても併記されている。評者は、「生業への視点の欠けた祭りの研究は砂上の楼閣」と常々考えているので、筆者の姿勢に共感するものである。
 (古谷野洋子・神奈川大日本常民文化研究所特別研究員)
 おおしろ・きみお 1937年八重山鳩間島生まれ。61年に琉球大卒業後県立高校長など務める。著書に「八重山鳩間島民俗誌」「八重山・祭りの源流―シチとプール・キツガン」。

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