1日に異なる2チームでヒットを放った男 ジョエル・ヤングブラッド

1人の選手が1日に異なる2チームでヒットを打つ。それも異なる2つの街で。もちろん、こんなことはめったに起こらない。しかし、メジャーリーグの長い歴史上でただ1人、この「珍記録」を達成した男がいる。1970年代後半から1980年代にかけてメッツ、ジャイアンツなどで活躍し、1981年にはキャリア唯一のオールスター・ゲーム選出を果たしたジョエル・ヤングブラッド外野手だ。メジャーリーグ公式サイトのマット・モナガン記者は、ヤングブラッド自身のコメントを交えながら、この「珍記録」を振り返っている。

1982年8月4日、その日はヤングブラッド(当時メッツ)にとっていつも通りの1日としてスタートした。シーズン終了後にFAとなる予定だったため、トレードの噂がないわけではなかったが、トレードは自分の力ではどうすることもできないこと。「自分にできる最善を尽くすことだけを考えていた」というヤングブラッドはリグリー・フィールドで行われたカブス戦に「3番・中堅」でスタメン出場し、3回表の第2打席で好投手ファージー・ジェンキンスから勝ち越しの2点タイムリーを放った。

ところが、ヤングブラッドは4回裏開始時にムーキー・ウィルソンと交代で試合から退くことになる。エクスポズ(現ナショナルズ)へのトレードが決まったのだ。「試合の真っ最中にトレードが決まって面白かった」と当時を振り返るヤングブラッドだが、メッツのフランク・キャッシェンGMは試合前にトレードを成立させようとしていた。しかし、電話回線のトラブルがあり、トレードは間に合わず。トレード成立後、エクスポズから「選手が不足しているから試合に出場してほしい」と依頼があり、ヤングブラッドは急いでエクスポズがフィリーズと戦うフィラデルフィアへ向かうことになった。

メッツはシカゴでのデーゲーム、一方のエクスポズはフィラデルフィアでのナイトゲーム。ヤングブラッドは荷物をまとめ、シャワーを浴びて着替えを済ませ、タクシーに乗ってホテルへ戻り、再び荷物をまとめて支払いを済ませ、タクシーで空港へ向かった。しかし、ここでリグリー・フィールドにグラブを忘れてきたことに気付く。「14年間使い続けていた」というグラブを取りに戻り、再び空港へ出発。空路を経て、フィラデルフィア国際空港からタクシーでベテランズ・スタジアムに着いたときには午後9時半になっていた。

すぐにエクスポズのユニフォームに着替えたヤングブラッドは5分後、ジム・ファニング監督に「早く来い。出番だぞ」と呼ばれ、6回裏の守備からジェリー・ホワイト(1984年に西武、1985年に大洋でプレー)に代わって「2番・右翼」で出場。7回表二死走者なしで回ってきた唯一の打席で名左腕スティーブ・カールトンから二塁への内野安打を放った。カールトンはこの試合、8安打4失点で完投勝利をマークしたが、そのうち1安打は移籍してきたばかりのヤングブラッドが放ったものである。

ヤングブラッドは「あの日は長かったよ。朝8時に球場へ行き、夜12時まで帰れなかったんだからね。移動がどれだけ大変だったか、誰も知らないんだ。その状況のなかで結果を出すことを求められた」と当時を振り返る。「僕の名前が消えることはないんじゃないかな。この記録はずっと残ると思う。誰かがこの記録を破るのは難しいだろうね」とアリゾナ州の自宅で誇らしげに語った。

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