“問題解決まで声あげる”/水曜デモ、30年目の誓い 日本軍性奴隷制問題の解決を求めて

日本軍性奴隷制問題の解決を求めて南朝鮮で1992年から続く水曜デモが30年を迎えた。

5日、ソウル・鐘路区の旧日本大使館近くで行われた30年を記念する1525回目の水曜デモでは、日本政府が被害者に対し誠意ある謝罪をするまで粘り強くたたかい続けることをアピールした。

水曜デモ30年記念集会の様子(いずれも聯合ニュース)

世界最長の集会

水曜デモは、1991年8月14日に金学順さんが南朝鮮で初めて公に被害を告発した後、1992年1月8日、宮沢喜一元首相の訪問をきっかけに日本政府に抗議の声を直接届けるため韓国挺身隊問題対策協議会(現在の日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯、以下、正義連)の30人あまりのメンバーが日本大使館前で集会を開いたのが始まりだ。

春夏秋冬、晴れの日も雨の日も、2020年来の新型コロナウイルス拡散の中でも続けられ、単一テーマで続く集会としては世界的に類を見ない最長記録として認定されている。

30周年を記念する今集会のテーマは、「水曜デモ30周年! 再び、最初のように!」。参加者らは、日本政府の責任を問うために初めて水曜デモを開催した人々の勇気を胸に刻み、これからも水曜デモを続けていくことをいま一度誓い合った。

この日、性奴隷制被害者たちは新型コロナの感染状況を踏まえて参加は見送り、ビデオメッセージを寄せた。

李玉善さん(95)は、「私たちは強制的に連行され、多くの苦労を強いられた。それなのに日本は謝罪していない」と語った。李容洙さん(94)は、「もはや国連国際司法裁判所(ICJ)を超えて、国連拷問防止条約を通じて慰安婦問題を解決しなければならない」と訴えた。

1992年の第1回水曜デモのパネル前で叫ぶ参加者

また、南朝鮮の各界各層から連帯の言葉が述べられたほか、日本、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツなど世界各国からもビデオメッセージが寄せられた。

青瓦台によると、文在寅大統領は同日、水曜デモが30周年を迎えたことについて、「勇気を出して日本軍慰安婦問題を世に知らせ、また第1525回水曜集会に至るまで長きにわたって行動を共にしてくださった皆さま、本当にご苦労された」とし、謝意を伝えた。

加速する歴史歪曲に抗い

1992年の第1回水曜デモに参加したユン・ヨンエさん(79)はこの日、「30年前に水曜デモを始めたあの時の信念と情熱を再び感じます。デモを始めた時は、すぐに終わるだろうと思っていました。このように30年も続くとは思いませんでした。今日、若い女性人権運動家の仲間たちを見て、本当に感激しています」と感慨を語った。

水曜デモは、日本軍の戦時性暴力犯罪を南朝鮮社会に周知させ、世代を超えた多くの市民たちが歴史を学び、平和や人権について考える場となってきた。

日本軍性奴隷制問題だけでなく、現在も続くすべての性暴力根絶を目指すたたかいで世界各国と連帯し、普遍的な人権と平和のための大きな運動の流れをつくり出した。平和の少女像も水曜デモ1000回目(2011年12月)を記念して建てられたもので、これを皮切りに各国市民の手によって世界各地に建てられた。

しかしこの間、日本政府の歴史否認・わい曲はいっそう加速した。

表向きには、日本軍の関与と強制性を認めた河野談話(1993年)を継承するとしながら、「強制連行はなかった」などと否定し、韓日請求権協定(1965年)や日本軍性奴隷制をめぐる南・日「合意」(2015年)を盾に「最終的かつ不可逆的に解決」したと強弁している。

世界各国に建立された少女像を撤去するよう圧力をかけ、被害者を二度三度と貶める政治家の妄言が幾度となく繰り返された。

一方で、南社会内部の歴史否認の動きも看過できない。

今回の集会は極右団体の妨害により少女像前で開催することができなかった。極右団体が集会申告を先に行う形で場所を占拠したためだ。極右団体は、2020年6月の正義連をめぐる疑惑騒動に乗じて、水曜デモへのこのような妨害行為を始めた。

30周年を迎えて正義連がこの日、参加者一同の名義で発表した声明は、「国内外に拡散した歴史否定勢力は、希望と平和の場を挫折と葛藤で汚し、愛と連帯の心を憎しみと嫌悪の刃で引き裂き、心臓を熱く打つ真実の喊声を不正と歪曲の言葉で傷つけている」と非難した。

そのうえで、日本政府に対し、▼正義と真実に基づいた歴史清算▼事実認定と謝罪、再発防止の約束を通じた問題の正しい解決―を訴え、南朝鮮政府に対しては真相究明、被害者の名誉と人権保護―を求めた。また、南・日両方政府に対して、戦争、暴力と差別で苦痛を受けるアジア女性たちの人権と生命を保護するために積極的に取り組むよう訴えた。

正義連によると、昨年は性奴隷制被害者3人が他界。南朝鮮政府に登録された被害者240人中、生存者は13人となった。

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