「家族が事件の加害者になってしまった」 非難、困窮、孤立…支援なく置き去り

家族が事件の加害者になった女性=2021年11月

 自分の家族がある日突然、事件や事故を起こしたら、何をどうすればいいのか―。加害者の家族は、欧米では支援が必要な存在と広く認識されているが、日本では長年、置き去りにされてきた。公的な支援制度もない中、日本初の民間の加害者家族支援団体「ワールドオープンハート」(WOH)が2008年、仙台市に発足。10年以上経過したが、いまだに理解は進んでいない。設立者で理事長の阿部恭子さん(44)は「いつ、どの立場で事件や事故に巻き込まれるかは分からない。自分のこととして考えてみてほしい」と、支援の必要性を訴えている。(共同通信=平林未彩)

 ▽娘が殺人未遂、人生が一変

 数年前、女性会社員のAさん(50代)は仕事中、知人から「ニュースを見た」と連絡を受けた。テレビの画面に「殺人未遂容疑で逮捕」のテロップと、Aさんの娘の名前が流れたという。とても信じられず、警察から電話があるまでの数時間、ぼうぜんとしていた。 

 やがて現実と認識した後、人生は一変した。何をするにもまず「加害者の家族がしていいことなのか」と考え、ためらうようになった。ご飯を食べることさえ罪悪感を感じ、日中、太陽の下を歩くことは許されないと思った。

 

WOHを設立した理事長の阿部恭子さん

 心配した知人が紹介したのが、WOHが主催する加害者家族の会だった。誰にも吐き出してはいけないと思っていた気持ちを初めて話し、うなずいて聞いてくれる人たちを見て「自分だけじゃないんだと知った。暗闇に光が差したみたいで、涙が出た」。

 定期的に参加し、助言を受け、必要な情報を得た。「WOHに出会えていなければ、途方に暮れていた」と振り返る。

 ▽償いたくても、働き口がない

 21年春、Aさんは娘を迎えに、刑務所へ車を走らせた。逮捕され、実刑判決を受けて仮釈放されるまでは、「娘が生まれて以来、一番たくさん話した」という。Aさんは何度も面会に通い、気持ちをぶつけ、向き合ってきた。それでも、迎えに行く足取りは重い。「ちゃんと迎えてあげられるだろうか」。不安はふくらむ一方で、事件を起こした娘への憤りも、もちろんある。

 刑務所から娘が出てくると、思わず駆け寄り、抱きしめた。「良かった。触れる」。ずっとアクリル板越しだった娘に触れ、喜ぶことができた自分自身にも安心した。

 ただ、刑務所から一歩外に出れば、出所者の生活面や精神面のあらゆるケアを、家族が一手に担うことになる。保護司とは定期的に面会するが、それも原則的に刑の満期まで。就職先も自分で探さなければいけない。

 娘は出所後「人の役に立ちたい」と言った。自分が働いたお金で償いをしていきたいと思っている。Aさんも一緒に仕事を探したが、前科と、持っている精神障害者手帳が響き、なかなか採用されない。

 このままでは償いも果たせず、「被害者に本当に申し訳ないし、娘も自責の念やプレッシャーで不安定になっている」と明かした。

 娘を慎重にケアしながら、ハンディのある娘でもできそうな短期の仕事などを探すAさん。将来、娘のきょうだいの就職や縁談にも影響しないかだろうかと気に病む。「今は必死。でもこれから先、私自身も支えていくことに限界があるかもしれない。親は先に逝くだろうし、娘は一人で生きていけるだろうか…」

 ▽電話に出られない女性からの手紙

夫との面会のため、山形刑務所に向かう女性と長男=21年11月

 21年11月下旬、WOH理事長の阿部さんは、東北地方に住む女性Bさん(51)とその長男とともに山形刑務所に向かった。殺人罪で服役中のBさんの夫に会うためだ。

 阿部さんは、Bさんからの相談が電話ではなく、手紙だったことが印象的だったと振り返る。事件後に取材やいたずらで自宅の電話やインターホンが鳴り続け、Bさんは電話に出られなくなったのだという。

 Bさんと長男は持病などで働くことができず、生活保護を受けて暮らす。頼れる友人や身内もいなくなり「一人で悩むしかなかった」と語る。面会の交通費も捻出できなかったが、支援を受けるようになり8年ぶりに夫と対面できた。夫は「こんな生活をさせて申し訳ない」と何度も謝った。

加害者家族の相談に乗る阿部さん

 阿部さんはBさんと長男の精神状態を心配している。「事件で一家の大黒柱が突然いなくなり、生活は困窮し孤立してしまう家族は少なくない。思い詰めてしまわないように継続的な支援が必要だ」

 ▽加害者家族らから2千件を超える相談

 阿部さんがWOHを立ち上げたのは2008年。東北大大学院でマイノリティーの研究をしていた。犯罪被害者基本法が04年に成立し、被害者やその家族の支援が全国的に整備されつつあった。

 一方で、加害者は裁判や更生のための権利が保障されているものの、その家族には何の支援もないと気付き、日本で初の支援団体を設立した。当時は「加害者家族」という言葉自体が一般的ではなかった。

WOHのオフィス=仙台市、阿部恭子さん提供

 WOHはホームページで携帯電話番号を公開し、相談を受け付ける。情報提供のほか、相談に応じて弁護士や自治体につなぐ。面会や裁判への同行、加害者と家族の仲介役も担い、家族の会も定期的に開く。相談は全国からあり、ボランティアや各地の弁護士と協力しているが、プライバシー保護のためスタッフの数は最小限だ。

 これまでに寄せられた相談は2千件超。「家族の事件のために職を失い、転居・転校を余儀なくされた」「結婚や就職が白紙になった」。支援を求める加害者家族は多い。しかし、日本にある支援団体は他に、大阪市の「スキマサポートセンター」のみ。このセンターを設立したのはWOHで研修を受けた臨床心理士だ。山形県弁護士会も支援センターを設立したが、法的な支援に限られる。支援活動自体に反対する声も絶えずある。

 ▽処罰感情が強い日本、家族も「連帯責任」

 欧米など海外では、加害者家族を「忘れられた被害者(Forgotten Victim)」と表現し、支援活動も活発という。英国で代表的な加害者家族支援団体ができたのは、WOH設立の20年前だ。

 その理由について、龍谷大犯罪学研究センターの研究部門長を務める津島昌弘教授は「死刑制度がなく、人権意識や更生保護制度が進んだ国では、加害者がいつか社会に戻ってくるという意識がある。出所後の受け皿となる家族や地域の協力を重視するため、その支援も充実している」と説明する。

オンライン取材に応じる龍谷大の津島昌弘教授=21年12月

 日本については「処罰感情がとても強く、処罰後のことはあまり想定されていないのではないか。『連帯責任』の意識も根強く、家族自身も『身内のことだから』と助けを求めず、抱える状況がなかなか明らかにならなかった」と指摘する。

 公的支援について、政府はどう考えているのか。ある法務省幹部は「被害者への支援も十分とはいえない中で、なかなか議論や理解が進まない現状がある」と語った。

 阿部さんは「家族が崩れてしまえば、更生の支え手が失われ、被害者への賠償責任を果たせなくなる恐れがある。加害者が罪と向き合い、被害者への償いが果たせる環境を確保するために、経済的にも精神的にも支援が必要だ」と訴える。

 ▽池袋暴走事故、「過去最悪」の非難が殺到

 19年4月、WOHの携帯電話が鳴った。高齢の父親が暴走事故を起こし、複数の被害者を出したという男性から。憔悴しきった声で話す男性が、東京・池袋で幼子と母親を死亡させるなどし、禁錮5年の刑が確定した旧通産省工業技術院元院長飯塚幸三受刑者(90)の家族と分かったのは、しばらく後だった。

東京・池袋で乗用車が暴走し母子が死亡した事故の現場=2019年4月

 「なぜ運転をやめさせなかったのか」「家族も同罪だ」「死ね」。非難の目は家族にも向けられた。SNSはバッシングで溢れ、自宅に脅迫するような手紙が届き、身の危険を感じるほどだったという。家族が強いられた負担は「受け持った中で、過去最悪だった」(阿部さん)という。

 相談を受けた人の中には、被害者として交通事故に遭った後、別の事故で加害者家族になった人もいる。凶悪事件の加害者の面会に同行し、背景を探ると、日常で誰もが抱くような孤独や生きづらさに悩んでいたこともあった。

 ▽誰もが加害者家族になり得る

 阿部さんは「加害者家族に起きていることは、誰にも起き得ることだ」と訴える。「犯罪を機に新たな孤立や分断を生むのではなく、事件や事故の根底に目を向けることが、犯罪抑止につながっていくはずだ」という。

 21年11月、阿部さんは犯罪被害者や元受刑者らとともに加害・被害の立場を問わず、犯罪の影響を受けた全ての人を支える団体を発足させた。

犯罪の影響を受けた全ての人を支える任意団体が発足し、東京都内で記者会見した=21年12月

 犯罪白書によると、19年に日本で発生した殺人事件の54・3%は家族間で起きた。阿部さんは「被害者の家族で、加害者の家族でもあるという複雑な立場に置かれる人や、事件で両親を同時に失う子どもも存在する」と指摘する。「立場によって支援の網目からこぼれ孤立する人がなくなるよう、方法を探っていきたい」。試行錯誤は続く。

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