“総括”の名の下で壮絶なリンチ殺人 連合赤軍事件から50年 あの時代の犯罪は“総括”できたのか

◆上毛新聞の連載『連赤に問う』

「あさま山荘事件」が起きたのは、1972年2月だった。その1カ月後、群馬県の山中で新左翼組織「連合赤軍」による大量のリンチ殺人が発覚する。一連の事件から、まもなく50年の節目。戦後の日本社会に大きな衝撃を与えたあの事件は、いったいなんだったのか。群馬県の上毛新聞は『連赤に問う』を昨年11月から連載している。事件の捜査に関係した元捜査員や消防団員らへの丹念な取材を続け、地元紙ならではの内容が読ませる。

連載の冒頭は、作家・佐藤優氏の記憶から始まる。葛飾の東京拘置所。外務省職員だった佐藤氏が東京地検特捜部に背任罪などで起訴され勾留されていた時、隣の房には確定死刑囚がいた。それが連赤事件の坂口弘・死刑囚である。佐藤氏は後年、坂口の母らとの交流も重ね、連赤事件が現代に何を問うているかを考えるようになる。連載初回の末尾は次のように記されている。

新左翼テロ組織、連合赤軍が一連の集団リンチ殺人事件などを起こして半世紀。事件が黒き歴史と化す一方で、現代社会に目をやれば、コロナ後になお広がる恐れがある格差や、それを意識して「分配」をうたう政治の姿など、再び左派色がにじみ出したようにも思える。昭和史を代表する犯罪は令和に何を伝えるのか。連赤に問う。

連合赤軍事件を伝えるニュース映画。遺体の埋められていた場所(YouTube 中日映画社の公式チャンネルから)

連合赤軍によるリンチ殺人は、榛名湖近くの山岳アジトで行われた。仲間内で互いを「総括」すると称し、21~25歳の男女8人を殺害。アイスピックを使うなど殺害方法も凄惨を極めた。これを含め群馬県内では12人が殺害され、遺体は山中に埋められた。

逮捕されたメンバー17人のうち5人の裁判を担当した前橋地裁の元裁判長が残した手記には、新左翼の革命思想がいかに歪んでいたかが書かれていた。上毛新聞の連載はそうした事実を交えながら、「第1章 底流」「第2章 一線」「第3章 世代」と進んでいく。最も新しい公開記事『第3章 (1)弁護の原点〜時代、共有した責任』では、死刑囚・永田洋子の弁護人を務めていた同世代の女性が登場し、自らも一時身を投じていた学生運動の経験も語りつつ、事件の意味を“総括”する。

一連の連合赤軍事件は、戦後日本の左翼運動に大きな影響を与えたものの、現代では事件そのものを知らない人も増えてきた。映画や書籍など関連するコンテンツも多い。現代との関わりを考えるには、“50年”はよい機会だと思われる。

連合赤軍事件を伝えるニュース映画(YouTube 中日映画社の公式チャンネルから)

■上毛新聞『連赤に問う』
『序章 独房の隣人》確定死刑囚、書類の上に「妙義」の絵』(2021年11月14日)
『第三章 弁護の原点(1) 時代、共有した責任』(2022年1月16日)

■参考
事件を伝えるニュース映像『死の総括・連合赤軍リンチ殺人事件』(YouTube 中日映画社の公式チャンネル)

© FRONTLINE PRESS合同会社