カネミ油症 事件発覚から半世紀 昨年3月に認定された五島の男性「未認定者の力になりたい」

カネミ倉庫の食用油の県内流通量をまとめた資料を見つめ、当時を振り返る木本さん=五島市内

 1968年10月のカネミ油症事件発覚から半世紀以上が経過した2021年3月、新たに1人の男性が油症患者として認定された。長崎県五島市の木本武明さん(68)=仮名=。未認定期間は実に52年余りに及んだ。これまでの体調不良や数々の疾病。その原因が油症だったとようやくはっきりした。今、木本さんは「未認定の人たちの力になりたい」と考えている。
 五島市内で生まれ育ち、両親やきょうだいと6人暮らしだった。家庭では近くの商店で購入した食用油を使用。中学卒業後の1968年当時、尻や腰回りなどにいくつもの吹き出物が出て、強い痛みに悩まされた。倦怠(けんたい)感などの症状もあったが、医者は「体質」とするだけ。「一生続くのか」と漠然とした不安を抱えてきた。
 2018年、市広報誌の油症特集に、自宅で購入していた缶と同じ形状の一斗缶の写真が載っていた。地元の知り合いの油症患者に症状を聞いてみると、自分と似ている。これをきっかけに認定につながる年1回の検診を19年度に初めて受診。保留(経過観察)とされたが、20年度末に油症認定された。やっとカネミ倉庫から治療費の補助を受けられるようになったが、これまでの多額の自己負担分は支払われない。やるせなさが募る。
 検診では、ダイオキシン類の血中濃度が認定可否の基準になる。しかし症状はあっても長い期間を経て濃度が下がった未認定患者は少なくないだろう。木本さんは基準見直しの必要性を感じている。
 昨年、全国油症治療研究班(事務局・九州大)による認定患者の子や孫を対象とした次世代調査が始まった。次世代被害者の救済につながる可能性があるが、木本さんは自分が油症認定されたことを長女にまだ伝えていない。余計な心配を掛けたくないからだ。県外に住む長男には調査のことを話したが「僕はいいよ(回答しない)」との返事。今のところ症状はないという。親としては子どもたちの将来が心配だ。「現状の基準では(次世代の)認定はさらに難しい」と表情を曇らせた。
 原因物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)を製造し、食用油製造時の熱媒体としてカネミ倉庫に販売したのはカネカ。だが被害者救済の協議にさえ参加しない。「肝心要のカネカが補償から逃げている」。同社への怒りは尽きない。
 油症発生当時、地元でカネミ倉庫の油が出回っていた記憶があるが、“油症患者”として手を挙げる人は今も少なく、「このまま忘れ去られてしまわないか」と危惧する。「いまさらと考えているのかもしれないが認定を受けて補償してもらうのは当然の権利。諦めないで、まずは検診を受けてほしい。一人でも多く認定されてほしい」。そう願っている。


© 株式会社長崎新聞社