“よりよいまちに” 長崎をPR クリエーティブディレクター 鳥巣智行さん(38)

「変化と文化を組み合わせるアイデアでより良いまちにしたい」と語る鳥巣さん=長崎市内

 「よし、長崎に帰ろう」。100年に一度といわれる変化の時を迎えている長崎市。長年育んできた文化と変化を組み合わせたアイデアで、よりよいまちにしたい。その思いを実現するため、大手広告代理店を辞め、20年ぶりに長崎に戻り起業した人がいる。同市出身のクリエーティブディレクター、鳥巣智行さん(38)。日々、ユニークなアイデアで企画やコンサルティングを行っている。
 発想を形にし始めたのは県立長崎西高生の時にさかのぼる。生徒会でつくる小冊子を生徒のプリクラで埋め尽くしたり、高校のキャラクターを使ったみこしを発案して文化祭を盛り上げたり…。「人と違うことや面白いことを企画していた。それは今と変わらないかも」と振り返る。
 目立ちたいという理由から、2年の時に高校生1万人署名活動実行委員会の初期メンバーに。携わる中で、自身が被爆3世ということを知り、千葉大に進学後も平和活動を続けた。
 広告や企画の仕事を通して、前向きなメッセージを広く伝えたい-。そんな思いから2008年に電通に入社。被爆者の体験談などをデジタル化した「ナガサキアーカイブ」を制作し、カードなどを使ってゲーム感覚で平和を考えるプログラムも考案した。平和公園(長崎市)の石畳の写真を原寸大で掲載した本紙広告や、核兵器の数を可視化した本紙広告の企画にも携わった。
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 長崎市に拠点を移そうと考えるようになったのは19年、同市の広報戦略アドバイザーに就任したのがきっかけだった。「市民に伝わっていない」。そんな悩みを打ち明ける市職員が多くいた。助言をしても、事業が出来上がってからの段階が多く、アドバイスだけをする立場にもどかしさを感じていた。同市の転出超過が18、19年と2年連続で全国ワースト1位になるという「衝撃的な結果」も知った。
 そんな折、新型コロナウイルスが猛威をふるった。仕事は全てリモートになり、一日中椅子に座り続ける生活。悶々(もんもん)としていた20年4月の緊急事態宣言の最中、散歩をしていると、ふと自動販売機のデザイン「DyDo」という文字が目に飛び込んできた。この「Do」が「行動に移せ」と読めた。「長崎に戻ろう」。そう決意した。21年8月末で電通を退社し、より良くしたいという意味を込めて長崎市に企画、コンサルティング会社「Better」を設立した。
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 20年ぶりに戻ってきてすぐ、シンクタンク「長崎みんな総研」発足や、NBCラジオ「やさしいラジオ」のパーソナリティーなど多忙な日々を送っている。「上京して技術を身に付けた自分が故郷で新しいことにチャレンジする。それを自分は『上郷』と言っています」と爽やかに笑う。
 答えが簡単に出せない課題が社会に山積しているからこそ、アイデアが必要になる。だが、アイデアを出すのに必要なのは特殊な能力ではなく技術だと思っている。「長崎は異文化をミックスするのが得意なまちだと思う。ワークショップや研修を通してアイデアを生み出す楽しさを多くの人に知ってもらい、いろんなアイデアが生まれるまちになると、きっと、もっと面白くなる」。そう信じている。

ゲスト(左)を迎えて、長崎の「やさしい」をテーマにラジオ収録をする鳥巣さん(鳥巣さん提供)

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