武田双雲の日本文化入門〜第9回 それぞれ違って、どれも面白い!書道の書体

書道家・現代アーティスト 武田双雲とは

武田双雲(たけだ そううん)さんは熊本県出身、1975年生まれの書道家で、現代アーティスト。企業勤めを経て2001年に書道家として独立。以後、多数のドラマや映画のタイトル文字の書を手掛けています。近年は、米国をはじめ世界各地で書道ワークショップや個展を開き、書道の素晴らしさを伝えています。

本連載では、双雲さんに、書道を通じて日本文化の真髄を語っていただきます。

第9回 書道にある5つの書体

日本の書道では、中国の漢字が使われています。

連載第8回で紹介したとおり、中国の漢字は、古代の甲骨文字が起源とし、紀元前200年頃に秦の始皇帝によって公式に制定されました。

この時の書体は「篆書(てんしょ)」と呼ばれています。当時は紙が普及していなかったため、主に石や銅に彫られていました。

その後、西暦100年頃に蔡倫(さいりん)が紙の製法を改良し、紙が一般に普及してきます。石や銅に彫るのと、紙に書くのでは、書き心地が全く異なります。紙の普及をきっかけに、書道の書体は大きく変化していきました。

紙の普及後、まず「隷書(れいしょ)」が流行しました。古い書体ですが、実は現代の日本でも、あるものにたくさん使われています。

それは紙幣です。隷書は品があって読みやすいことから、日本のお札に起用されました。

その後、私たちが現在使っている「楷書」が主流になりました。楷書は隋(6~7世紀頃)の時代には既にあったとされていますが、唐(7~10世紀頃)の時代に洗練され、完成に向かいました。

特に書家・欧陽詢(おうようじゅん)の「九成宮醴泉銘」(きゅうせいきゅうれいせんめい)は、「楷法の極則」と呼ばれる最高峰の作品です。

その後、速く書くために書体を崩した「行書」が生まれました。

また、行書をもっと崩した「草書」も使われるようになりました。

行書、草書が生まれた背景には、手紙を書く時にスピードが求められたことがあると考えられています。

平仮名の誕生

漢字に加え、日本人は現在、平仮名も使います。漢字・平仮名を織り交ぜて文章を書くという慣習は、どのように生まれたのでしょうか?

日本には奈良時代(710~794)、中国から仏教の伝来とともに漢字も伝わりました。当時、日本ではほとんど文字が使われていなかった(※)ので、漢字をそのまま用いることになりました。

中国語と日本語では文法や発音が全く違います。しかし、両方の音の共通点を見出しながら、無理やり漢字を日本語に当てはめたのです。

平安時代(794~1185)になると、漢字を崩した形で、平仮名が作られます。

平安時代は、貴族の間で日記や随筆文学が流行し多くの女流作家が活躍しました。その女流作家たちが主に使ったのが、平仮名です。そのため、平仮名は「女手(おんなで)」とよばれ、女性が使うものとされました。

しかし、現在は性別に関係なく使うようになっています。

書くことの意義

伝統的な書道道具を使って文字を書く機会は、ペンの普及により大幅に減りました。近年は、インターネットの普及で手書きで書くこと自体も減っています。

しかし、スピードや合理性が求められる現代は、他方で人々の心が疲れやすくなっている時代でもあります。こうした中、ゆっくりと落ち着いた所作で心を整えられる書道の意義が今、改めて見直されています。

僕は、これからも書道を通して「心を整える」お手伝いをしていきたいと思っています。

今回の書――「楷書、行書、草書」

楷書、行書、草書をそれぞれの書体で書きました。

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