「じゃないほう」のメジャーリーガー8選 公式サイトが特集

メジャーリーグの記録や歴史について調べていると、同姓同名のメジャーリーガーにぶつかることがよくある。たとえば、元マーリンズの盗塁王ルイス・カスティーヨについて調べようとしているのに、レッズの先発右腕ルイス・カスティーヨの情報が出てくる、といった具合だ。メジャーリーグ公式サイトのマイケル・クレア記者は、こうした同姓同名の組み合わせに着目し、「じゃないほう」のメジャーリーガーとして8選手を紹介する特集記事を公開している。

フランク・トーマス(Frank Thomas)

フランク・トーマスといえば、「ビッグハート」の愛称で知られる元ホワイトソックスの強打者(2014年殿堂入り)が有名だが、「じゃないほう」のフランク・トーマスもメジャー通算286本塁打の強打者だった。メジャー3年目の1953年から12年連続で2ケタ本塁打を放ち、シーズン25本塁打以上が6度。オールスター・ゲームにも3度選出され、キャリアハイの35本塁打、109打点をマークした1958年はMVP投票で4位にランクインした。

ホゼ・バティースタ(Jose Bautista)

ホゼ・バティースタといえば、2015年の地区シリーズで豪快なバットフリップを見せた元ブルージェイズのスラッガーを思い浮かべるが、「じゃないほう」のホゼ・バティースタは投手だった。2人はルール5ドラフトでオリオールズへの移籍を経験したという点で共通している。カブスへ移籍した1993年、58試合に登板して10勝3敗2セーブ、防御率2.82の好成績を残したが、メジャー9年間で防御率4.62と平凡な成績に終わった。

ジョー・モーガン(Joe Morgan)

ジョー・モーガンといえば、誰もが「ビッグ・レッド・マシン」の中核を担った名二塁手(1990年殿堂入り)のことを思い浮かべるだろう。「じゃないほう」のジョー・モーガンはメジャー4年間で通算打率.193と全く活躍できなかったが、指導者として活躍。1988年途中から1991年までレッドソックスの監督を務め、1988年と1990年に地区優勝したが、どちらもリーグ優勝決定シリーズでアスレチックスに被スイープを喫した。

ランディ・ジョンソン(Randy Johnson)

日本でも有名な剛腕「ビッグ・ユニット」(2015年殿堂入り)のほかに、1980年代には2人のランディ・ジョンソンがメジャーでプレーしていた。1980年にホワイトソックスでメジャーデビューしたランディ・ジョンソンは、1982年にツインズで89試合に出場して10本塁打、OPS.744を記録したが、メジャーでプレーしたのはこの年が最後。1982年にブレーブスでメジャーデビューしたランディ・ジョンソンは、1987~88年に広島東洋カープでプレーした。

ルイス・ゴンザレス(Luis Gonzalez)

ルイス・ゴンザレスといえば、「ゴンゾ」の愛称で知られる元ダイヤモンドバックスの強打者(2001年ワールドシリーズ第7戦でマリアーノ・リベラからサヨナラ打)が有名だが、「じゃないほう」のルイス・ゴンザレスは2004~06年にダイヤモンドバックスと同地区のロッキーズでプレーしていた。2007~08年には読売ジャイアンツでもプレー。なお、現役のルイス・ゴンザレスは「ゴンゾ」と同じ外野手である(昨季はホワイトソックスで6試合に出場)。

ペドロ・マルティネス(Pedro Martinez)

2015年に殿堂入りを果たした名投手ペドロ・マルティネスが才能を完全に開花される前、その時期に「じゃないほう」のペドロ・マルティネスはパドレスでリリーバーとして活躍していた。1993年は32試合で防御率2.43、1994年は48試合で防御率2.90を記録。1994年オフに6対6の超大型トレードに巻き込まれ、アストロズへ移籍したが、それ以降は全く活躍できず、レッズで8試合に登板した1997年を最後にメジャーの舞台から姿を消した。

ケビン・ブラウン(Kevin Brown)

ケビン・ブラウンといえば、1998年オフに史上初の1億ドル選手となった先発右腕を思い浮かべるが、このケビン・ブラウンは1994年オフにFAでオリオールズへ移籍。「じゃないほう」のケビン・ブラウンは1994年にレンジャーズからドラフト2巡目指名を受け、1996年にメジャーデビューしており、残念ながら2人のケビン・ブラウンによるバッテリーは実現しなかった。ちなみに、1990~1992年に通算3勝を挙げたケビン・ブラウンは左腕だった。

クリフ・リー(Cliff Lee)

クリフ・リーといえば、抜群の制球力を誇り、インディアンス時代の2008年にサイ・ヤング賞を受賞した左腕が有名だが、「じゃないほう」のクリフ・リーは1920年代にフィリーズなどで活躍した外野手兼一塁手兼捕手だった。1922年は自己最多の122試合に出場して打率.322、17本塁打、77打点、OPS.912の好成績をマーク。メジャー8年間で打率3割以上(規定打席未満も含む)のシーズンが4度あり、通算打率は3割ジャストとなっている。

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