神奈川県民歌には「初代」があった? なぜ2曲も… 忘れられた謎の歌を追った

神奈川県民歌はもう1曲あった・・・という情報が寄せられた

 神奈川県民歌「光あらたに」が歌われず、「光が当たっていないのでは?」という疑問を掘り下げた昨年11月の「追う! マイ・カナガワ」の記事に多くの反響が寄せられ、県もようやく普及に力を入れ始めたことを喜んでいたところ、思いもよらぬ関連情報が舞い込んできた。「実はもっと古い初代の県民歌があります」─。2022年の新春に、忘れられた県民歌の謎を再び追った。

◆19年前にも「県々歌」

 情報を寄せてくれたのは兵庫県在住のフリーライター橋岡昌幸さん(46)だ。マイカナの記事をインターネットで読み「神奈川県々歌(けんけんか)の存在を知らせたい」と連絡をくれた。

 「兵庫県にはかつて県民歌があったのに、今はなかったことにされている問題を調べています。その中で神奈川の古い県民歌のことも知ったんです」。全国の県民歌事情を調べるうちに、「光あらたに」よりも19年前の1931年に「県々歌」が制定されたことを知ったという。

◆兵庫県民歌も記録なし

 橋岡さんは以前、全国の県民歌の情報を募っていたメールマガジンをきっかけに、地元兵庫について調べると、実は終戦直後の47年に県民歌が作られていたことを知って驚いたという。

 神戸新聞も2015年に『兵庫県民歌どこへ』と報道し、作詞者の遺族が「家族には身近な歌だった。なぜ消えたのか知りたい」と切ない思いを語っている。制定当時の同紙は「兵庫懸民歌決(きま)る」と報じているが、同県には県民歌が存在した記録が何も残っていないのだ。

 「なぜなかったことにされてしまったのか。その理由は県庁の内紛説などもあるが、決定的にこれだというものはないようです」と橋岡さんは声を落とす。

 マイカナ取材班も兵庫県に取材してみたが、県民から陳情が出され19年にも再調査したものの、「公文書が無く、制定されたことも廃止された記録も無い」と進展がなかったという。

◆与謝野晶子らが審査

 神奈川県民歌には本当に初代があったのか? 
 神奈川新聞の前身「横浜貿易新報」をたどっていくと、「神奈川県々歌」が発表された当時の様子や曲譜が掲載されていた。

 1930年7月1日付の記事によると、県々歌など3曲の歌詞が一斉に一般公募され、400~500作品を歌人・与謝野晶子や詩人・北原白秋らそうそうたるメンバーが審査した。

 選ばれたのは、横浜市にあった「第二日枝小学校」を卒業したお神籤(みくじ)売りの石井克昌さん。石井さんは「詩作なんてした事は余(あま)りありません。五年前に身体を壊して自動車の運転手を止(や)めてから失職しているものですから…」などと、入選の喜びとともに身の上も語っていた。

◆「ハレ」伝わる歌詞

 そびゆる高樓(たかどの)つらなる甍(いらか)

 装(よそほ)ひ新(あらた)に成(な)りたる衢(ちまた)

 百船(ももふね)つどへる港を見よや

 力ぞ築きし神奈川懸を

 いざ〳〵同胞努(はらからつと)めむいよゝ

 これが1番の歌詞だ。県内の歌に詳しい元横浜開港資料館主任調査研究員平野正裕さん(61)は「県々歌は3番まであり、歌詞を見てもそれぞれ県内の都市、農村、人を歌っていて『ハレ』な雰囲気が伝わってくる」と解説する。

 県々歌が作られたのは、関東大震災(1923年)後の復興期。当時の山県治郎(じろう)県知事が「観光立県」で盛り上げようとした時代だ。「県の魅力をアピールする中で、県歌を作ろうとなったのかもしれない」と推測するが、詳しい経緯は分かっていないという。

 平野さんは「音源が残っていないので忘れ去られてしまっているが、再現すれば歌の存在を知るきっかけになる」と提案する。

◆神奈川県の調査に期待

 「県民歌の普及に努める。若い世代が県民歌に接する機会を増やすため、県立学校での普及を検討したい」─。マイカナの記事をきっかけに、昨年12月の県議会本会議で黒岩祐治知事が県民歌「光あらたに」について答弁した。

 「県々歌」についてはどうだろう。取材班が知事室に尋ねると、「あることは承知していたが、特に広報はしていない」という。

 「県々歌」が歌われなくなった背景や、なぜ新しい県民歌を制定したのかなど疑問をぶつけると、担当者は「今は詳しいことは分からない」と言うものの、「今後、公文書などで詳しい経緯を調べたい」と前向きな回答があった。

 神奈川には記録が残っていると期待しつつ、知事室の調査結果を待ちたい。

© 株式会社神奈川新聞社