滋賀県米原市の伊吹山麓の一角にある三島池のほとりに立った。北西から流れてきた雲が消え去ると、雪で頂上付近が白く覆われた雄大な山の姿が眼前に現れた。
標高1377メートル、滋賀最高峰の伊吹山。毎年11~12月には雪化粧し、本格的な冬の到来を県民に告げる。初夏には色とりどりの高山植物が咲き、「花の伊吹」の別名もある名峰が今から100年近く前、とんでもない大雪に見舞われた。
1927(昭和2)年2月14日。伊吹山の山頂は、11メートル82センチの積雪を観測した。日本はもちろん世界の山岳観測史上、歴代1位の記録は現在も破られていない。県彦根測候所(現・彦根地方気象台)が9年後に県内の積雪量をまとめたガリ版刷りの冊子に、その数値が青字で刻まれている。
当時は超音波などを用いた自動計測機器がなかった時代。伊吹山頂にも測候所が置かれ、常駐職員が観測地点に雪尺(約3メートル)と呼ばれる棒状の物差しを継ぎ足して雪の深さを測った。
なお、気象庁の記録で国内2位は2013年2月26日、青森県・八甲田山系の酢ケ湯(標高890メートル)で観測された5メートル66センチ。これでも、伊吹山の半分に満たない。なぜ、伊吹山で類例のない積雪が起きたのか。
同測候所で勤務経験がある彦根地方気象台地域防災官の山下寛さん(63)は地理的条件を指摘する。若狭湾と伊勢湾に挟まれた本州の最も狭い部分に位置するため、「若狭湾で発生した雪雲が太平洋側に抜ける際に伊吹山でぶつかる形で大雪をもたらす」とし、こうした条件から「今後も国内で伊吹山の記録が破られることは難しいのでは」とみる。
ただ、近年の県内の降雪量は減少傾向にある。気象台がある彦根市の過去70年分の年間降雪量を分析すると、1964~74年の10年間平均が151センチだったのに対し、2008~18年の10年間平均は86センチにとどまる。
降雪量の減少と歩調を合わせるように県内の平均気温は上昇を続けている。彦根市の昨年の年平均気温は15.8度で、100年前と比較して2.5度上昇した。
「ここ5年ほどで温暖化の影響が確実に出ている」と、伊吹山で40年以上、高山植物の保護活動に取り組む「伊吹山もりびとの会」の西澤一弘代表(78)は言う。雪解けが早まるなどし、これまで平地で自生していたアカソやフジテンニンソウが他の植物を押しのけて山頂部で繁茂するようになったという。
「人間は温暖化に対応できるが、植物は暑くても動けない。美しい伊吹山の風景を守るためには、希少植物の保護が一層重要になる」。西澤さんは伊吹山をじっと眺めながら、確かな口調で語った。