つじあやのの良質な歌声とウクレレの重要性を『恋恋風歌』で再確認する

『恋恋風歌』('03)/つじあやの

1月6日、オリジナルフルアルバムとしては実に10年振りとなる『HELLO WOMAN』を発表した、つじあやの。結婚、出産、子育てを経て、ひとりの女性として自分自身と改めて出会い向き合う中で制作されたという。当コラムでは彼女の代表作のひとつと言っていい『恋恋風歌』を取り上げる。18年前の作品になるが、それこそ、いい意味で“ずっと”変わらない彼女のイメージを確認できる名盤と言える(なぜ“それこそ”かは本文をご覧ください)。

良質なメロディヴォーカリゼーション

とても上品な楽曲集、というのが率直な感想だ。そうは言ってもクラシックのような、一部の人が抱くであろうハードルの高さがあるわけでなく、基本はポップスである。キャッチーなサビに向けてメロディーもサウンドも収斂していく様子はJ-POPのそれで、ほとんどそこに準拠していると言ってもいい。しかしながら、ことさらにそこを押し出している感じがしないというか──あくまでも個人的な感想と前置きするけれども──メロディーにおいてもサウンドにおいても“みなさん、これはどうですか!”といった強めの自己主張をほとんど感じないのだ。

強めの自己主張は、下世話な自己主張と言い換えてもいい。それを彼女の出身地になぞらえて京懐石のような…と脊髄反射的に喩えたくなるが、それも微妙に違う気がする。ラーメンやカレー、あるいは苺が乗ったショートケーキといった、日本国内であればどこでも食べられるもの、しかも極端に好き嫌いが別れない食べ物を、良質な材料を用いて一流職人が丁寧に作ることで、今までどこにもなかった大衆食に仕上げた感じと言えばいいだろうか。辛すぎず、しょっぱすぎず、甘すぎない。それなりに化学調味料や人工甘味料なども使用しているのかもしれないが、ケミカルなえぐ味はまったくと言っていいほど感じない。激辛カレーも増し増しラーメンもそのインパクトもあって興味はそそられるし、旨いものは旨いだろう。過剰に生クリームが盛られたケーキだって不味くはないと思う。

だが、一部好事家を除けば、それらを毎日食べようとは思う人は決して多くはないだろうか。齢を重ねた人は特にそうだと断言していい。その点、『恋恋風歌』はその塩梅がちょうどいい印象だ。尖った部分がほとんどないので食べ飽きない感じと言ってもいいかもしれない。激辛好き、増し増し好き、甘党の人たちのとっては若干物足りなさを感じる人も出てくるかもしれないとは思う。だが、ファーストインプレッションはそうでも、一度その味を体験したら、ふとした時にまた食べたくなるような──そんなふうに喩えられるのではないだろうか。本作に限らず、つじあやのの音楽自体がそうかもしれない。

上記で述べた良質な材料というのは、もちろんメロディーの良さの喩えであるが、本作(ならびにつじあやの作品全般かも…)においてそれは彼女の声質を含んだものとしてとらえたい。とてもポップメロディーを書くソングライターではあることは間違いない。CMや映画、ドラマのタイアップが多いのはその証左。他者へ楽曲の提供も少なくないのも当然だろう。それほどに大衆的な旋律を紡ぐ人ではある。その上、その歌声である。聴き手を選ばないというか、聴く人の耳をこじ開けてくるような強引さはまったくないと言っていい。

ここはスタジオジブリ映画『猫の恩返し』の主題歌となったことでも知られるM9「風になる」を例に挙げよう。ちなみにこの楽曲は彼女のシングル曲では現在のところ最高セールスとなっているナンバーであり、ハウス食品キャンペーンソングにもなったので、多くの人にとって馴染みのあるナンバーではあろう。アルバム収録曲中で最もキャッチーと言っていいサビメロは、さすがに映画主題歌&CMソング。さわやかで軽快なAメロから始まり、いかにもBメロらしいBメロで一旦景色を少し変えつつ…という展開も見事で、サビでさらに爽快にメロディーが突き抜ける様を完璧にあと押ししている。サウンドはバンドにストリングス、ブラスを加え、さらにスペクターサウンドも取り込むなど、本作中、屈指の豪華さである。ヴォーカルの主旋律とサウンドアレンジだけで見たら、まさに増し増しと言ってよく、下手したら激辛、あるいは単に甘ったるいだけの楽曲となっていても不思議ではない。もちろん根岸孝旨のアレンジによってそんな惨いことにはなっていないのだが、彼女自身のヴォーカリゼーションによるところも大きいのではと考える。お腹から声が出ていない…というと語弊があるかもしれないし、決してそんなことはないだろうけれど、少なくとも変に声を張り上げている様子がなく、そこが楽曲全体にいい具合の抑制を与えているような印象なのだ。音の全部が前に出てないという言い方でもいいかもしれない。とにかく、いい塩梅なのである。

ウクレレが及ぼす、ある種の牧歌的効果

この『恋恋風歌』はM1~3をトーレ・ヨハンソンが、M4~11を根岸孝旨がプロデュースしている。M1「桜の木の下で」、M2「ありきたりなロマンス」はシングル曲なので、本作は冒頭がボーナストラック的な容姿と言えるかもしれないが、それはともかくとして──トーレもまた彼女のヴォーカリゼーションの特徴をしっかりととらえているよう思う。いや、特徴をとらえるとか何とか、BONNIE PINKや原田知世、レミオロメン、カジヒデキといった日本人アーティストを手掛けたプロデューサーを前に何をかいわんやではあろうが、M1からしてそこにはっきりとした意図を感じる。ストリングスから始まるサウンドはどこか映画の劇伴のような雰囲気。こちらにもブラスもバンドサウンドが入ってくるが、全体的にM9よりも抑えられている印象だ。そう感じるのは、歌が前面に出ているからに違いない。相対的にサウンドが後ろ側に感じられるバランスなのである。しかも、ヴォーカルのトーンが低めでありつつ、ウイスパーに近い録音のされ方、ディレイのかけ方だ。声を張り上げていないことが逆に際立っているというか、それを際立出せているのだろう。M2もM3「明日によろしく」もブラスの重ね方はソウル調で、疾走感のあるパーカッションが配されているものの、そこまで圧力は強くなく、それこそThe Cardigansに通じるスウェディッシュポップ的な、アコースティック寄りのロックサウンドに仕上げられている。

眼鏡と並んで、つじあやののトレードと言っていいウクレレも、もちろん本作において重要である。歌声もさることながら、ウクレレが楽曲に及ぼしている効果もまた、決して少ないものではない。その音色はM3辺りから目立ちは始め(というか、M1、M2が極端にウクレレが前に出ていないだけかもしれないが…)、M8「春の陽ざし」ではウクレレが前面に出たサウンドを聴くことができて、そこからM9「風になる」へつながっていく。アルバムの流れとしてもウクレレの使い方が見事だと思うが、個人的には(これは本作の…というよりも、つじあやのというアーティストのサウンド的特徴かもしれないが)、ヴォーカリゼーションと同様、楽曲に特有の雰囲気を持ち込むことに大きく寄与していることに注目した。

M6「帰り道」とM7「ぎゅっと抱きしめて」にそれを見る。印象的なベースラインが全体を引っ張るM6、アウトロでエレキギターが鳴いているM7。ともにロックと言っていいニュアンスである。テンポ感は異なるものの、いずれもシェイカーが疾走感を与え、前のめりな空気を生んでいる。かと言って、性急な感じは薄く、少なくともキリキリとした緊張感はあまりないと思う。この辺はウクレレならではの高音弦の響きによる、ある種、牧歌的と言えるストロークが無関係ではないだろう。どちらもウクレレがなかったとしても、それはそれでよくあるロックサウンドとはならなかっただろうが、ウクレレが入ることで明らかに他に比類なきものに仕上げることができたのだろう。彼女は[フォークソング部で音楽活動を始め(中略)ギターを弾きたかったが、手が小さかったためウクレレを始め]たというから、そもそも音楽キャリアのスタートがその後の音楽性に直結していると言える。音楽的原初体験を大切に育んできたという証左に他ならないわけだが、そこはかなり興味深いところではある([]はWikipediaからの引用)。

歌詞に込められた彼女の想いとは?

『恋恋風歌』収録曲の歌詞については気になったところがある。以下、その部分をピックアップしてみた。

《歩いて二人で責め合って/歩いて笑って二人で手を取って》《新しい明日に陽が昇って/空の彼方には夢がこぼれてる/叶えてくれないかな/ずっとずっと君といつまでも》(M3「明日によろしく」)。

《そしていつも僕は君を/想い想い続けているの/愛してます 大好きです/ずっとずっとそばにいるから》《さようなら言わないで/また明日会える/悲しみは密やかに/僕の胸につきささってゆく》(M4「月が泣いてる」)。

《この灯を絶やさないで 心を閉ざさないで/悲しみに凍えないで 夜明けをつかまえて》《誰よりも愛してる 見えない明日さえ/幸せに変わってく ずっとそばにいて》(M7「ぎゅっと抱きしめて」)。

《ひとりぼっちの影が二つに膨らんでゆくよ/キスしてくれたらいいな/いれたらいいな 君のそばにずっとずっと》(M8「春の陽ざし」)。

もうお分かりだろうが、《ずっと》が多い。これには、感情が込めやすいとか、音符に乗せやすいとか、単に彼女自身が好きな言葉だとか、背景はいろいろと考えられるが、やはり“同じ状況が長く続く”という字義通りの意味、ニュアンスを歌詞に込めたかった…とストレートに受け取るのが良かろう。というのも、他の歌詞には“続く”も多く見受けられる。

《このまま僕は 誰にも出会えずに/壊れたままの悲しみ背負いながら/このまま君を 愛し続けてゆく/切ないだけのピエロに成りすましてゆくのか》《このまま僕は 全てに閉ざされて/子供のままの悲しみ抱きながら/このまま君を 願い続けてゆく/ひとりぼっちのピエロに身を焦がしてゆくのか》(M5「雨音」)。

《僕が君と出会って知った言葉 繰り返す帰り道/きっと君を探して消えた 恋を待ち続けて》(M6「帰り道」)。

《明日きっと僕は笑う/こののんきなハート歌い出す/愛しい君と年をとってゆくよ/ほら幸せに》《明日きっと君は笑う/こののんきなハート狙い撃ち/可愛い君よ手をつないでゆこう/ほらどこまでも》(M10「星に願いを」)。

幸せな状態だけでなく、決して想いが成就したわけではない(と思しき)M5やM6でもそうなのだから、ひと筋縄ではいかないけれど、これらが本作の特徴であることは間違いなかろう。彼女の想いが強いこともうかがえる。ご本人の言質を取ったわけではないので安易に断定はできないが、幸せな状態が継続していくことが最も望ましい…ということだろう。ロストラブソング(と思しきもの)にしても、その想いまでも消えてしまうわけではないというニュアンスだから、完全に閉じた状態≒100パーセント後ろ向きともとらえられない。“恋恋風歌”というタイトルから想像するに、恋とはそういうものであってほしいという彼女の願望だろうか。この辺りも何か上品だ。

TEXT:帆苅智之

アルバム『恋恋風歌』

2003年発表作品

<収録曲>
1.桜の木の下で
2.ありきたりなロマンス
3.明日によろしく
4.月が泣いてる
5.雨音
6.帰り道
7.ぎゅっと抱きしめて
8.春の陽ざし
9.風になる
10.星に願いを
11.さよならを教えて

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