30年ぶり栄冠の立役者、山本雅史MDがホンダを退社「全身全霊でやりきった。ホンダ人生に終止符を打ついいタイミング」

 30年ぶりにドライバーズチャンピオンをレッドブル、そしてマックス・フェルスタッペンとともに獲得したホンダ。そのホンダF1でマネージングディレクターを務めてきた山本雅史氏が2022年1月31日をもってホンダを退社することが関係者への取材で明らかになった。

 山本氏は、1982年に本田技術研究所に入社。和光研究所の試作ブロックで腕を磨いた後、デザイン室へ配属され、36歳でマネージャー(管理職)に抜擢されるなど、若くしてマネージメント業で秀でた才能を発揮してきた。

 その後、2011年に栃木研究所に移り、技術広報室で室長を務めた後、2016年に本田技研工業のモータースポーツ部部長に就き、ホンダの国内のモータースポーツ活動を中心に統率してきた。「3年でスーパーGTの王座を取る」という目標を掲げ、3年目の2018年に見事、GT500クラスでチーム国光の山本尚貴/ジェンソン・バトン組がタイトルを奪還。2010年以来8年ぶりのスーパーGT王座をホンダにもたらす。

 ホンダのF1活動においても重要な役割を果たし、マクラーレンとの関係が悪化した2017年は粘り強い交渉を行い、5年間あった契約を違約金を発生させることなく発展的解消に成功。2018年からトロロッソとパートナーを組む新しい道を選択した。

 また、開発をスピードアップさせつつトラックサイドでの作業効率を向上させるために、2018年にホンダF1体制がそれまでのトップひとりの総責任者体制から、マネジメント(山本)+開発(浅木泰昭/HRD Sakuraセンター長兼パワーユニット開発責任者)+現場(田辺豊治/ホンダF1テクニカルディレクター)のトロイカ体制に変更された以降はマネージングディレクターとして他チームやFIA・FOMとの交渉も綿密に行い、ホンダのステータス向上に大きく貢献。2019年にレッドブルとパートナーを組む足かがりを作った。

 2019年からはF1マネージングディレクターとしてF1プロジェクトに専念し、ホンダF1のラストイヤーとなった2021年はコロナ禍ということもあり、家族との時間を犠牲にしながらも、これまでにないほど全力でホンダF1を強力に牽引。レッドブル陣営と築いた強力なパートナーシップは、中止になった日本GPの代替えで開催されたトルコGPで日の丸カラーのマシンを走らせ、アメリカGPではそれまで実現できなかった『アキュラ』ブランドをリヤウイングに復活させるなどの象徴的なシーンを演出するなど、世界中のホンダ従業員、ファンの胸を熱くさせた。

スペシャルカラーをまとったRB16Bとセルジオ・ペレス、ホンダF1田辺豊治テクニカルディレクター、ホンダF1山本雅史マネージングディレクター、マックス・フェルスタッペン

 退社にあたって、山本氏は次のように語っている。

「2016年にホンダF1に参画して以来6年間、ホンダのF1活動に人生のすべてを捧げてきました。特にラストイヤーとなった2021年は全身全霊で戦いました。いまは『やりきった』という気持ちでいっぱいで、ホンダ人生に終止符を打ついいタイミングと考えました」

「これからは家族と仕事のワークバランスをきちんと取りながら新しいチャレンジをスタートさせる決断をしました。このプロジェクトに携われて本当に良かった。一緒に戦ってくれた同志に感謝するとともに、ホンダF1を応援してくれた多くのファンにお礼を申し上げます。本当にありがとうございました」

 ホンダのF1プロジェクトは2021年シーズンをもって終了した。そのプロジェクトを牽引してきた山本氏の退社の知らせは、ホンダのF1活動がひとつの時代の幕を閉じるという象徴的なニュースと言ってもいいだろう。

 山本氏の尽力を労うとともに、今後のご活躍を祈念したい。

2021年F1第22戦アブダビGP マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)がタイトルを獲得、ホンダF1山本雅史MDらと記念撮影
2021年F1第17戦アメリカGP表彰台 1位マックス・フェルスタッペン、3位セルジオ・ペレスとホンダF1山本雅史MD

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